第28話 『碁将棋由来書』

 享保十二年(一七二七)正月。

 寺社奉行の黒田豊前守直邦くろだぶぜんのかみなおくには碁所と将棋所に対して、事蹟調査じせきちょうさのために由来書の提出を命じた。


 由来書とはなにか?

 簡単に言うと、将棋がどういった歴史を持っているかについて文章化したものだ。

 その提出を上役から求められた――しかし、問題があった。

 将棋家の面々は由来書が一体、どういうものなのかよく分からなかったのだ。

 宋与名人が体調を崩している事もあり、現在の将棋家には、そういった未知の事態に対処できる経験豊富な人材がいなかったのだ。


 宗看が中心となって由来書を作成することになったが、やはり経験不足は明らかですぐに行き詰まってしまう。

 そこで将棋家は、囲碁家の林門入はやしもんにゅうに助言を求めた。


 余談であるが、囲碁家と将棋家はそれなりに懇意こんいだったようである。

 たとえば、御城将棋が行われていた十一月十七日。

 実は囲碁も将棋と同じ日、同じ部屋で行われていた。

 現代では囲碁の日は一月五日として制定されているが、これは二〇一三年と平成も後半に差し掛かってからの話。

 もしかしたら、十一月十七日は囲碁の日だった可能性もあったのだ(将棋の日は一九七五年に日本将棋連盟が制定している)。閑話休題。


 江戸時代の囲碁は本因坊ほんいんぼう家、安井家、井上家、そして、林家の四家が家元だった。

 ただし、囲碁家は将棋家に比べると、同じ家元とはいえ明確な格差があった。

 この時の林家は五世の因長いんちょうが家長である。

 彼は林家で唯一名人を目指したし、目指すだけの実力の持ち主だったが、その夢は叶わなかった。

 林家からは一人として名人が生まれなかったのである。

 将棋家は三家全てから名人が輩出されているので、明確な差がある。


 林家は他家よりも家元として成立するのが遅く、故に軽んじられていた一面は否めない。

 逆に、将棋家としては気楽に話が聞きやすかったという一面もあったのかもしれない。


   +++


 伊藤家の道場の上座である。

 板張りの床からは変な音がするし、座布団も薄い。

 お茶も出涸でがらしのように薄い。

 しかし、上げ膳据え膳の待遇は悪くない、と林門入は考える。

 ただ、その喜びも長続きはしない。

 教えをわれているのだから当然の話でしかない。

 自分が、わざわざ足を運んでやっただけでも感謝が足りないくらいなのだから、むしろ、この程度では不足だった。


 三代伊藤宗看の話は林門入も最近よく耳にする。

 鬼のように将棋が強い、という。

 将棋なんて囲碁に比べれば大したものではないが、鬼宗看という大層なあだ名に相応しい外見はしている。

 正直、闇夜で遭った悲鳴をあげて回れ右をする。

 そんなあだ名の偉丈夫いじょうふが、叩頭こうとうして教えを請うのだ。

 林門入の気分は上々であった。

 できるだけ力を貸してやろうと寛大な心で考えていた。


 ちなみに、その座にいた将棋家の人間は、


 伊藤宗看

 大橋宋寿

 大橋宗民


 以上三名だった。


 口火を切ったのは宗看。

 厳かな態度で質問する。


「林殿……由来書を作成するに辺り、必要なことは何なのでしょうか?」


 将棋家の面々を前にして、林門入は厳かに言う。


「大切なことはたくさんある」

「それはそうでしょうが……」


 宗看はやや困惑した様子だ。

 どうやらつかみを間違えてしまったようだ。

 もったいぶっても仕方がない、と林門入は咳払いをしてごまかす。


「とにかく、一番大切なことは、殿ということだ」

「……ふむ、その心は?」

「たとえば、黒田殿は寺社奉行として優秀であっても学者ではない、と言えば分かるか?」

「なるほど……つまり、大切なことは『いかに分かりやすく』書くかということですな」

「その通り」


 宗看だけはこちらの言いたいことを理解しているようだ。

 ニヤリと悪い笑みを浮かべている。

 それに対して、大橋宋寿や大橋宗民は理解の色が薄い。

 宗看は二人に対して、ゆっくりと説明するように言う。


「いいか、その『分かりやすく』というのが肝になるわけだ」

「それは丁寧に書くということでしょうか?」

「それは前提だな」

「前提……? 宗看殿、分かりやすくお願いします」


 宋寿、宗民が口々に宗看に訊ねているが、その姿に一瞬だけ林門入は違和感を覚えた。


 ――ん?


 その違和感の正体があまり理解できず、ただ、気になったので林門入は少し様子を見ることにした。

 口数を減らし、三人の会話に耳を傾ける。


「『分かりやすく』――それはどの部分だと思う?」

「ですから、将棋家の由来や実績でしょう?」

「そうだな、もう少し踏み込んで考えてみようか。その由来や実績はどうすれば分かりやすいと思う?」

「それは、いかに将棋家が、将棋のために尽くしてきたかということを、丁寧に説明することです」

「丁寧にって部分をもう少し踏み込んで考えてみろ。誰とどこでどんな将棋を指したか、なんて部分が実績になると思うか? 大して将棋を知らない人間が正当に評価できると思うか?」

