第5話 6年ぶりの再会

 辺りを射す夕陽はさっきよりも傾いて、空はより濃いオレンジへと変わる。

 空はあのときからだいぶ時間が経ったことを知らせていて、もう遅かったとも暗に示していた。


 過ぎた時間を考えれば、イケメンが彼女を見繕みつくろうのにも、泣きながら一人であの場を去るにも、充分な時間があって、天使はすでその場にいないものだと思っていた。


 だから、さっきと同じ場所でいまだに立ち尽くす天使をみて俺も足が止まる。

 

 今ふたりをへだてる障害物は何もなく、ただ二メートルの距離しか存在しないが、俺にとってその二メートルは遥か彼方へと感じた。


 もしかしたら、その悲しそうな表情も、なぐさめて欲しいだろうの推測も、俺の勝手な妄想で、ただの待ち合わせの可能性だってある。その場合は、俺は彼女をとても不愉快にさせるかもしれない。


 俺の心の中のこじれた信念は、そうやって様々な理由をつけて、彼女を遠くへと引き離す。いつもいつも勝手な思いこみで彼女を拒絶して心の距離を取ってきた。そして、今回もどうせ何もしないんだから、こんなところにいる必要はない。

 

 俺はこの場から立ち去る前に、もう一度だけ彼女をに目をやると……




 彼女の表情から目が離せなくなってしまった。

 


 辺りのオレンジ色によく映える悲しそうな顔は、事情を知らない人には、夕陽に照らされ美しく黄昏たそがれているように見えるだろう。でも俺には、美しく映っても、それが暗くて怯えているように見える。


 俺は彼女の暗い表情を見ると、心の奥底から強くこみ上げてくる想いがあった。そして、自分でもわからないその大きな想いは、悲しそうな彼女を放っておくことを決して許さない。


 だから自分の心を全てを諦め、自己満足で天使のもとへ歩み出す。そして、後ろからゆっくりと近づくと声をかけた。その距離わずか五十センチメートル。


「さっきは勝手なことしてすまん、これで許してくれ」


 そう言いながら、俺は近くの自販機で買ったオレンジジュースを差し出した。


 確かに「大丈夫?」とか「元気出せよ」とかもっといい言葉なんてたくさんあったかもしれないのに、結局のところ謝罪でしか関わることはできなかった。


 彼女は驚いたように振り返ると、彼女は顔を上げその潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。俺はその視線から逃げるように下を向いた。足元に映る二組の靴はやけによそよそしく並んでいた。


 もしかしたらこれは罠かもしれないし、近寄ってくんなと嫌がられてかもしれない。そんなネガティブな妄想が心を支配していく中、地面に目線を落としながら彼女の言葉を待つ。


 すると、黒のローファーが一歩こっちに踏み込むと、その勢いで細い両手が俺の後ろにまわり、ギュッと彼女の温もりをじかに感じた。


「こわかった……こわかった……」


 彼女は俺の胸のあたり顔を埋めて、大粒の涙を流す。彼女の体はわずかに震えていた。


 俺は驚きのあまり状況が理解できずに、近すぎる彼女を二度見した。胸で泣く彼女はこれまでのイメージとは少し違い、まるで子供みたいに泣いていた。だから、周りの痛い視線があったとしても、とても引きがそうとは思えない。俺はとりあえず彼女の頭を撫でた。


 道路の片隅で彼女が抱きついてからしばらくの時間がたった。


 彼女は泣くだけ泣くと顔を上げこちらを笑顔で見上げる。彼女は少し頬が赤く染まっていて、安心したような表情をしていたので俺はほっとした。


 抱きついた彼女はとても暖かくて、ずっと抱きついていたいと思ったが、それ以上に世間の目が気になって仕方ない。結局こんな場面でもいつも通りの俺である。


「離してもらっていい?」


 俺は目の前の彼女に向かって、ゆっくり落ち着いた声で聞く。

 

「ごめんなさい」

 

 彼女は謝罪の言葉を口にすると、俺の目を見上げ、俺の背中にまわしていた手を離す……


 ことはなく、むしろ力強く抱きしめてきた。そんなことをされると、余計に色んなところが触れてしまって、焦ってしまう。


「えっ? は、離れないの?」

 

 俺が驚いたようにそう聞くと、彼女はもう一度「ごめんなさい」と言うと、とんでもないことを口にした。

 

「私は離れない!」


 彼女はさっきとは打って変わって強い口調でそういうと、真剣な眼差しで俺の目をのぞきこむ。


「だってこれ以上逃げられたくないもん!」


「逃げる?」

 

「とぼけないでよ、私のこと避けていたでしょ!」


 彼女は不満たらたらに、膨れっつらになる。あとちょっとで触れてしまいそうなほど近い彼女の顔は、どの表情でも見惚れてしまいそうで、俺は目をそらしながら答えた。


「だって知り合いでもないし、でもなんとなく目があってしまって気まずかったから……」


「目があってしまったんじゃないの、合わせてたの」


「なんで?」


 そう聞くと彼女は一ミリも目をそらさずに言った。


「私言ったよね、絶対お兄さんのこと探してみせるからって。情報は声しかないから、声だけは何回も脳内再生して決して忘れないようにしたの。だから、コンビニで「はい」って聞いただけでビビッときたよ」


 お兄さん? 探してみせるから? 


 俺は幼少期を思い返しても、お兄さんと呼ぶ人はいなかったし、思いあたらなかったが、ふと吹いた暖かい風に何を感じた。


 ぼんやりと思い出す暑い日差しに、川の流れに、冷たいフェンス……

 まさか…… 


「もしかして……あの時のグランドの隅にいた女の子?」


「そうだよ!」


 そういうと、彼女は手をはなす。そして、一歩下がって満面の笑みを浮かべた。


「やっと、お兄さんを見つけた!」


 六年ぶりの彼女は、ずいぶん綺麗になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る