第36話 三十
献上図式は百題から成る。
この百題の詰将棋という縛りは、大橋宋古二世名人に始まった『将棋智実』から大橋宋与六世名人の『将棋養真図式』まで変わらない伝統だった。
鬼宗看の図式はどれもこれも超絶的な傑作揃いだったが、それでも百題もあれば優劣がある。
そして、その中には後世でひと際絶賛されているものがあった。
+++
ある日、大橋宋寿が伊藤家を訪れると、外まで笑い声が聞こえてきた。
この笑い方は宗看――兄だ。
それは解放感に満ちた心底から楽しそうな笑い声で、一体何事かと思う。
比較的、険のある兄にしては珍しいことであった。
「お邪魔します」
「おお、宋寿殿ではないか」
「はい。ちょっと今度の稽古のことで伺ったのですが……一体どうされたのですか?」
宗看は養子に行ってから宋寿を対等な立場の相手として扱っていた。
それが一人の大人としての作法と言わんばかりに礼儀を払う。
「まぁ、ちょっとこれを見てくれないか」
宗看が手渡したそれは
宗寿はすぐに悟る。
「ああ、献上図式の一題ですか?」
「ああ、そうだ」
「これは……持ち駒なしですか」
「うむ」
それは見るからに難解そうな詰将棋だった。
ひと目でどうこうできるような代物ではないことは間違いない。
いや、兄の笑い声からすると会心の出来に違いなく、宗寿では手に負えない可能性さえもあった。
しかし、宗寿は本能的にその問題を解き始める。
――持ち駒がないので、初形の駒のどれかを動かすしかない、さてどの駒か。飛車を動かす手はなさそうだ。つまり、初手は金を動かすしかないのか。
宋寿は考え始めたが、あまりの難解さに目眩を覚える。
少し触れてみただけで理解してしまう。
これは凄い!
なんて作品なのか!
真剣に考えないと絶対に詰ませられない!
真剣に考えても容易ではない!
宋寿の目眩は難解さに怯んだからでない。
ある種の
将棋家の一員として生まれてこの方必死に修行してきた。
故に、古今の図式にいくつも挑んできたが、ここまでの作品は記憶にない。
そこで宋寿は一つだけ気になったことを質問する。
「……もう看恕や看寿は解いたのですか」
「いいや、まだだが。完成したばかりでね、宋寿殿に初めて見せたよ」
「なるほど。それでは、私が先に解いてみせましょう」
宋寿の宣言に、宗看は不敵に笑う。
「応。その意気や良し。二人にもすぐ解かせてみよう。誰が一番か競争だな」
「もし、
余詰とは、出題者である宗看の考えとは別に解答があることだ。
それはつまり、その作品が失敗作であったらどうするのか、という問いである。
だが、宋寿の挑発的な言葉を宗看は一笑に付す。
「ぜひ見つけて欲しいものだね」
それだけの自信作ということか。
それは腕が鳴る。
宋寿の挑戦は始まった。
+++
宋寿は自宅に帰る途中も詰将棋の図面が頭から離れず、野良犬の尾を踏みそうになって二度ほど吠えられた。
生類憐れみの令が生きていたら、処罰されていたかもしれない。
それくらい没頭し、前が見えなくなっていた。
人とぶつからなかったのは運が良かっただけである。
よく無事家にたどり着いたものだと我に返った後に、宗寿自身も思った。
宗看の自信作はどれだけ意気込んでも簡単に解けるようなものではなかった。
意気込みが空回りしているわけではなく、根性や気合でどうにかなるほど容易い問題ではなかっただけだ。
必要なのは冷静な局面を読むの力のみ。
詰将棋を解いているうちに夜が更けた。
寝食を忘れ没頭する。
しかし、考えても、考えても、どこかに
果たして、本当にこれは詰みがあるのだろうか?
そんな疑いすら生まれそうだった。
しかし、あの兄の自信作なのだから、自分の実力不足から疑うのが筋だろう。
どういう作意で、どういう収束を目指しているのか?
昼夜を問わず、考えて、考えた先に、宋寿は閃く。
ああ、そうか!
最初の捨て駒は
初手の伏線が四〇手も後に響くのである。
初手の金を捨てる意味に気づいてから一気に視界が広がった。
それは
馬鋸とは、詰将棋で長手数の手順を得るために使用される趣向の一つである。
馬を鋸の刃のようにジグザグに使い、玉を追いかける動きからそう名づけられた。
ちなみに、馬鋸は
しかし、それ以来、誰も再現できていなかった趣向である。
宗看の手により、それから二十年弱の年月を経て、しかも、ずいぶんと洗練されたものに昇華して、馬鋸は
その筋を思い出してから宋寿は収束が見えてきた。
それはあまりに美麗な作物図式であった。
二回目の左右逆転となる馬鋸は見事以外の言葉が見当たらず、宋寿は兄の思考の美しさに感嘆の息を漏らす。
ここまで美しい図式が今まで存在しただろうか? いや、ない。
完璧としか言いようがない。
明らかに今までの図式とは次元が違う。
ただただ素晴らしかった。
そして、解答の道筋を発見し、宋寿は歓喜に打ち震えた。
――詰将棋は芸術なのか、という疑問がある。
世の中には異を唱える者が一定数いるが、詰将棋の中には、芸術と思えるほど洗練されているものも少なくない。
しかし、それでは何故、是と頷けない者がいるのだろうか?
