後日譚4 締め出すのは正義
講義室で隣に座った一夜は、なんだかやつれているように見えて、俺の心は少し痛んだ。やはり詩乃のことが気になっているのだろう。
そんな一夜の気持ちなんてつゆ知らない詩乃は、今朝も早くに制服姿で来てから、部屋で少しのんびりしてから高校へと登校した。どうやら、気を紛らわすために早朝から学校に行ったことにしているらしい。
詩乃の家族にその言い訳が通じているのは定かではないけど、特に大ごとにはなっていないようで少しホッとした。だけどその安堵も束の間で、彼が発した一言目でいきなり緊張が走る。
「幸谷は詩乃のことをどうしたいんだ?」
意外にも彼は怒ったような声音はせず、優しく問うような声音だった。昨日、俺は泣きついてきた彼女をひどい言葉で跳ね除けたことになっているからてっきり怒られるのかと思っていた。だけど、彼はこっちを睨んでいるのではなく、怪訝な目で見つめている。
「どうしたいって言われても、行動のとおりだよ」
俺は堂々と言う。少しでも隙を見せたらバレそうな気がしたから、言い終わった後は口をしっかり閉じて硬い表情をする。だけど、隠し事が苦手な俺の心臓は、バクバクとうるさく脈打っていた。
「昨日は詩乃が押しかけてすまなかった……」
彼は暗い顔でつぶやくと、苦しそうに言葉を吐き出した。
「でも、俺は幸谷のことが分からない……」
その一夜の嘆きに俺は、「ごめん……」と小さく呟く。でも、彼はそのまま黙り込むことなく、続きを口にした。それも、とんでもない続きを。
「なんで幸谷は振ろうとしている詩乃を家にあげた上に、朝食まで用意して、お悩み相談まで聞いた上で振るんだよ!」
「まあ、ちょっとは言いすぎたと……はっ!?」
「俺には幸谷の行動が意味分からねえ!」
俺にもこの状況の意味が分かりません!
詩乃さん? 打ち合わせとだいぶ話が違うんですけど?
この状況からどうやって筋を通せと?
「あ、いや、まあ、いくら別れた相手とはいえかわいそうだったから」
「でも、幸谷にかわいそうと言う気持ちがあるなら、しばらく付き合うくらいは許してたと思うし、あれだけ意地になっていた幸谷にしてはおかしく無いか?」
「や、やっぱ家まで来た人を追っ払えないよ……」
俺があたふたと言葉を並べ、苦しい言い訳を続けると、一夜は途端に真剣な顔をして言う。
「幸谷、何か隠してない?」
彼は真っ直ぐな目で俺の濁った目を見つめる。俺はその視線に耐えきれずに、つい目を逸らしてしまう。
「隠してないよ……」
「ならいいけど」
一夜はそう呟くと「俺は幸谷のこと信じてるから」とさらに強い語気で口にする。
それ以降、俺は一夜と目を合わせることが出来なかった。
* * *
俺は翌朝、そのことを彼女に問い詰める。
俺が「昨日のことなんだけど」とひとこと前置きしただけで、『やっばぁ……』みたいな表情をしていたから、心当たりは大アリなのだろう。
「なんで打ち合わせどおり言ってくれなかったの? 一夜とめちゃくちゃ気まずかったんだけど」
「……いっそ、一夜なんか友達がいなくなっちゃえばいいのに」
彼女は拗ねた様子でそっぽを向きながらボソボソと吐き捨てる。罪をはぐらかしながら拗ねる彼女に、俺は少し強い語気で言う。
「俺は一夜の友達を辞める気はないから!」
そう言うと、むーっと言いながら彼女は頬を膨らませる。だから、彼女の頬の膨らみに両手を押し当て、潰してから、彼女を真っ直ぐ見た。彼女の大きな瞳はあちこちと泳いでなかなか目が合わない。
「昨日、打ち合わせの時なんて言ったの? 正直に言って欲しい!」
俺が覗き込むように問い詰めると、彼女は何かを諦めたのか俺の視線から目を逸らしつつ、ぶつぶつとつぶやき始める。
「私がお兄さんの家に押しかけたら、寒いだろうからと上げてくれて、わざわざお茶と朝食出してくれて、悩みとか話を聞いてくれたけど断られた」
俺は大きな大きなため息をつく。打ち合わせどころか、彼女は事実を正直に述べただけだった。
「なんで打ち合わせどおり言ってくれなかったの?」
彼女は反省を示しているのか、下を向き暗い顔をすると、口先を尖らせながら「だって……」と口を開くと、
「お兄さんのことを悪く言うなんて、出来るわけないじゃないですか!」
こっちを見上げながら、訴えかける様に言った。
「ま、まあ、そう言ってもらえるのは嬉しいけどさ……」
俺がそう口にするなり、彼女は「でしょ!」と言ってから許して欲しそうに上目遣いをする。
でも俺は……
「嘘つけないのに、ドッキリとかするな!」
彼女は「えー」と不満げな反応をするが、俺は真剣な表情のまま、思っていることを口にした。
「それで、もうドッキリ辞めにしないか? さすがに一夜がかわいそうだよ」
そう言うと、彼女は少し悲しそうな顔をする。どんだけ一夜恨みがあるんだよ!
