第3話 しののこと

 人生で初めて友人の家に入った感想は「明るくてキレイ!」だった。


 玄関のドアを開けると、すぐにシミ一つないまっしろな壁が目に入るし、床は明るいベージュ色の木目調で、暖色の照明に照らされシックに輝いている。まるで、おしゃれなカフェに入ったような気分だ。


 一夜は「建ってからもう10年くらい経ってる」と言っていたけど、それは謙遜けんそんにしか聞こえず、どうみても新築にしか見えない。


「お邪魔します」


 俺は靴を脱いで、そのキレイな床へと足裏から踏み入れる。先に上がっていた一夜は「どうぞ」というと、擦りガラスがほんのり明るいドアを開けてリビングへ通してくれた。


 俺がリビングに足を一歩踏み入れると、そこは、まぶしい光にあふれる明るい空間だった。キッチンとリビングが一体化した開放的な空間で、外からの光も大きな窓が遮ることなく、いっぱいに差し込む。


 小さい頃から住んでいた実家のそれとはあまりにも別空間で、俺は感動のあまりため息をつく。


 実家のような、キッチンとリビングが区切られていて、少し変色した壁に、焦げ茶色で小さな傷が点在する床も、おもむきがあって悪くないけれど、そんな空間で育ったからこそ今ドキの家に憧れる。


 

 彼に「そこ座っていいよ」と言われるまま、背の高いデーブルにつくと、彼はキッチンでオレンジジュースを注いで、二つのグラスを持ってきた。俺が「ありがとうと」とそれを受け取ると、彼も俺の向かい側に座る。部屋には二人だけだったが、静かながらに寂しくない空間だった。

 

 しかも、ちゃんと来客用にジュースもあって、地べたではなくオシャレなイスに座らせてもらえる。どこぞやの待遇とはまるで違った。そして唯一の来客であった彼女に対する随分ずいぶんぞんざいな扱いに反省した。



「それにしても、詩乃の運命の人がまさか幸谷だったとはな」


 彼は俺の方を見ながらしみじみ言う。


 俺はイケメンに見つめられると少し恥ずかしくて目をそらす。そして俺は初めて彼女の名が青山詩乃であることを知った。


「運命の人?」


「詩乃があの日から『私には運命の人がいるから』ってずっと言いはっていたんだよ。まあ家族は実在しないと思ってたけどね」

 

「そうなんだ」


「だから、家族は幸谷と会いたがってるよ」


「えっ? 怖いよ……」


「何が怖いんだ? 別に悪いことしてないよね?」


「だって、可愛い可愛い娘さんの相手がこのぼっちで甲斐性無しだよ? そんなの、なんてことしてくれたんだって話じゃん」


「幸谷は相変わらずの卑下っぷりだね。そんな気にすることないのに……」

 

 彼はそこまで言っても不安そうな俺を、なだめるように優しく付け加えた。


「まあ詩乃は外面は可愛いかもしれないけど、家だと結構な残念な人扱いだからそんな萎縮いしゅくすることはないって」


「それでも娘さんをたぶらかしているのは間違いないし……」


「そんなに気をつかう幸谷が、たぶらかしているとはとても思えないけどね」


 そこまで言うと、彼はどこを見るわけでもなく自らコップのオレンジの水面に目を向けながら口を開いた。


「でも詩乃の小学生の時のこと、本当に感謝しているんだ」


「やめてよ! 俺はそんなことしてないって」

  

 俺はキッパリと否定する。すると彼の目が少し大きく開く。


「幸谷はそう思っているかもしれないけど、ウチにとっては違うんだよ」


 彼は少し強い口調で言うとすぐに優しい口調に戻り、在りし日を見つめるように、過去を口にする。


「そりゃ詩乃が孤立していれば俺だって気が気じゃないし、両親はもっと心を痛めていたはずだよ。それが、詩乃が泣きながらも自ら孤立しているのなら余計にね」


 そういえば、あの日も「人付き合いは下らない」と言葉にしていても、その口調にはどこか寂しさを感じられるものがあった。


「両親や俺や先生や仲良かった友達の差しのべる手を跳ねのけて、どうしようもなく意地になっちゃって……。詩乃がそんな状態だからどう接していいかわからずに、家族の中でも笑顔が少なくなっていったんだ」


