第14話 冷たい雨
外ではザーザーと大きな音を立てて雨水が滴り落ちていく。
緊張を誤魔化すためにつけたはずのテレビも雨音のせいで集中できずに、緊張は一向に解消されない。
俺はふと玄関ドアを開けて、外をふりしきる雨粒を眺める。滴は暗い空から勢いよく落ちてくると、アスファルトにピチャピチャと打ちつける。その水溜りには幾多の波紋が荒く広がっていた。
暗い雨の光景を見ると気分まで落ち込んでしまう。それでも、昨日の一夜との約束は絶対に守らなきゃいけない。俺は口角を指で持ち上げると無理やりに笑顔を作り外に向ける。そして、玄関のドアを閉めると、あと十分も無い待ち合わせの時間を覚悟して待つ。
俺はその僅かな間に彼女との時間を思い返す。
俺が別れを切り出すまでの彼女はいつだって笑顔で明るくて、まるで俺の太陽だった。こんな暗くて地味なぼっち生活を照らして、明るいものにしてくれた。でも、その太陽は本当はもっと別に照らして照らし合えるような場所があるはずなんだ。だから俺はこれまで照らしてきたことを感謝して、これからは光のない暗闇で生きるべきだ。
俺はいろいろなことを思い
そして一時間が経った。
彼女が来る約束の時間は九時で、部屋にかかった時計の針は十時を示している。時計が壊れているのかもしれないと思い、ポケットのスマホを確認してみるも、その画面もちゃんと十時を示していた。
俺はもう一度玄関の外を覗いた。
そこは大粒の雨が降りしきり、非常に視界が悪かった。それは車も同じだろう。遠目に見える車は激しくワイパーを動かしていて、とても前が見づらそうに見える。歩行者だって、ワイパーは無くても傘なんかさしていたら、それだけでも視界は遮られてしまう。
俺はカバンを荒く掴むと、激しくドアを開け、部屋を飛び出し、雨の中へと傘一本で突っ込んだ。
こんな危険な日にのんきに彼女を待っているんじゃなかった!
俺はそのことを激しく後悔しながら、その悔恨の念を振り切るように、足でアスファルトを蹴った。ズボンの裾に飛び跳ねる水しぶきや、傘からはみ出して濡れる肩も気にせずに走り続けて、とてもデートの格好とは思えないほどびしゃびしゃになりながら彼女の家のインターホンを鳴らす。
後ろではザーザーとうるさい雨が俺を煽る中、なかなか反応がないことに、不安と焦りと、苛立ちを覚え出した頃、その質素なスピーカーからはつい昨晩聞いた声が聞こえる。だけど、その声はため息まじりで昨日みたいな怒鳴り声ではなかった。
「幸谷……」
「詩乃はまだ家にいるか? もし家を出ていたら探さないといけないことになった」
俺がそういうと、そのスピーカーは鳴かなくなり、代わりにドアの奥から足音が聞こえて、カギがかちゃっと開く音がする。
ドアが開いて彼が見えた途端に、俺は焦りが抑えられずに、すぐに問いただした。
「詩乃は!?」
でも、顔を見ると彼は悲しそうな表情をしていて、「ちょっと来て」と言うと、一夜が家の中へと歩いていくので、置いてかれないように急いで靴を脱いでから、彼を追いかけた。
彼は階段を上がると、彼の部屋の隣にある部屋のドアをノックして、返事を待つことなくドアに手をかける。
そのドアの隙間から視界に広がった彼女の部屋は、机とベットと本棚ががあるくらいで他には何も無く、シンプルな部屋だった。普段は整然としている部屋だと容易に想像できる。
だけど、今この部屋は物がぐちゃぐちゃに散乱していた。床にはこの辺りの観光雑誌と、ここから5駅ほどのところにある遊園地のチケット二枚とパンフレットが数枚、グッズがいくつか、そして薄いトレンチコートだったり、ジーパンだったり、新品らしき秋物の服が乱雑に散らばっていた。
彼女自身は寝巻のままベットの上で枕に顔を埋めていて、表情や起きているかどうかは
一夜は俺がその部屋に一歩踏み入れたのを確認すると、「詩乃を頼む」と耳元で囁きすぐに詩乃の部屋から出ていった。
そして、彼女の部屋でふたりっきりになった。
俺は彼女の部屋をあらためて見渡してみると壁に何かのポスターだったり、ベットの隅にぬいぐるみだったり、部屋の隅にギターだったり……そういったものが全く無く、彼女を表す何かがないようにも思える。
俺はつい夢中になって彼女の部屋を眺めていると
「ごめんなさい、約束すっぽかしちゃいました」
彼女の篭った声が聞こえる。それに振り向くと、彼女は枕に顔を埋めたまま話していた。
「私の部屋何もないでしょ?」
「だって、それはお兄さんのことしか考えてないからですよ」
