後日譚2 あの日の裏側

 俺は雨の中を駆けて行った彼らを、窓越しに見送ることしかできなかった。


 彼らのいなくなった窓越しの景色には、強く雨粒が打ち付けていて、何か不吉な雰囲気を醸し出している。俺はそれから目を逸らすように、部屋のカーテンをぴしゃりと閉めたけど、アスファルト打ちつける雨粒のザーザー音は消えることなく、俺の耳にまとわりつく。


 彼らが家を出てから二十分、俺はいまだに落ち着くことができず、部屋の中をうろうろしていた。


 行きがけの様子だと幸谷がメモを見ることはないだろう。もしそうならデートスポットとかにうとそうな彼は、行き場を無くしているかもしれない。そして二人の間の空気は、気まずくて最悪なものとなるかもしれない……


 考えれば考えるほど、心の中が不安で支配されて行く。


 ちゃんとメモを見せておけば良かったとか、昨日もうちょっとうまく立ち回れれば良かったとか、そんなどうしようもない後悔ばかりが思い浮かんでくる。



 俺は詩乃の失望したあの様子を見たとき、だらしない詩乃を叱咤しったし外へ連れ出そうとしてくれた幸谷の目を見たとき、幸谷に渡すべきだと直感的に感じ、メモを幸谷にたくした。振り返ってみて、この判断が正しかったかなんてわからないけど、俺にとって最後の望みを掴み取るための賭けだった。


 だから、お願いだからメモを見てくれ……


 俺は手を合わせて、大雨の外と部屋を隔てるカーテンに祈った。


 もちろんこんな事が無駄なことくらい、頭ではわかってる。でも俺には奇跡を願うことしか出来ないことも、痛いほどよく理解していた。


 俺はため息をついた。


 今は何を考えても思考がネガティブな方向にしか向かなくて、考えれば考えるほど、別れたふたり後のイメージが湧いてくる。


 もしふたりが別れていたとして、次、幸谷と会った時どのような反応をしたらいいのだろうか……


 そもそも、二度と会ってくれない可能性だってある。俺と彼をつなぐものは同じ大学というだけであって、大学で無視されればいとも簡単に縁が切れてしまう。


 俺はまた一つ大きなため息をついた。


* * *


 部屋にいてもネガティブな思考に支配されて、かといって外に目をやっても大振りの雨。気を紛らわすためにリビングに降りてテレビもつけてみたけど、それも全然面白くなかった。


 結局もどかしさは解消されそうにない。


 テレビの眩しい画面の中では、「なんと今なら半額です!」の謳い文句で、炊飯器を売っていた。次から次へとチャンネルを変えてみても、どこも似たようなものだったから結局、面白くない炊飯器のチャンネルに戻る。土曜日の朝間なんてこんなものなのかもしれない。


 俺はまた大きな大きなため息をつくと、テレビから目を逸らした。

 すると、いつものリビングの中で、ふと目の前の空席が目に留まる。


 そこはちょうど数日前、幸谷とふたりで話した時に座っていた場所だった。幸谷が家族と一緒に、食卓を囲ったのもあの日だった。


 その遥か昔の光景はすぐに頭に浮かんできて、やけに眩しく再生された。俺はその空想を振り払うように頭を振る。それを空想をしたら、本当に終わったものと認めているみたいで嫌だったから。


 俺は再度目の前のテレビに目を凝らし、集中しようとした時、玄関からドアが開く音がした。


 その音が耳に触れた瞬間、反射的に玄関の方に目を向けた。もちろんそこにいるのは、詩乃や幸谷ではなく、買い物帰りの見慣れた母だったけど。


 母は俺と目が合ったとき、意外そうな顔をした。


「あら、一夜は今日は家なの?」


 母は買い物袋を引きずるように冷蔵庫の前に運び、中身を一つ一つ冷蔵庫に移していく。


「まあ、こんな雨だからね」


 俺が雨と言う単語を口にすると、母はため息をつきながら愚痴を言いはじめた。


「ほんと雨酷かったわ! 重い荷物持った上に傘さすの大変だったんだから!」


 それに対して俺が「へぇー」とか適当に返していると、ふと母はリビングを見渡した。


「そういえば、今日詩乃は?」


「詩乃は、今日デートにいったよ」


「デート?」


 母は不思議そうな顔でこちらを振り向いた。母はやはり食いついたけれど、ややこしいことになるからあえて現状は伏せておく。


「そうそう、普通にデートだよ」

 

