ともに歩んだ日々

 子供のいなかった老夫婦は少女を娘として迎え入れた。

 村の長老が立ち会い、親子になる簡単な誓いを交わすと、娘と孫が同時にできたことに彼らの喜びはひとしおだった。少女もまたやさしい親ができたことを心から喜んだ。

 男の子は老夫婦の希望でルカと名付けられた。いにしえの賢者にあやかった名前だという。

 ルカはとても明るい子供で、いつでもころころとよく笑っていた。

 そして病気のひとつもすることなく、すくすくと育ち、立って歩けるようになると、いつも老夫婦のあとを付いて回り、やがて少女と一緒に畑仕事も手伝うようになった。

 子供のいなかった村に活気が戻ってきたと、村の人々は喜び、毎日のように顔を見に来る老人もいた。


 ときには少女とルカふたりしてワタシの背中に乗り、海まで飛んでいくこともあった。砂浜に腰掛け、どこまでも続く大海原を眺めながら、少女はこのワタシと海のはるか向こうからやってきたことを、ルカによく語り聞かせたものだった。

 あの時は必死に、ただ遠くへ飛んでいくことだけを考えていたが、ルカにとっては夢物語のような心躍る冒険譚だった。町や村をいくつも眼下に飛び続け、山を越え海を越え、ようやく辿り着いた命をかけた冒険。ルカは自分の母親がそんな冒険をしたことを誇らしく思い、目を輝かせ話に聞き入ったものだった。

 潮騒が子守唄のようにやさしく響き渡り、そんな親子の様子を眺めているだけで、ワタシはこのうえない幸せを感じた。


 しかしそんな幸せな日々も長くは続かなかった。

 少女はワタシにとってはいつまでも変わらぬ少女のままだったが、彼女は早すぎる一生を終えた。やはりお腹に子供を宿したままこんなに遠くまで来たことが、回復不可能なほどに体に負担をかけていたようだった。

 彼女の最期はあっけなかった。ある日突然高熱を出したかと思うと、老夫婦の看病の甲斐なく息を引き取った。いつも見せていたような微笑みをたたえながら、ただ眠っているようにしか見えなかったが、そのまま二度と目を開けることはなかった。

 ワタシは少女と丘の上で語らった日々を、まるで昨日のことのように思い出す。

 あの頃は彼女が一方的に話すだけだったが、それも思い出となった今、あらためてこうして昔を思い出し、自分の心を突き詰めていくと、彼女を心から愛していたのだということに思いいたった。いや、ほんとうは最初に会った時から愛していたのだ。けれどワタシと彼女とはあまりにも違う生きもの。ただそれを受け入れるのを拒んでいただけだったのだ。

 心は通じ合っていたというのに…。

 そう気がついたとき、彼女をなくした悲しみが大波のように押し寄せてきた。

 ワタシは人知れず、泣いた。

 彼女は幸せだったのだろうか……。

 夜空を見上げると、満天の星々がきらめいていた。あの夜もそうだった。ワタシはこの初めての感情をどうすることもできず、ひと声鳴いた。その声は丘を渡って響き渡り、夜空に吸い込まれていった。

 どれほど時間が経っただろうか。夜がその役目を終え眠りにつこうとするころ、ふと人の気配を感じると、ルカがワタシを見上げていた。

「…竜も涙を流すの?」

 ルカはワタシの心がわかるようだった。

 ワタシはまだ幼い彼を背中に乗せ、薄明の空へ飛び立った。

 いまだいくつかの明るい星がまたたく空へ。

 やがて、水平線の彼方から朝日が昇り、空をオレンジ色に染めていった。


 * * *


 この土地にはたくさんの竜がいた。そのため近隣の村の人々からは竜の村と呼ばれていた。

 竜と人はお互いの住む場所を侵すことなく、牽制しながら何百年も生きてきたが、ワタシが来てからというもの、竜たちはよく村にも姿を現すようになった。

 人々は最初は竜を怖がっていたものの、ルカとワタシの関係を見ているうちに、恐怖心は徐々になくなり、逆にそれまで押さえつけられていた好奇心が一気に芽生えてきた。

 立派な青年に成長したルカは、村の人々を慈しむのと同じく、たくさんの竜をも愛した。また人々も同じように竜に愛情を注いだ。


 ルカは誰から教わるでもなく、手間を惜しまず畑仕事を丁寧にこなした。誰よりも早く起き出し、日が沈みあたりが暗くなるまで、一日中汗を流した。また自分たちの畑だけではなく、手が足りないと聞けば、村のどこへでも喜んで手伝いに行き、みんなから頼りにされる存在になっていた。


