記憶

 アイリはまばゆい光に目をつぶり、まぶたを開けているのか閉じたままなのかわからないまま、しばらくの間視野を奪われていた。

 やがてぼやけた視界の中に黒いしみのようなものが現れ、それは紙に絵の具を垂らしたように、徐々に広がっていった。

 さらに視界がはっきりしてくると、その黒いしみの中から細かい輪郭が浮かび上がり、しだいに鮮明になり、それぞれが竜の形となっていった。

 ずらりと並ぶ竜の群れ。それぞれがいつか村を襲った竜と寸分違たがわぬ姿をしているので、今ではひと目見ればそれとわかる。

 そしてその数が半端ではなかった。遮るもののないまま、およそ視界いっぱい、見渡す限り竜で埋め尽くされている。村を襲った竜の群れなんて、このひとつまみにも満たないだろう。

 しかしこれだけの数の竜を前にしながら、ワタシは不思議なことに何も恐れは感じていなかった。いや、むしろこの状況に心はおどっていた。

 ワタシはこの竜の群れを高いところから俯瞰していた。

『高い、ところ…?』

 鳥になったわけでもあるまいし、単なる妄想なのか、夢なのか、アイリは現実感が麻痺していた。

 今度はすぐ近くに人の気配を感じた。

 下を見ると、ひとりの剣士がいた。

 長い金髪を風になびかせ、その繊細な一本一本は太陽の光で輝き、まるで光をまとっているかのようだった。

 体の大事な部位だけを甲冑で守り、あとは布で身を包み、あるいは生身をさらしたまま、背を向けて立っている。その後ろ姿は堂々と、そして一分の隙もなく、そのうえ竜を前にした恐れは微塵も感じられない。

 そればかりではなかった。もしその表情を見ることが叶うならば、口元には笑みさえたたえているのを知ることになっただろう。

 その剣士は腰に差した不釣り合いに大きい剣の柄に手をかけ、今まさに引き抜こうとするところだった。

 その後ろに控える数人の剣士。同じく剣を腰に差したもの、長い槍をたずさえたもの、両手に剣を持つものなど、彼らのいずれも堂々と前を見据えて立ち、その横顔も自信に満ちあふれている。

 後ろを振り返ると、一瞬間近に大きな金色の鱗が目に入ったが、それよりも竜の群勢に負けず劣らぬ数の人々の姿に心を奪われた。それぞれが甲冑に身を固め、圧倒的な竜の群れを前にして、それは死地への旅立ちをも意味するかもしれないというのに、この中のいずれの人々も、恐怖に支配されているものなどいなかった。


 それにしても気になるのは、これほどの竜と人がひと所に集まっていながら、あたりが静寂に包まれていることだった。地面の草が風を受けてさらさらとこすれる音、その間を飛び交う虫の羽音すら聞こえてくるほどだった。


 ふいに竜の群れの中から、ひときわ体の大きなものが、ばさっと翼をはためかせながら飛んできた。全身は太陽の光に照らされ、にぶい金色に輝いていた。そして竜と人とのちょうど真ん中に降り立ち、どっしりと地面に足を着け、迷うことなくこちらへ向かって歩み寄ってくる。

