第1話 四キロメートル分の笑顔

 眩しい朝日が射すさわやかな朝に、俺は玄関のドアを開け唖然あぜんとしていた。そんな思考停止した俺を見て彼女は首をかしげる。


「どうしたんですか? その、まるで昨日のことを全く忘れてて、なんでお前来たの? っていうリアクションは何なんですか?」


「おまえはエスパーか!」


「エスパーじゃなくても、それくらいわかりますよ! お兄さん顔に出やすいですよ?」


 嘘だろと思い俺は顔に手を当てる。しかし、その俺の姿に彼女から生温かい視線が送られているように感じて、顔をかいて誤魔化した。そして、気をまぎらわせるように無理やり彼女に話を振る。


「と、ところで朝から何の用で来たんだ?」


 すると彼女は不思議そうな顔で聞き返す。


「逆に、用事がないと彼女である私はお兄さんの家に遊びに来ちゃいけないんですか?」


「彼女……?」


 俺は首を横に傾げると、斜めに見える彼女は「えっ?」と大きな声で驚く。


「なんですか? その私の一世一代の大告白を無かったことにしようとしてる首の傾げようは」


「告白……? そんな夢なら見たような気がするけど……」


 俺が目線を泳がせながら、適当なことを口にしていると、彼女は「お兄さん……」と先細さきぼそる声で口にする。


 その声に彼女の方に視線を戻すと、彼女はもう笑ってなくてどこか寂しそうな表情もしていた。


「人の告白を勝手に夢にしないでください……私あれでもかなり勇気だしたんですよ」


「ごめん……」


 俺は彼女の真剣な声音に謝ることしかできなかった。いくら明るい彼女とはいえ繊細な部分はあるだろうし、彼女に誠実な対応ではなかったと反省しようとしたところ……


「そういうことなんで上がりますね?」

 

 彼女は急にいつものトーンで、さも当然のごとく部屋に上がろうとした。俺は突然の切り替りように思わず「はっ?」と口にしてしまう。


 そんな呆然とした俺を気にすることもなく、彼女は明るい声で続ける。


「だって、立ち話もなんですから」


「いや、それ俺のセリフ!」


 俺がそう突っ込むも彼女は俺の話など聞かずに、「お邪魔します」と言うと、部屋に上がってしまった。


 俺はふと「勝手にはいるなよ」と呟く。そう口にはしてみたが、それは形式的なものであって、実際のところ止めようとは全く思わなかった。


 彼女は部屋に入ると、スカートを整え、背の低い机の前に正座でちょこんと座る。そして、新品のように綺麗なスクールバックを隣に置く。


 俺は乾燥機にあった来客用のコップに、昨日と同じあったかいお茶を淹れると机へと運んだ。向かいに座る彼女はお茶に口をつけると、コップを抱えたまま思い出したように言う。


「そういえば勝手に押し掛けちゃいましたけど、まだ寝てました?」


「その気遣いのタイミングおせーよ! 慌てて着替えまで済ましたやつにそれ聞くか?」

 

 彼女にパジャマ姿を見られた俺は、即座にトイレで着替えて出てきた所だった。


「いつもならお兄さん寝てる時間ですし、起こすのはかわいそうだったんですが、このくらい早くないと学校が間に合わないから許して下さい!」


 彼女はそう言うと、急いで来たことを思い出したのか、下を振り向き自身のセーラー服を見て、おかしなところが無いか確かめる。 


 彼女が振り向くたびに、ひらひらと軽やかに揺れる白いセーラー服は、彼女の爽やかさをより一層引き立てる。


「前も気になってたけど、その制服って中央高校ものだよね?」


「そうですよ? あんまり可愛くないセーラーの制服ですよ?」

  

 彼女は面白くなさそうに、自身の制服を見ながら言った。


「いやセーラー服可愛いと思うけど……でもあの高校ってここから遠くねえか?」


「あっ、すいません可愛いしか聞こえなかったのでもう一回言ってください」


 俺は少し白い目で彼女を見た、けれど彼女は全く気にしてない。


「中央高校ってここから遠くねえか?」

 

「お兄さん、そんなこと気にしちゃ負けですよ?」


 負けと言われても、流石に四キロメートルもあれば、気だって使う。


「もし仮に彼女だったとしても、別に毎朝来る必要はないからな……」


 俺がぼそっというと、今度は彼女がはっきりとした声で言う。


「確実にお兄さんの彼女である私は! 来たいので来てるだけです。確かにお兄さんが起きる七時半より前に来てしまうのは申し訳ないと思ってますけど。あ、合鍵くれればお兄さんは寝てても構わないですよ?」