「? なりませぬか?」

「ならないね。なぜならば、将棋家のことなど寺社奉行殿からすれば、だ。自分よりも見下している人間たちが何をしていようがどうでも良い」


 宗民と宗寿が分かりやすく閉口する。


「だから、、だよ」

「……そういうものですか」

「そういうもんだ。だから、大切なことを簡単に言うと、だ」

「はい」

だ」


 宗看の言葉は真実の一端を言い当てていた。

 人に『偉い』と思われる為には独特の技術や振る舞いがあり、周囲がそう扱うように仕向ける必要があった。

 周囲から丁重な扱いを受けねば、その価値が分からない人間は少なくない。

 結局の所、人が権力を求めるのはその為である。

 周囲が評価しているから価値があると思い込む人間がいるからだ。

 そういう人間を引き込む為に必要な事が『はったり』なのだ。

 偉そうにしておけば、偉いと勝手に勘違いしてくれるものだ。

 林門入は、宗看の鋭さに舌を巻いていた。

 宗看は、これで正解ですよね、と林門入にただす。

 林門入は、そうである、と大仰に頷く。


「つまり、いかに将棋は偉大であるか、と伝わるように書けば良いのですか」

「そういうことである。他にもいろいろあるが……たとえば、歴史は可能な限り長い方が良いだろうな」

「なるほど、歴史が長く続くほど価値があると思わせるわけですね。儒教の観点からも理に適っていますな」

「その通り。囲碁は『史記』『論語』にも記述があるが、将棋はそこまで長いのかね?」

「きちんと記録があるの豊臣秀吉公が天下を差配さはいしていた頃です。だから、そこまでではありませんね」と宋寿。

「それは少し歴史が浅く感じるかもしれんなぁ」

「では、どのくらいが古いと言えるのでしょうか?」と宋寿。

「そうですな……源平の頃が妥当ではありませんかね」と宋与名人の代理の大橋宗民。

「駄目だ駄目だ、それでは新し過ぎる!」


 宗看は宗民の意見を一蹴したので、宗民は首を傾げて聞き返す。


「それでは、どのくらいが妥当だと思われますか?」


 都が奈良にあったくらいまではさかのぼるだろうな、と林門入は思った。

 大宝律令の時代にまで遡られたらどうしよう、と宋寿は思った。

 宗看の事だから大和王朝までは遡るだろうな、と宗民は思った。


 宗看は三人の顔を見渡して断言する。


「ま、囲碁と揃えて、大昔の大陸由来にすべきだろうさ」


 林門入は唖然とさせられた。

 宋寿は笑ってしまった。

 宗民は苦笑するしかなかった。


「つまり、最低でも二千年は遡るべきだろう」


 三人は宗看を見くびっていたことを思い知る。

 大噓であることは将棋家に所縁のあるものならすぐに分かる。

 これを公文書として提出するというのだ。

 心が強いなんてものではない。


「あとは、先ほど宗看殿が言っていた通り、古の賢人の名前を借りるのも有効であるが……」

「なるほど、つまり、最低でも信長や秀吉の名前も入れるべきですな」

「兄上……」

「宗看殿……」


 あまりの柔軟さに宋寿と宗民が閉口している。

 何故か決定事項として話は進んでいた。


 そこで林門入は先ほどの違和感の正体に気づく。


 宗看の意見が全面的に採用されている。

 宗寿も宗民も意見は言っても、宗看を尊重している。

 囲碁家とは違い、一応、対等な立場のはずなのに――その違和感だった。

 

 この中では最年長であるし、宗寿にとっては兄でもある。

 そういうものか、と林門入は納得してそのことを忘れる。


 協議の結果、おおまかに方向性が決まったので書き始める。

 将棋は孟嘗君がその形を考えた事から始まりました――と、紀元前中国の政治家の名前を勝手に引用していた。

 正確には次のようなものだ。


   +++


 口上

 将棋の起りは孟嘗君初て其形を作り其始周武帝に始り

 其後司馬温公将棋の図法を作り候由

 本朝へ伝来は何の時より伝来仕候哉分明に相分不申候

 小将棋は古来王将の頭に酔象を置き左右の金将の頭に猛豹をならべ置き申候

 其外替義無御座候

 宇治大納言工夫候て

 酔象猛豹を除候由

 夫より上手も出来将棋翫来候よし承及候

 只今の唐の将棋は駒も円く御座候

 又駒を盤の筋目にならべ申候申承及候

 左候へば本朝の将棋と唐の将棋は相違申候と奉存候

 中将棋大将棋など有之候へ共

 私共家にては左のみ頓着不仕候義故とくと鍛錬不仕候

 右いつ時分始り候とも存不申候

 本朝に於て前々より将棋翫来仕候処

 就中信長公御時代より世に発行

 秀吉公以来将棋所被仰付

 自是手合等相定申候

 以上

 未正月

                          大橋 宗与

                          伊藤 宗看

                          大橋 宋寿


   +++


 孟嘗君の他に周武帝や司馬温公など、大陸の偉人を平気で使用しているというなかなかの厚顔っぷりである。


 無論、大噓だ。

 もう少し穏当な表現を使えば『はったり』である。

 寺社奉行からの要請だが、裏取りをされるわけがないので宗看は最大限のはったりをかましていた。


 余談であるが、実際の将棋の歴史はここまで古くはない。

 いや、その起源をインドのチャトランガに見れば、十分に古いのだが、上記の『酔象猛豹を除候由』とあるように現代の小将棋の形に進化したのはそう古いものでもなかった。


 囲碁に比べるとやはり歴史は浅いので、そこで偉人の名を借りたのだろう。

 虎の威を借る狐という弱者の戦略だった。

 当時の将棋家は権威を欲していたのだろう。

 それだけ後ろ盾が欲しかったのかもしれないし、それだけ保証のない存在だったともいえる。

 宗看はきっとうそぶいたに違いない。


呵呵カカ、どうせだったらもっと派手なものにした方が面白れぇじゃねぇか」


 ――と。


 いや、単に楽しかったのかもしれない。

 自分たちのやっているものが長い歴史を持ち、価値のあることだと信じたかったのかもしれない。

 それは外連味けれんみが美味しく味わえる、伝説の生きた時代だった。

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