 俺が適当にあしらうように言うと、母はこちらから目を逸らさすことなく、疑いの目を向けてきた。


「なにかしら? その、本当のことを言ったらめんどくさそうだから敢えて本当のことを伏せとこうと思って適当にあしらってそうなその声音は」


「あんたはエスパーかっ!」


 俺はそうツッコむけど、それと対照的に母は真面目な顔をしている。


「私が詩乃のことに気付いていないと思った?」


「…………」


「だってここ数日の詩乃を見ているとおかしいことくらいわかるよ。まるで、あの日の詩乃のように見えて仕方なかったから、何が起きたのかくらいの見当はつくわよ」


 『あの日』と口にした時、母は少し苦しそう顔をした。


「じゃなんで黙っていたの?」


「あの日だってそうだけど、私たちには解決できないじゃない? だから、私たちは見守るしかできないのよ……」


「そうだね……」


 俺が暗い顔をして呟くと、二人とも暗い顔になってしまった。それに気付いた母は、急に明るい声を出した。


「まあ、ダメだったことばかりを気にしても仕方ないでしょ! うまく行った時のことを考えなきゃ。ねっ!」


 俺は母の暗い部分を受け入れながらも、前向きな姿勢に少し信頼を覚えた。だから、俺は「そうだね」と口にすると、詩乃のアフターケアのことも考えて、素直に全てを話すことにした。


 俺は幸谷の罪悪感と、詩乃の置かれている立場、今日のデートの意味についてちゃんと母に語った。


「それはやっぱ、詩乃と大野君を信じるしかないわね……」


 母はひとつため息をついた。そして、そのため息を打ち消すかのように明るいトーンで話す。


「でも、きっと仲直りして帰ってきてくれるはずよ!」


 そして母はわざとらしく大きくうなずく。


「うん、きっとそうだわ! それでもし仲直りして帰ってきて、ドッキリでも仕掛けるんじゃない? 私だったら仕掛けるわ!」


「いや、お母さんは詩乃と違うから! どこからドッキリの発想でてくるんだよ……」


 俺は前にもしたことがあるようなツッコミを再びする。


「私だったら、わざと泣きながら帰ってきて、家では落ち込んだままにして、でも彼と会えないのは寂しいからちょくちょく遊びに行くかしら」


「それ会いに行ってたらバレるから……」


 俺が呆れたように苦笑いしてるのも気にせず母はさらに続ける。


「そこは大丈夫! 早朝に、悲し過ぎるからちょっとスッキリしてくるって言って、泣き叫びながら走っていけば、まさか彼の家に行ってるとは考えづらいし、周りもかわいそすぎて追っても来ないでしょ!」


 たぶん母は母なりに励ましてくれているのだと思う。だから、こんな冗談みたいな話をするのが、こんな今にはぴったりなのかもしれない。


「そんな発想が思いつくあたりがすげえと思うわ。でも、それ数日したら怪しまれちゃうでしょ」


 俺は笑いながら言った。そしたら母は……



「そのときは、ランニングが趣味になっちゃったとか言って、ランニングウェアでも着て堂々と走るかな」


 母も笑いながらそう言った。


 結局俺たちには待つことしかできない。


 だから、例えどんな状態で帰ってきたとしても、こっちが詩乃を受け止めてあげられるように、俺は笑顔でいなきゃいけない。


 俺はそう思うと、頬を叩き、母に笑顔を見せて、いつも通りの土曜日を過ごすように心がけた。

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