最終話 新たな再会

 外に出る頃には辺りはだいぶ暗くなっていて、ほぼ夜に近い夕暮れは、むしろ真っ暗になるより重たい色を描いていた。


 涙でぼやけた視界の中では、街頭の明かりだけがやけに輝いていて、それさえも避けるように下を向く。


 俺は二度とない青春のチャンスをいとも簡単に手放した自分の情けなさに涙が止まらない。


「俺はアホだ! 天才的なアホだ!」


 俺は人気ひとけのない道で、誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かせるように、悔恨かいこんの念を口から吐き出した。


「彼女は俺によって人生を大きく狂わされたんだ。だからこれ以上狂わせるなんてきっと許されない。これで良かったんだ!」


「俺は詐欺師みたいなことをしてしまったんだ。あの時言ったこともなんの変哲もないことが、彼女にとって大切になってしまった!」


「俺が言った言葉なんて本当に救いも無いくらい内容が無くて、スカスカで、薄っぺらい。本当ゴミみたいな内容だったよ」


「彼女の今は全て彼女自身で勝ち取ったものなんだ! 俺が与えたものなんて一ミリもない! だから彼女から見た、あの日の俺のイメージなんて幻想にすぎない。そして彼女が幻想を見ているのを知っているにも関わらず、幻想で感化して人生ごと奪ってしまうの大悪人にはならなかったからいいんだ!」


「いいんだよ本当、あんな可愛い彼女なんてできなくても! でも本当に可愛かった!」


「到底釣り合わないし、別れて正解だったし、彼女はこれで幸せになれるし……」

 

 叫びながらやけくそに歩いていると、いつの間にかアパートの前までたどり着いていた。


 俺は玄関のドアをなんとか開けると、そのまま玄関に倒れ込む。疲れているわけじゃないのに体が石のように重く、一歩も動く気にならない。かといってここで寝てしまおうと、目を瞑るとさっきのシーンがフラッシュバックしてきて、すぐに目を開く。動けないのに、体の節々は不快で、苛立って、やるせない気分でいっぱいだった。


 明日は大学サボるかな…………

 そして、家に一日中いてから、結局レポートでもするのかな? もしかしたらゲームをするかもしれない。

 

 それで? 


 それだけ?

 

 そして俺の明日は何もなく過ぎていくのだろう。逃した魚は大きいどころか七色に輝いていて、急に自分の生活が色褪いろあせて見えてしかたなかった。それこそ依存性の高い幻薬だった。


 玄関に倒れ込んで、意識があるのかないのかも判らないようなただ不快で、朦朧もうろうとした状態のまま、ずいぶん長い時間が経ったように感じた。


「いま何時だ?」


 俺は部屋の時計を見ようと床から顔を上げた。その時に「ピンポーン」と無機質な機械音がせまい玄関に響く。


 回らない頭で記憶を探ってみるも、通販を頼んだ記憶もないし今月の仕送り(物資)はすでに来ている。特別にウチに用事があるような人は考えても思い当たらない。どうせ保険のセールスだろうと思った俺はそのまま動くのを諦める……

 

 が、そのチャイムは二度目が鳴り、三度目が鳴って、俺に用事があることを伝えてくる。俺は不審に思ったものも、考えるのが面倒になり重い腰を上げてドアを開けると……


 開いたドアの先には長い青髪がよく似合う少女が、部屋の明かりに照らされている。


 彼女は俺を見ると笑顔を向けてくれたが、その笑顔は何かを諦観ていかんしたような、大人びて、控えめな笑顔をしていた。よく見ると彼女の頬は涙によってだいぶ荒れていた。


 彼女はしばらく俺を見ると、「お兄さんも涙いっぱいじゃん」とぼそっとつぶやく。だから、俺は「そんなことはない!」と必死に噛み付いた。

 

 彼女はそのやりとりで吹っ切れたのか、これまでの明るい表情に戻ると、首を横に動かし、何度か俺の部屋をのぞくような素振そぶりをしてから、俺の方を見る。


「ちょっと部屋入っていいですか?」


「彼氏でもない男の家に上がるなんて、品がないぞ!」


「品がなくてもいいんで上がります」


 そういうと、彼女は勝手に部屋に上がり込んでしまった。


 そんな彼女の無邪気な姿にいつまで落ち込んでいても仕方ないと思い、部屋に入ると、初めて使う来訪者用のコップにいつも飲んでいるあったかいお茶を入れて彼女に差し出す。


 俺と彼女は、背が低く小さなテーブルを囲ってふたりで向き合った。一人用の机だからふたりの距離も近くて、ついさっき自ら振った相手なのに、心臓の鼓動はさっきよりも激しく脈打っている。