 その姿を見て、長い金髪の剣士もまた竜に向かってを進めた。

 そしておもむろに、すーっと剣を鞘から引き抜いた。

 かすかに聞こえる金属をこする音。

 その刃は光に照らされ、まばゆい光を放った。

 アイリはその光に目がくらみ、再び視界を失った。


 ……やがて現れた光景は、とても凄惨せいさんなものだった。

 累々と折り重なる竜と人のしかばね

 しかしワタシの目の前で争いはまだ続いていた。

 時代が変わっても、相変わらずこんな結末を迎えるしかないのか。

 ワタシは泣いていた。

 竜と人の愚かしさに、そして繰り返すこの世のことわりむなしさに。

 ワタシは傍観者を続けるつもりでいたが、もうこの争いはやめさせよう。どちらが優勢か劣勢かなどは関係ない。とにかくこの無益でしかない争いをやめさせよう。

 ワタシはくたびれた翼を伸ばし、羽ばたきをはじめた。

 この世に生まれて100年か、500年か。そんなことはもう忘れてしまったが、そろそろ潮時しおどきか。

 重い体は少しずつ地面から浮かび上がっていった…


「…アイリ……アイリ………」

 誰かが呼ぶ声がする。

『誰? パパ…?』

「…アイリ、大丈夫か! アイリ!!」

 レイトスの声だった。その声で現実に引き戻された。

 目を開けると、心配そうな顔で覗き込んでいるレイトスと、その横にはペレスもいた。

「レイおじさん…」

「よかった。体はなんともないか?」

「うん。ちょっと頭が痛いだけ」

「そうか。起き上がれるか? ほら、お前の水筒だ。少し飲んで休むといい」

 レイトスから渡された水筒のお茶を口に含むと、かすかな甘い香りが口いっぱいに広がった。

「いったい何があったの?」

「オレにもわからない。アイリのペンダントが光を放って目がくらみ、それから不思議な光景を見た」

「ぼくも見た」

「どんな光景?」

「ああ。遠くに見えるおびただしい数の竜と、甲冑で身を固めた大勢の人々。オレとペレスもその人々のなかにいたらしい。ペレスは金髪の剣士を見たと言っている。そしてなにより驚いたのは、ひときわ大きな体をした金色の竜が、人々の前に背を向けてたたずんでいたということだ。金色というより、みずから光を放って、ほとんど白く輝いているようで…うん、思い出してみると、その姿ははっきりとはわからなかった。竜の群れの中にも金色のものがいたが、それとはまるで違う。ひょっとしたらあれが伝説の竜なのかもしれない」

「わたしも似たような光景を見たけど、高いところから見ていたみたいだし、そんな竜はいなかった」

「高いところから?」

 ペレスがいぶかしげに問いただす。

「見渡すかぎり、高いところなんてどこにもなかったぞ。あるとしたら…そうだな………はっ」

 レイトスは思い当たるところがあり、思わず息をのんだ。

「あっ…それって……、でもそんなこと………」

 アイリもレイトスの考えていることに気付いた。

「やっぱりそれしかないんじゃないの…」

 ペレスは訳知り顔で言葉をつないだ。

 3人は同じ結論に達していた。

「金色の竜の目線じゃないのか?」

 先に口に出したのはレイトスだった。

 アイリは何となく抱いていた違和感を思い出していた。竜の群れを見てもそれを楽しんでいたような感覚、間近に見た金色に輝く鱗。

「竜の記憶…」

「え?」

「記憶って言っていいのかよくわからないけれど、頭の中に別の人の思いが入ってきたような気がするの。わたしがわたしでないような…」

「そう言われると、オレも他人の目線でものを見ていたような気がするな…」

「でもどうしてそんなことが…」

「……緑竜石だ」

「このペンダント?」

「そう。緑竜石は特別な竜から採れるとても貴重なもので、不思議な力を持っているという噂だ。そのため街では高値で取り引きされているが、世の中に出回っているのはほぼニセモノだと思っていい。けれど、そのペンダントのものだけは間違いなく本物だ。彼女がどこでそれを手に入れたか結局教えてもらえなかったんだが、ひょっとしたらここで見付けたのかもしれない」

「ここっていうと、この小さな祠?」

「いや、こんな祠なんてすでに誰かがあらためてるだろうから、さしずめ、そこの岩だな」

「岩って、この竜の大岩…?」

「そうだ。彼女はよくここに来ていたから、たまたま落ちていたのを拾ったんじゃないかな。『きれいな石を拾った』としか言ってなかったから、おそらく緑竜石だとは知らなかっただろう。…まぁそんないきさつは置いといて、伝説の竜の記憶が、緑竜石を介してアイリの中に入ってきたんじゃないか」

「この石にそんな力があるの?」

「いや、想像にすぎないが、緑竜石にはとても不思議な力があるということだから、それくらいのことが起こっても当然なのかもしれない。なによりその小さな石があんなに光るなんて、おかしいと思わないか。オレとペレスもその力に巻き込まれて、誰かの人間の記憶が入ってきたんだろう」

「このペンダント…」

 アイリが胸元のペンダントに手をやると、再び強い光を帯びて、それに呼応するかのように、正面の大岩が内側から光を放ち、割れ目は真っ赤に染まった。

「わっ」

 岩の近くにいたペレスがあわてて飛びのいた瞬間、岩の中から生えてそびえ立つ巨木に火がつき、ごうと音を立ててまたたく間に燃え上がった。

 一瞬の出来事に、3人はその様をただ唖然として眺めるしかなかった。

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