第35話 寺社奉行
宗看が名人に就位したのは享保十三年。
『将棋無双』を献上したのが享保十九年。
これを短いと見るか長いと見るかは人それぞれであろう。
おそらくは名人就位前から備えていたはずではあるが、前代未聞の傑作を仕上げたにしてはおそろしく短いというのが筆者の率直な感想である。
ちなみに、宗看は名人に就位した二十三歳から六年かけた二十九歳で献上したことになる。
兄弟たちで言えば、宋寿は十四歳から二十歳。看恕は十三歳から十九歳。看寿(政福)は十歳から十六歳に成長している。
ただし、現代の感覚で言えば、これよりも一歳から二歳は年下だ。
満年齢ではなく、元日に皆が年を取る数えでの年齢だからである。
数え年という感覚を現代人は理解し難いかもしれないが、これにはいくつか理由がある。
当時の暦は
太陰暦には約三年に一度の周期で
より詳細には約十九年で七回。
つまり、一年の長さが年ごとに異なっていた。
閏月に生まれていれば、誕生日がないという場合もある。
だから、現代の誕生日による満年齢での数え方では不都合だった。
他にも、年が変わる毎に一斉に年齢を重ねた方が『管理が楽』という見方もできるが、技術も未達な時代なのだから仕方なかった。
過去と現代ではあらゆる物事で常識や尺度が異なっている。
筆者は弟たちをやや幼い印象で描いているが、当時の封建制度の影響や、将棋に専念している純粋な人格を想定した結果である。
――純粋さ。
これは現代の棋士たちにも共通する強さなのかもしれない。
それだけ純化せねば、同じような天才たちと戦い続けることは難しいのだ。
そもそも、
相手よりも強いのであれば、正々堂々戦えば良いのだ。
それができないのは相手よりも強くない、戦っても勝てないからだ。
ただし、そういった逆境は普通に生きているだけでも、まま陥る事態である。
常勝無敗なんて人間も『勝てる分野で戦っているだけ』という場合が多い。
人間は完璧な存在ではないからだ。
しかし、だからこそ、正攻法で戦えないときこそ、本当の強さが試されるのかもしれない……。
+++
将棋家を管理していたのは寺社奉行である。
寺社奉行は老中へ出世する為の最有力の地位であった。
格としては大名の地位にあり、勘定奉行や町奉行よりも位が高い。
ちなみに、大名とは一万石以上の武家を指しており、封建制度らしい狭き門であった。
生まれついて良い家に生まれた者が能力と適性に恵まれていれば良いのだが、そうとは限らないのが世の常だ。
そこで能力はあるのに、石高が満たない者が寺社奉行になるための制度が作られた。
それが享保八年(一七二三)に徳川吉宗が制定した『
その名前から寺社への奉職のみと勘違いする者もいるかもしれないが、寺社奉行はその他にも『
その関係は支配・被支配の厳格で冷ややかなものであった。
封建社会なのだから当然の話である。
それは将棋家も逃れられなかった。
しかし、宗看が名人に就位したのと同じ年――享保十三年(一七二八)に寺社奉行となった
+++
「宋看殿! よくぞ参られた!」
「井上河内守殿、このような場を設けていただき、誠に感謝しております」
井上河内守正之は満面の笑みを浮かべていた。
それは支配下にある人間に向けるものではなかった。
宋看はただただ平伏するばかりである。
普段とは違い、彼の表情から険しさが完全に失せている。
普段の宗看からは想像もできないほど、朗らかな笑みを浮かべている。
しかし、目の前に
だが、その上役である井上河内守は上機嫌に笑っている。
「いやいや、拙者が希望したのである。それは間違いであろうよ」
「私としても楽しみにさせていただいております」
「ふむ、そうか?」
「ええ、井上河内守殿は信じられない上達をしておりますから。教える立場としても
「ええい、過剰な世辞はよせ」
「いえいえ、事実ですから。私は噓が苦手なのです」
はっはっは、と二人で笑い合う。
井上河内守は将棋が大好きであった。
だから、宋看と
その縁もあり、井上河内守を介して茶会めいた将棋道場を開いて貰っていた。
座に将棋好きな旗本などの有力者を集めたのだ。
それは門弟と
この将棋道場の目的はただ一つだった。
「おお! 河内守殿がまた勝たれたぞ!」
「強い。圧倒的ではありませんか」
「
井上河内守の実力を周囲の人間に知らしめる為のものだった。
将棋家の
そういう空気を作る為だった。
そして、それは大成功であり、井上河内守の実力がそもそも周囲よりも高かったこともあるが、連戦連勝を果たしていた。
井上河内守は勝利に頰を上気させながら言う。
「それもこれも、将棋家の秘術を授けられた結果ですぞ」
宗看は「いいえ、それは違います」と否定する。
「秘術を授けようとも、上手く使えねば意味ありませぬ。確かな実力を身につけられているのです」
「そうか?」
「ええ、宝の持ち腐れという場合は多いのです。井上河内守は本当にお強いのですよ」
井上河内守は当然という顔をしているが、事実、好きこそものの上手なれ。
確かな実力者である事は噓ではなかった。
その表情を見て、宗看はひとつの提言をする。
「この間は四段としておりましたが、そろそろ、五段への昇段を考えるべきかもしれませんね」
「ほう」
井上河内守に喜色が広がっていく。
「本当に世辞は止めよ。
「ははは、私は生まれてこの方一度も噓を吐いたことがないのが自慢なのですよ」
場に笑いが広がる。
井上河内守が周囲の将棋好きの侍よりも頭一つ抜けた実力があるのは確かな事実だった。
将棋家の門弟になれば、強くなれる。
そういう風評が広まれば、結果、門弟として興味を持つ旗本や大名が増える。
更には商家や民衆にも
『鬼宗看』という異名もそれに一助していたのかもしれない。
人は争う事が好きな生き物だが、戦国の世が終わり百余年。
将棋で競うことを代償行為とし、喜びを得る者は存外多かったようである。
つまり、宗看のこの狙いは着実な成果を生んでいた。
宋看は
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