竜と生きる人々 ある女剣士と竜の物語
蓮見庸
プロローグ
開け放たれた窓から湿気をたっぷり含んだやわらかな南風がそよぎ、うっすらと汗ばんだ額をなでていく。
まだ夏の暑さが残る昼下り、太陽は強く照りつけ、庭の緑や花は輪郭を失い白くぼんやりとにじんでいた。
蝉のなく声が耳鳴りのようにじりじりと頭の中で反響している。
サトルは揺りかごの隣に椅子を引き寄せ、中にいる赤ん坊の額にやさしく口づけをした。
あの夢のような一日から、季節は目まぐるしく過ぎていった。秋から冬になり、また春が巡ってきた。そして気が付くと夏も盛りを過ぎ、朝晩は涼しい風が吹いてくる。
あれ以来、金色の竜はぱったりと来なくなった。どこへ行ってしまったのか、まったく検討もつかない。残された3匹の子どもの竜はというと、親がいないことは特に気にならないようで、肉や魚や野菜など、あげるものは何でもよく食べ、まわりの心配をよそにすくすくと育っている。
サトルは娘の顔を見つめた。今日は機嫌がよく満面の笑顔で見つめ返してくる。つられて思わず笑みがこぼれてしまう。手にした本を持ち上げると横から言葉をかけられた。
「サトル、またその本? ミキにはまだ難しすぎるんじゃない?」
表紙には『竜と生きる人々 第5巻』と書いてある。
「そんなことないよ、ほらこんなに喜んでるじゃないか」
揺りかごの中の赤ん坊はきゃっきゃと声を上げ、ぷくりとした両手をさかんに動かしている。サトルにはその様子が二度と手に入れられない、とても貴重なものに思え、目を離さず答えた。
「また竜のところへ連れていってもらえると思ってるんじゃないの?」
「そうだなあ、あんなに好きだもんな。でもあの子達は健康診断の日だから、今日は家でパパといっしょに本を読んで遊ぼう。どの話にしようか…」
「ねえサトル、それじゃあミキのことしばらく任せてもいい? わたしなんだか眠くなっちゃったから、向こうで少し横になってるね」
「わかった、あとで起こしに行くよ」
ふわ〜ぁとあくびをしながら部屋を出ていく後ろ姿に声をかけ、サトルは本の表紙を開いた。続けて数枚の紙をすっとめくり、目次に並んだタイトルをながめた。『勇者と呼ばれた剣士たち』『王になった騎士の話』『竜が飛んだ日』『砂に埋もれた街』『男の魔法使い』『2匹の竜』などなど、いろいろな話が詰め込まれている。
「うん、これにしよう」
ぱらぱらぱらっとページを流し、目的の章の扉を開いた。
『ある女剣士と竜の物語』、赤い文字が金色の唐草模様で縁取られ、ページ全体もまるで1枚の絵のように装飾されている。
ミキをちらりと横目で見ると、相変わらず楽しそうにサトルのほうを見ている。扉をめくり、そこに並んだ文字をゆっくりと口にしていった。
「時は〈鉄の騎士〉王が治める時代、〈翼の長い緑の竜〉の年、ある小さな農村で、ひとりの女の子が産まれた。その女の子は…」
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