「それに、何日も早朝から学校に行ってたら怪しまれるでしょ?」
すると彼女は待っていましたと言わんばかりに、ぐわっと前のめりになる。
「そこは大丈夫です!! 明日からはこれを着て走りますから!」
そう言うと彼女はカバンをガサガサと漁る。
「ランニングウェア?」
「そうです! これまで早朝に学校に行っているうちに、朝活の素晴らしさに気づいて、ランニングを始めたことにするんです!」
俺は小さくため息を吐いた。もう面倒くさいから、やめて欲しいんだけど、彼女は無駄にやる気満々だ。
「母が昔着ていたランニングウェアがあったの思い出したんですよ! 私天才じゃないですか?」
彼女はドヤ顔で言うから、俺も言ってやった。
「最高にアホだと思うよ?」
「あ、そろそろ時間だ! じゃあ私行きますね!」
彼女は都合の悪いことから耳を背け、さっさと学校に行ってしまった。
俺はそんな彼女にまた小さなため息を吐いた。
* * *
彼女は飽きもせずに翌朝もうちに来た。
しかも昨日の宣言どおり、ランニングウェアを着ている。
「おはようございますお兄さん! 案外ランニングもいいもんですね!」
彼女は走る時に邪魔にならない様に、肩まである髪を後ろで一つにまとめていて、ちょっとの髪型の変化だったが、新鮮でつい見惚れてしまう。
「お兄さんどうしました? 髪にゴボウでもついてますか?」
「むしろ詩乃は後ろ髪にゴボウがつく心当たりがあるのかよっ!」
「それはそうとしてお兄さん……」
と彼女がそれもこれも無いような話に区切りをつけた時、玄関から「ピンポーン」と秋の早朝にほのかに響く優しい音がした。
この時間にウチに用事があるのは……と俺がいつも通り、何の用だろうと推測をしていると彼女が、「あ、私出ます! 何と言ったってお兄さんの彼女なんですから」と言って。「はーい」とドアを早々に開けると、「きゃあっ」と軽い悲鳴を上げた。
「あっ…………」
俺の『誰なのか確認した方がいいと思うよ』の言葉は間に合わず、無情にも玄関のドアは開いていた。
何となーく予想がついていた俺は、嫌々ながらもそっと玄関を覗くと、そこにはやはり彼女の兄にあたる、爽やかな青少年こと、詩乃曰く『アレ』である一夜がいた。しかも、やけににっこりとしている。
「ちょっと、ふたりにお話があるんだけど良いかな?」
一夜の表情は笑顔なんだけど、目だけは取り残されたように真顔のままだ。彼の表情からは何されるのかわからない、背筋に悪寒が走るタイプの恐怖をひしひしと感じる。要するに凄く怖い!
ふたりと一夜の間には無言の間が流れ、俺がこれからどうしようと、ただ苦笑いをしていると……
「兄貴、さらば!」
詩乃は突然そう言うと、素早くドアを閉め、鍵を閉めて、ドアチェーンまでかちゃんと落とした。
そして詩乃は一夜をテキパキと締め出した後に、「ど、どうしよう……」と言いたげな目線で『やってしまった……』みたいな表情をしながら俺の方を見る。だから、俺は詩乃の目線をかわすが如く、誰もいない方に目を逸らして、現実逃避をした。
その後、ふたりは一夜にこっ酷く叱られた。
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