「ちょっと待って? なんで俺の起床時間知ってるの?」


 俺がふと思った疑問をぶつけると、彼女はたじろぎ、目をキョロキョロさせた。


「まあ、そこは彼女としてのたしなみで……」


 彼女は明後日の方向を向きながら、ぼそっとつぶやく。


「こわいわ! やっぱ昨日のこと無しにしてもらってもいいか?」

 

 俺は冗談めかして言ってやった。


 すると彼女は怒ったような声で「お兄さん!」と言った。その顔は真剣そのもので、ヘラヘラ笑っていた俺も真面目な顔になる。


「その冗談だけは本当にやめて下さい! こう見えて結構心には来てるんですよ!」 

 

 彼女の悲しそうなつぶやきに、俺は素直に「ごめん……」と言う。


「その他罵詈雑言ばりぞうごん、セクハラ、DVとかは全然気にしないので、それだけはやめてください!」


「その他も気にしようよ! てかその他もいわないから」


「じゃあ、別れようっていう冗談も言いませんね」


「ああ、言わねえよ。つぎ口にするときは本気の時だけだ」


 彼女は少し俯いた。


「そこは、『別れようも一生言わねえよ』って言って欲しかったんですが、まあいいです」


 そこで言葉を区切るとふと台所に目をやり、何かを確認したような素振りをするとこっちに目線を戻す。


「ところでお兄さん、朝ごはんはまだですか? 私作りましょうか?」


 彼女は微笑みながらそう言ったが、俺はその言葉につい不敵な笑みをこぼす。


「残念だったな! ぼっち学生の自炊能力なめんなよ! 昨日の残りがあるから問題ない」

 

 彼女はその胸を張った俺に冷ややかな視線を送るわけでもなく、称賛しょうさんの視線を送るわけでもなく、極めて通常の口調で当然の口調で言った。


「なら、私今から朝ごはん作るんで、お兄さんが作った昨日の残り貰ってもいいですか?」


「はい?」


「あ、材料代なら払いますから」


「え? なんで」


「なんでって、そりゃ彼女たるもの彼氏に朝ごはんの一つを振る舞えないなんてあり得なくないですか?」


「お前の中の彼女のイメージだいぶこじれてるな! お前の俺の妻か!」

 

 そういうとピタリと彼女の言葉が止んだ。そして、彼女は顔を真っ赤にしてうわずった声で驚いているのを見て、俺はやらかしたことに気づいた。


「えっ! え! そ、それって……もしかして?」


「違う、ただのツッコミだから」


「でもでも、まだ、わ、私十五歳ですし法律的には、け、結婚できませんよ?」


「だから、違うんだって!」


 結局、彼女は真っ赤なままだったが、それでも手際良くSNS映えしそうなオシャレな朝食をパパッとを作り上げた。朝食は一気に華やかなものとなった。


 そのあと材料の補填ほてんを理由にいつか一緒にスーパーに行く予定を約束(強制)し、最後は時間がないからとかけって高校へ行ってしまった。


 俺はそのドアから駆け足で出て行った、彼女のうしろ姿を思い、ふと考え込む。


 彼女はこれから四キロメートルの距離を自転車で登校しなければならないし、それ以前にうちに来るのにも結構距離がある思う。だから、朝もすごく早いはずだ。


 それなのに彼女は疲れた素振りを一切見せず、さっきは笑顔で朝食を作ったり、おしゃべりしていた。


 俺の前では笑顔をみせているけど、裏では彼女は多くの苦労をしてると考えると、心を締め付けられる想いになる。


 そして、彼女は俺と付き合うと不幸になるのではないかと強く感じる。


 クラスメートにこんな彼氏見られたら幻滅されるだろうし、万が一何かの間違いで交際が順調に進んだとき、彼女の両親は俺のような甲斐性かいしょう無しを選んだ娘どんな顔をして見るのだろう。そして彼女は最愛なる両親からどのような憎まれ口を叩かれなればならないのだろうか。考えるだけで胸が苦しくなった。


 やっぱり、釣り合ってないよなぁ。


 交際期間10時間程度で、すでに立場の格差に挫折ざせつしていた。

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