竜の大岩の前で
朝日が燦々と降りそそぐいつもの朝。
テーブルについたアイリは木のスプーンを手に、同じく木を削って作った器からスープをすくい上げる。スプーンの底からしたたり落ちるしずくがキラリと光る。そしてひとくち。
野菜、豆、ほんの少し干し肉が入ったスープ、そして硬く焼いたパンといういつもの食事だ。野菜は根菜を中心に、大きなごつごつとしたかたまりのまま煮込まれ、見た目はいまひとつだが、食べごたえはある。育ち盛りの若者にとって、お腹がいっぱいになるのはそれだけでありがたい。塩気が強く、いつも煮込みすぎて、素材が柔らかくなりすぎているのが難点といえばそうかもしれない。しかも何年もこのメニューが続いている。普通ならばとっくに飽きているだろうが、幸いと言っていいのかどうか、レイトスはあまり料理が上手ではないようで、味付けは毎日変わり、おかげで飽きるということはない。いや、むしろこれはこれでなかなか
隣ではペレスがパンを片手に、ずずずっと音を立ててスープを口へ流し込んでいる。アイリはその様子を横目で見るが、すぐに視線を戻してパンをひとかけ口に入れる。
「ペレス、行儀が悪いぞ」
レイトスが注意すると
「アイリ、今日は稽古を休んで、竜の大岩まで一緒に付いてきてくれないか」
突然のレイトスの提案だった。竜の大岩へはいつもひとりで出掛け、決して人を寄り付かせようとしないのだが、どういう風の吹き回しだろう。何をするのか気になるが、特段断る理由もないのですぐに「はい、わかりました」と答える。
「ペレス、お前も付いてこい」
「…わかったよ。嫌だって言ってもどうせだめなんでしょ」
「そういうところは、ものわかりがいいな」
レイトスは笑って答えた。
「じゃあふたりとも、食事が終わったら支度して玄関先で待っていてくれ」
「何か持っていくものはありますか?」
「んー…いや、オレが全部持っていくから手ぶらでいい」
アイリは今日も稽古をするつもりだったので、少し肩透かしを食った感じだが、まぁ、たまにはこんな日があってもいいだろうと、緑竜石のペンダントを胸に支度を整え部屋を出た。今日は髪をしばることもないので、長い金髪は下ろしたまま、手をやってさらりと流した。玄関脇に咲いていた雑草の花を眺めながら待っていると、先にペレスが、続いてカバンを背負ったレイトスが出てきた。カバンの脇に花が覗いていた。
「さて行くか」
竜の大岩までの道すがら、特に会話はなく、アイリは林の中から聞こえてくる小鳥の声に耳を澄ませていた。子供のころに両親に連れられてこの道も通ったのだろうか。大岩に行ったのはただそれっきりなので、ほとんど記憶はない。ただあるのは、黄色いお花畑の風景と何となく楽しい場所だったという感覚だけだった。
やがて林が切れるのと同時に竜の大岩が見えてきた。草原の真ん中、大木を従えて相変わらず苔むしたままどっしりと立ちはだかっている。奥には黒羽山まで繋がる深い森があった。
3人が大岩の前に立つと、西から流れてきた雲が一瞬太陽を隠し、すっぽりと影の中に入った。夏の盛りを過ぎているので、日が
レイトスはそんなことには構わずカバンを下ろし、顔を覗かせていた赤とオレンジの切り花を取り出し、大岩の横の小さな祠、その両脇に安置してある竜の石像の前に供えていく。小さなコップに水を入れ、細長く棒状に伸ばして焼いた小さなパンも3つ供えた。
「アイリも子供のころここに来たはずだけど、憶えてるか?」
「いいえ。黄色いお花畑があったのは何となく記憶にあるけど、それ以外は何も憶えてない」
ペレスが身じろぎもせず大岩を眺めているのが気にかかる。アイリが知っている限り彼もここへ来たことはなさそうだから、おそらく物珍しいのだろう。
「ああ、それは村からの道の丘にある竜舌草の群落のことだな。一面の花畑は壮観だから、ちょっと遠いけど、今度行ってみるのもいいかもな」
「レイおじさん、ずっとこうやって花を生けに来てるんですか?」
「いや、かみさんが生きていたころは彼女が仕事のようにして来ていたんだが、オレが来るようになったのはそれからだな。時間があるときにはできるだけ来るようにしてるんだが…。これでよしと。アイリはここに座ってくれ…。おい、ペレスもこっちに来い」
3人は小さな祠の前に敷いた布に座った。レイトスを中心に、左にアイリ、右にペレス。
「アイリ、今日が何の日かわかるか?」
「え?……あっ、わたしの」
「そう、アイリの誕生日だ」
「…誕生日なんて忘れてました」
「ペレスとアイリ、今日でふたりとも15歳になった。子供のころにもここでお参りをしたが、15歳でもう一度お参りをするのが古くからの作法なんだ。村のほとんどの人は忘れていたし、もうみんないなくなってしまったが、できるだけ昔からの風習を守っていきたいと思ってるんだ。別に隠すことじゃなかったんだが、いつもの生活にちょっとした刺激があったほうがいいと思って黙ってたんだ」
純粋で不器用な人なんだなとアイリは思う。けれど嘘がなく、信頼できる人だと心から思った。
「これから始めるから、オレと一緒にお辞儀だけしてくれ」
レイトスは祠に向き直り、神妙な顔つきで目をつぶってお辞儀をした。他のふたりもそれに習って頭を下げた。レイトスは懐から取り出した紙を広げ、朗々と読み上げる。
「竜と人とそのあはひにおわす
ふたりはおかげさまでここまで立派に育ちました。これまでお守りいただいたことを心より感謝するとともに、もし厄災あるときは我らに力を与え、これからもどうぞ末永くお守りくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。どうか竜の御加護を…」
レイトスが読み終えるかどうかというときだった。
アイリの胸元にある緑竜石が強烈な光を放った。
先に気がついたのはペレスだった。
「アイリ、それ!」
その声にレイトスも振り向く。
アイリはびっくりして思わず身をのけぞらせたが、今度はとっさにペンダントを両手で包んだ。
一瞬光が弱まったが、それもほんのつかの間。次の瞬間には手の血管が赤く透けて見えるほど内側から強く照らされ、指の間から漏れた光線が四方へと走った。線は面になり、まるで光の圧力に耐えきれなくなったように手を放すと、光はいっせいに広がり、3人は淡い緑色の光の球に包まれた。太陽の照りつける真っ昼間だというのに、なおも光を増し、お互いの姿は光の中に蒸発したようにかき消されてしまった。
そして3人は、その光の中に幻影を見た。
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