 村の人々は年老いて、肉体的に働けなくなる人も多くなり、放棄される畑も多かったが、ルカは効率的な農作業の方法を考え出し、そのような畑を借り受け、また新しい畑を開墾することで、どんどん耕作面積を広げ、村は規模を大きくしていった。

 畑を広げる時には、竜の住む森を切り拓くこともあったが、反対に人の住む土地を竜に提供することもあった。ワタシとルカはいつも一緒だった。ワタシは人の言葉は理解できるが、話すことはできない。しかしルカとはまるで会話をするように、意思疎通を図ることができた。そのため、ルカは村の人々の代表として、ワタシは竜の代表として何度も話し合いを繰り返し、お互いにとって最良の道を探ったのだった。

 竜も人もすべてが平等。このルカのやり方は近隣の村でも噂となり、いつしか彼のことを竜のルカと呼ぶようになった。


 やがて小さな村が点在するだけだった丘の上に、竜の村を中心とした立派な町が出来上がった。

 そうなると自然と人が集まりはじめ、子供の姿をあちらこちらで見かけるようになり、月に2度、上弦と下弦の月の翌日に開かれる市場は、かつてない活気であふれかえった。

 ルカは畑で働けなくなった老人たちに、わらつる植物で編んだカゴなどの実用品を作って売ることを勧めた。老人たちはわずかばかりではあったが、収入の足しを得られるようになったが、何より大きな収穫は、その仕事を生きがいにできたことだった。食べるだけならこれまでも何とかなっていたが、働けなくなった人たちはまるで廃人のような余生を送っていた。この仕事を始めてからは、彼らの顔つきも変わってきたようで、さらに町中を遊び回る子供たちもまた、知らずしらずのうちに彼らに活力を与えていた。

 町は近隣の村や町との交易を推し進めた結果、さらに規模を大きくしていき、その中核をなす街として繁栄した。また竜をひと目見たいという物珍しさからここを訪ねてくる人も多かった。


 竜の村はやがて一国を築くまでになり、規模は小さいながらも、立派な国家として、近隣の諸国とも対等に付き合った。

 そして、この国を率いていたルカは、のちの人々から竜の王、または金色の竜の王と呼ばれたことをワタシは知っている。しかし生前の彼は、そんな固苦しい名前で呼ばれることはなく、人々から「ルカさん」と親しみを込めて呼ばれ、誰とでも分け隔てなく接する姿だけが記憶に残っている。


 ルカはまたその生涯において港を開いた。

 交易のために海路を拓くという目的があったが、それはほんの建前にすぎず、幼い頃、母親から話を聞いて芽生えた異国へのあこがれが彼を海に向かわせた。今では彼の母親、あの少女を知る人間はワタシとルカのほかには誰もいないが、それぞれの心の中には、彼女のはち切れんばかりの笑顔が鮮やかな色彩を帯びていつまでも息づいていた。

 港の場所は、いつも彼女が話をしていた砂浜に近い海岸だった。

 港といっても、その頃はまだ魚を獲る小さな舟が出入りするだけの名前ばかりのものだったが、ルカは国の長としての仕事を正当な手順で選ばれた若者に引き継ぐと、晩年にはここへ小屋を建てて移り住んだ。

 そして、毎日海を見ては母親のやってきた国へ思いを馳せ、ひとり静かにその生涯を閉じたのだった。

 ルカは人生の幕を閉じる最後のひと息を吐くその瞬間まで、心はなぎの海のように穏やかで、しかし異国への情熱は片時も忘れることはなかった。


 ワタシにとって一番幸せだった日々が、これで終わりを告げた。

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