 彼は眺めていたオレンジジュースに口をつけると、テーブルにコツンと置く。


「でもある晩、詩乃が友達と遊んだこと楽しそうに話たんだ。それにみんな驚いて、父親がおそるおそる聞いたら『運命の人に会ったから』と笑顔で言ったんだよ」


「え、その話やめて。すごい恥ずかしいんだけど」


 そう言うと彼は黙った。そして、口を閉じてにやりと笑うと、また元気よく口を動かし始めた。

  

「それから詩乃は、週末には顔もわからない運命の人の捜索に出かけて、バレンタインにはあげるあてもないのにチョコレートを作って……」


「ストップ! やっぱ君の妹の人生狂わせてるじゃん! 罪悪感が強すぎてそれ以上聞きたくないんだけど」

 

「あと誕生日プレゼントは、出会った日を誕生日として毎年準備してたから、タンスの中にたまってるんじゃ無いか?」


 彼は俺の言葉なんか聞いちゃいなかった。彼は一方的な独白ともいえる、主に俺が罪悪感と恥ずかしさを感じる過去を語り続けた。


「さらに言うと、もらったラブレターも年間百通は超えてたらしいけど、それらはもれなく本人に返したらしいよ……ってごめん言い過ぎた」


 俺がノックアウトして机に顔を突っ伏せていたのに気づいて、彼は言葉を止めた。


「やっぱ俺は別れたほうがいいわ、妹の人生歪めすぎだろ俺」


「幸谷は気にしなくていいと思うよ。だって詩乃が勝手にやったことなんだし、むしろ幸谷は被害者だよ」

 

「俺があの時、少女に話しかけなければこんなことには……」

 

「でもあの時、幸谷が話しかけなければいじめられていたと思うけど、それでもいいのか?」


 俺がため息混じりについた言葉を追いかけるように、強い語気で口早に言った。爽やかな彼が珍しいことに意地を張ってるように見えた。


「彼女は自力で変われたと思うよ、だってあんなに明るいから」


 俺は彼女に否定されようが、これだけは本気で思っている。俺の前で明るく振る舞う彼女は、たぶん俺がいなくてもいつか変われたと思う。だからやっぱり俺は何もしていない。


 俺がそう言うと、彼は一瞬険しい顔をする。爽やかな普段からは想像もできない表情で俺は少し身構えてしまう。


「幸谷は詩乃が明るいヤツだと思ってるの?」

 

「すごく明るいと思う、それこそ眩しすぎるくらいに」


「じゃあ、元から明るいヤツが孤立したと思うか?」


「え?」


「人間不信におちいった詩乃は周りの言葉も聞かなかったんだ。それこそ、『私の気持ちもわからないのに』と周りを突っぱねてね。だから、他のやつが同じことをそのまま言ったところで受け入れないかったと思う」


 昨日彼女が言っていたのと同じような事を言っていた。


「だから、同じ境遇で気持ちがわかる幸谷だけだったんだよ、あの時の孤立した詩乃を救えたのは」


 俺は俯いた。彼がそう言ったって、当事者がすごく感謝したって、俺には認められなかった。だってヘラヘラ生きていた俺がたまたま少女に出会って、少し話しただけだった。それだけなんだ。


「まあそんな暗い話ばかりをしていても仕方ないな。そろそろ俺の部屋に行くか?」


 俺が反論しようと思ったが、その前に彼に話を流されてしまった。


 とはいえ、こんな話してても仕方がないのは事実で、俺は釈然としないままこの話を心にしまいこんだ。

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