例えば、大和絵や茶道、華道、雅楽などが芸術であるという意見に異を唱える者は少ないだろう。
では、詰将棋とそれらの芸術との違いは何であろうか?
筆者の個人的な感想であるが、それは鑑賞や観賞の敷居が高いからではなかろうか?
絵の
ある一定の知識や棋力が必要とされる。
要は『謎』としての側面が強すぎるのだ。
将棋の駒の動かし方を知り、ある程度以上鍛錬を行わないとその価値に触れることさえ不可能。
ひと目見たり、味わったり、聞いたりして『試す』ということが難しい。
初心者に優しくないので、抵抗が生まれてしまう。
しかし、それでもやはり詰将棋には芸術的側面が紛れもなく存在している。
何年も、いや、何十年もかけて一つの作品を作り上げる熱意が込められているのだ。
その熱量たるや尋常なものではない。
それが絵画や演奏、小説や俳句などに劣るわけがない。
あまりにも素晴らしい詰将棋は人を感動させる。
実際、宋寿は解き終えた達成感と宗看の作図の素晴らしさに打ち震えていた。
動けず、ただ呻いていた。
知らず、涙が
こんなものを創れる人間がこの世にどれだけいるのか。
将棋の歴史上最高級の才能の持ち主が、長い年月をそれだけに費やしてきた結晶である。
それは国宝の茶器と比しても決して劣るものではなかった。
凄い、凄い。
本当に凄いのだ。
詰将棋が芸術かどうかという論争も、宗看の作るものが芸術でないとは認められないだろう。
宗看は間違いなく入神の域に達していた。
初形から最終形に、一一七手をかけて完成するのだ。
あの初形から、左右対称の完成形になるのだから信じられない。
もちろん、収束だけでなく、その趣向も完璧である。
こんなことが可能だという発想さえ、宋寿のような凡人には生まれ得ないものだった。
それは悔しいことだったが、同時にここまで素晴らしいものに触れられたことへの感謝も大きかった。
序盤の鮮やかな伏線捨て駒から往復四十手の馬鋸、軽妙な右辺の応酬と再度の馬鋸、龍の大回転で左右対称に詰め上がる奇跡の結晶。
非の打ち所がない傑作であった。
それは宗看の『将棋無双』の中でも屈指の出来栄えで、第三十番目に位置し、後の世で『神局』と讃えられることになる作品だった。
+++
宋寿は解けたことを報告しに、伊藤家へ足を向けた。
宗看は楽しそうな笑顔で出迎えてくれた。
「よう、宋寿殿。その顔は解けたって顔だな」
「はい!」
「じゃあ、教えてくれないか。答えを」
宋寿は解き明かした解答を宗看に伝えた。
宗看はとても嬉しそうな顔で笑った。
「なるほどね」
「正解ですよね!」
「先に解いた感想を聞かせてくれないか。なかなか苦心したんだぜ」
「素晴らしいです!」
宋寿は
それはずっと宋寿が解きながら考えていたことを、その熱量とともに伝えていた。
非の打ち所がない傑作、とまで伝えたところで宗看が俯いていることに気づく。
「宗看殿?」
「いや、ちょっと待ってくれ」
そこで宋寿は気づく。
宗看は耳まで赤くなっていた。
照れているのだ。
「いや、そこまで褒められると、その、照れるな……」
「素直な気持ちです! 空前絶後の傑作であると思います! きっと数百年先も語り継がれるに違いありません!」
「いや、そのあたりで勘弁してくれ……」
自分も興奮で上気しているが、宗看はより赤くなっている。
宗看は咳払いをして仕切り直す。
「ところで、だ」
「はい?」
「先程の解答だが、惜しいが間違いだ」
「え?」
「最初に金を取っただろ? あれは逃げないと駄目なんだよ」
「……!」
そう言われて悩み続けていた宋寿は気づく。
「一一九手詰め!」
「そう、最初に逃げることで二手増える。それが正解だ」
華美な馬鋸など目を惹く趣向が多く、最初のちょっとした罠に気づかなかった。
詰将棋は攻める方も受ける方も最善手を続けなければならない。
最初の罠を宋寿は見落としていたのだ!
「こういうちょっとしたことも重要なんだよな。ちなみに、最初に解いたと言った看恕も同じ間違いをしているからな。政福は見破ったけどな」
つまり、弟二人は自分より早く解き終わったということだった。
宗看は
しかし、宋寿は既にそんなことは気にならなくなっていた。
古今東西の知性と知能と知識が集結し、宗看の全霊が込められた完璧な作品――だと思った自分の想像を更に超えていたのだ。
その事実に、宋寿は心から感動していた。
「宗看殿……」
「ん?」
「私も必ず献上図式を創ってみせます!」
宗看は鬼のように破顔する。
「それでこそ、です。期待していますよ、宋寿殿」
素晴らしいものに触れた感動で、そんな些細なことはどうでも良くなったのだ。
そして、自分も同じ領域に立ちたいという、不屈の闘志が彼の中に生まれていた。
宗看が三男を大橋家に養子へやったのは、こういう強さを買っていたからだった。
+++
宋寿はそこから更に努力を積むようになる。
宗看や看寿の天才性に比べると凡庸だった彼だが、明らかに努力の天才であった。
不屈さを表す、ある逸話が彼にはある。
大橋宋寿は明和二年(一七六五)に五十一歳で『将棋大綱』を献上する。
それはこれより三十年以上も後の話。
諦めずに研鑽を積み、その結晶を献上したのだ。
それは紛れもない強さの証であった。
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