「お茶ですか? 渋いですね?」


 彼女は新品のコップに口をつけながら、不思議そうな顔をした。


「まあ、おれがいつも飲んでるやつだ! お前が察するように来客とかないからな。特別飲ませられるようなもんはない!」


「じゃあ、来訪者一号ですか?」


「まあ、そうなるな」


「やったあ! お兄さんの家一番のり!」


 彼女は無邪気に喜んでいるが、俺はそれどころじゃなかった。この突っ込みどころが多過ぎる状況を理解する事が先決だった。


 俺は嬉しそうに喜んでいる彼女を軽く睨むと、疑問を投げかける。


「なんでおまえウチ知ってんの? そもそもさっき俺からきっぱり別れたよな?」


 彼女は机の上のきな粉がまぶしてあるおかきを口にしながら、けろりと言った。


「べつに別れてなんかないですよ? お兄さんが残念な性格なのは知っているんですから全然諦めませんし、しつこくアタックするつもりですよ? ただ私自身ヒートアップしちゃってちょっと落ち着こうと思って逃げました。そしてお兄さんが出てくるのを待って尾行しました」


「尾行って……」


「だから、叫んでいたことも全部聞こえていましたよ?」


「いやああああああ」


 俺は恥ずかしさのあまり机に突っ伏した。

 すると。柔らかくて温かいてのひらが俺の頭に触れ、優しく撫でながら彼女は優しい声でゆっくりと呟く。


「さすがは私の憧れたお兄さんです。やっぱ私のことちゃんと考えてくれているじゃないですか」

 

 恥ずかしながらも、俺は彼女の優しさをしばらく堪能すると、顔をゆっくり上げた。まるで母親のような優しい目をした彼女に目をあわせ、俺は口を開く。

 

「じゃあ、さっきの結論もわかってくれるよな?」

 

 そういうと、優しいほんわかした笑顔が、急にけわしく真剣な顔になった。


「わかるわけないじゃないですか? なんでお兄さんのそんな勝手な思い込みで好きな人諦めなきゃいけないんですか?」


「そ、それに……」


 彼女は顔を崩すと、頬を触りながら恥ずかしげに言った。


「可愛いって言ってくれたじゃないですか! 確かに今はひどい顔かもしれないですけど普段はとびっきり可愛くしますから。だから付き合ってもらってもいいですよね?」


「それは……」


 それでも抵抗する俺を見て、彼女はすごく悪い笑顔をした。俺は何かを察知してか背筋が凍るような悪寒を感じる。


「どうしてもって言うなら、私ここで脱ぎますよ?」


「はっ……はああああああ?」


「さっき、お兄さんが付き合ってしまうと大悪人になってしまうって言ってましたよね。なら私も罪を犯しますそれなら二人とも悪人ですよね」

 

「そんな理論はおかしい……」


「さあ、お兄さん選んでください。私と付き合うか? 私がここで脱ぐか?」


「……わかった付き合うよ」


「本当!?」


 彼女の驚いたような嬉しそうな表情に、考えてこじらせていた思考が飛ぶ。でも、何かを、保身のための保険を付け加えなきゃ気が済まない俺は、「うん」と返事したあと、まとまってもいない不器用な言葉でまくし立てる。


「でも、ひとつ。俺は大して価値のない人間だ! 君が付き合えるような魅力的な男性たちと違って何も持っていない。だから、いらないと思ったら遠慮なく捨ててくれ」

 

 すると彼女は、ぷくーっと頬を膨らませた。


「卑下も禁止! ちゃんと私もお兄さんを考えてますから。私は一方的に捨てません! そんな軽い女じゃないですから」


「でも、服を脱ぐ発言は軽い女そのものだけど?」


「もうここまで思い続けた人なんで、裸の一つや二つ全然気にしないって言うか、私の中ではもはや性的な話じゃなくなっています」


「いや、そんな変態具合を見せつけられても困るから! ていうかやっぱ俺に洗脳されているよそれ! やっぱ別れようよ」


「じゃあ脱ぎます!」


 彼女はセーラー服の裾を手で摘むと、少しひるがえした白い裾の奥からは、わずかに白くて綺麗な素肌がのぞく。


「やめてくれ! わかったから! 付き合うから!」


「ならよし! 分かってくれたならよかったです」


 俺は全然よくない気もしていたが、結局は彼女の笑顔に勝てなかった。 


 そして、彼女は一番の笑顔でこっちを見つめながら……


「お兄さん!これから青春しましょうね」

 

 と言った。


 俺は特に言葉にはせずに、明るい青春を夢見て大きく頷いた。




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 【あとがき】

 この作品の本編はこの話で最終回になります。ここまで作品をご覧いただきありがとうございました。応援や星レビューは大変励みになりました。


 また、この作品はここで終わらずに、ふたりのこの後の関係性を描くアフターストーリーを更新する予定です。作者の技量的に本編と同じ緊張感で書くのは難しいかもしれませんが、できるだけだれる事なく見せ場のある作品にできるよう努力しますので、もうしばらくこの作品をご覧いただけますと幸いです。


 

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