「本当私って不良債権ですよね、こんな重いんですから」
「昔から引っ込み思案で一つのことに熱中しすぎて周りが見えなかったんですよ」
「でも、お兄さんという一つのことに集中し出してから周りが見えるようになったんです。なので、趣味はお兄さんなんです」
「だから、たぶん別れたら私は私として一回死ぬと思います。そしてまた流されるまま自分を見つけていくんだと思います。まあ、別れた先のことなんてとても想像なんてきませんけど……」
窓の外を見ると未だに雨は勢いよくふり、暗い空が晴れそうには思えなかった。この部屋には、彼女の悲しげに篭った声と、雨音しか聞こえない。
「お兄さん。今、それを良いことだと思いませんでしたか?」
俺の心を見抜かれたような、その呟きに俺はビクッと震えた。彼女はそんな俺の姿は気にせずに、枕に向かったまま自分の話を続ける。
「そりゃ一般論的に言えば依存から離れるのが、いいことだと思われるかもしれません」
「でも私はお兄さんのぽっかり開いた穴をずっと寂しく生きていかなきゃならないんですよ?」
「まあ、もう良いですけどね……」
彼女は相変わらずにつっ伏せたままで、それをじっと見てるのも悪いような気がして、俺はもう一度部屋を見渡した。右奥にある本棚の上段には小説がいっぱい並んでいて、下段には教科書や参考書がこれまた綺麗に並んでいる。そして、その手前にある机の上にはペン立てが置いてあったのと、ある一冊のノートが見開きにして置いてある。
ドアのすぐ前に立つ俺は、そのノートに何を書いてあるかは解らなかったが、少なくとも勉強のノートではないことだけはわかった。
「これだけ一思いに降られると、涙も出ませんね」
俺は
その見開きのノートの左側のページの上部には、『デートの計画』とだけ書いてあって。その横には『絶対に別れない!!』とも書いてあった。
ノートの内容を見ると、デートプランは屋外の中心に考えられていて、特に遊園地で一日中遊ぶ予定だったらしい。そしてページの末には晴れますようにと何度も書いてある。
「もういいです、お兄さんさっさと言ってください……」
俺はもう一度外を見る。たぶんそのノートに書いてあることの殆どが叶わなくらい暗くてびしゃびしゃな天気が窓の外に映る。そして、部屋を見渡すと、無残にも散らかった部屋に、あれだけ明るかったのに無残にも失望してしまった彼女が目に映る。
「もうこれ以上惨めな私なんて見なくていいですから……」
「着替えて……」
「聞いてました? お兄さんさっさとその言葉言ってくださいよ。もういいですから!」
「ごちゃごちゃ言わずに、さっさと早く着替えて! 早く出る支度をして!!」
「は、はいっ!!」
俺がそんなに大声を出すような印象が無かったのだろうか、彼女は飛び跳ねるように枕から顔を上げると、今日初めて顔を合わせる。彼女が埋めていた、白い枕のその部分は涙で黒くなっていて、彼女自身顔のことは何もしてなくて、素顔で、涙顔だった。
俺は彼女に着替えを促すために、彼女に背を向けて部屋の外へと出た。
さっきの彼女は驚いたような表情をしていたが、一番驚いたのは自分の行動だった。最初から諦めてくれた方が都合がいいはずなのに、雨に打ちひしがれた彼女を見逃すことがどうしてもできなかったのだ。
彼女が着替えて「髪と顔やってきます」と階段を降りていったのを廊下で待っていると、隙を計らったようなタイミングで隣の部屋から一夜が出てくる。そういえば会話は全部隣に聞こえるんだった。
一夜は俺に一歩近寄ると、ポケットから4つ折りにしてあるルーズリーフらしきものを取り出し俺のほうに差し出した。
「これを一応幸谷に渡しとく、本当は詩乃に渡そうと思ってたんだけど……」
その小さな折り畳まれた紙は、外側には罫線しか見えず何が書いてあるか見当がつかなかった。俺はなんとなく受け取ってしまったが、今見る気はなかったので俺はそのままポケットへと滑り込ませる。
「あ、それは幸谷が思っているようなものじゃないから……」
一夜は俺がその紙を見なかったのを気にして彼が補足を口にした時、階段を上がり少し息を切らした詩乃が二階へと現れた。
彼女はいつものように、肩までかかる髪を綺麗になびかせて、不安さを押し込めて笑顔を作っていた。俺は彼女の方を向くと、
「行くよ!」
俺はそう言って、彼女の手を取ると、雨が降りしきる暗い外へと駆け出した。
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