朝日とともに

「おい、陸が見えてきたぞ」

「え、どこ?」

「あそこの星がなくなって黒くなってるあたりだ。海岸に打ち寄せる白い波も見えるだろ」

 アイリとペレスがオールで示された方を見ると、確かに、月の光に照らされて、うすぼんやりと白く光る場所があった。

 舟がさらに進むと、陸の形がはっきりしてきた。崖となっているところには白い波が打ち寄せ、ざあーっという少し恐ろしくなるような音もあちらこちらから聞こえている。

「あっちから上がれそうだな。もうひと漕ぎだ。ここから少し波が出てくるから、しっかりつかまってろ」

 舟は波に乗り大きく上下を繰り返し、そのたびにふわりと宙を浮かぶような感覚を何度も味わったが、やがて波もなくなり、底をざらざらとこすりながら止まった。

 男は躊躇することなく海に飛び降りると、膝まで水に浸かりながら、さらに舟を引いた。

 浜に舟が頭を突っ込んだところで、アイリは先端からジャンプして降りた。足元は細かい砂利の浜で、降りた瞬間足首まで埋まった。歩くたびにざざざと足を取られる。ペレスも続いて舟から降りてきた。

「なかなかいいところじゃないか。舟を揚げるからちょっと手伝ってくれないか」

 3人は舟に結んだロープを引き、これ以上動かせないというところまで引き揚げた。

「よしこれでいい」

 アイリがロープを下ろし振り返ると、月の綺麗な穏やかな海が広がっていた。


 舟から水や食料やらを下ろし、座ってひと息ついた。

「それで、これからどうするのさ」

 ペレスが誰にともなく聞いた。

「とりあえずは、ここで夜を明かすしかないだろうな。こう暗いと、どこにいるのか検討もつかないからな」

 男が答える。

「さすがにこの森の中にも行きたくないわね…」

 アイリも海岸の後ろに控えている真っ暗闇を見て言った。

「それじゃ、そこらへんで木の枝を拾ってきて、焚き火でもするか」

 男はひざに手を付き立ち上がった。

「オレはこっちを探すから、お前たちはそのあたりを探してくれ。何があるかわからないから、くれぐれも気をつけろよ」

「ええ、わかってるわ」


 幸い枯れ枝はすぐに集まり、男はそれを積み上げ、持っていた金属の棒を使って火を起こした。

 そよ風に吹かれただけで消えてしまいそうな種火が、次々と小枝に燃え移り、すぐに赤々とした炎が上がった。

 火に当たっている顔や手だけが急激に熱くなった。

 アイリはぼんやりとその炎を見つめていたが、炎の中に、竜に襲われて焼かれた町の光景が見えるようで、思わず目を伏せていた。

 パチパチと枝の燃える音、そして波打ち際にさらさらと打ち寄せる波の音だけがあった。とても静かな夜だった。

「…あったかい。けっこう冷えてたのね」

 ポツリとつぶやくと、「うん」とペレスが返してきた。

「最近は暖かかったが、もう冬だからな」

 男は濡れた上着を脱ぎ、火で温まった石の上に置いて乾かしていた。

「コップは持ってるか? これあったまるぞ」

 男は火のそばに置いていた酒瓶をたぐり寄せた。

「お酒?!」

「ん? ああ、入れ物だけな。中身は、何というか、果物から作った甘い飲み物だ。兄ちゃんもコップを出しな」

 アイリはトクトクトクと注がれたその透明感のある赤いものをひとくち飲んだ。男の言う通り甘ったるい飲み物だったが、次第に体の中からほかほかと温まってきた。

 半分ほど飲み体が温まると、急に睡魔が襲ってきた。

「……だから、…北へ向かえば…」

「………あれは、そもそも…けど……」

「…村が………船なら……」

 アイリはペレスと男が話しているのを、うつらうつらとしながらしばらく聞いていたが、いつしか夢心地となり、気が付かないうちに眠りに落ちていた。


「アイリ! おいアイリ、起きろ!」

 ペレスの声で目を覚ますと、あたりはうっすらと明るくなっていた。焚き火はまだ少し燃えていて、暖かさを残している。

 波の音のする方に目をやると、穏やかな海がどこまでも広がり、その水平線の彼方から太陽が顔を出し、小さな波がきらきらと光っていた。

「おはよう。あー、よく寝た」

「そんなのんきなこと言ってる場合じゃないぞ。あの男がいなくなったんだ!」

「えっ?!」

「ほら、あいつの荷物はないし、舟もなくなってる」

「そんな…」

「ぼくたちの荷物があるだけましと思うしかないか…」

「……あれ? ない!」

 懐に入れておいたはずの小さな巾着袋がなくなっていた。

「ペレス、パパの勲章知らない? 昨日の夜は確かあったはずなんだけど」

「知らないよ。だっていつも懐にしまってたじゃないか。ひょっとして取られたんじゃ…」

 アイリはその言葉に青ざめた。確かに、売ればかなりのお金になるかもしれない。大事なパパの形見なのに…。それに、あれがないと王様にも会えないかもしれない。

「あの男……」

 唇をかみ、あたりを探そうと立ち上がったその時、岩陰から男がぬっと現れた。

 獲物を狙う鋭い目。手に持っている槍の切っ先がキラリと光った。

「ペレス、逃げて! ちょっと、その槍で何しようっていうのよ!」

「ん? どうしたんだ?」

 男が全身を現すと、長い槍の後ろに赤と青の大きな魚がぶら下がっていた。

 アイリは状況の判断に困り、男の顔を見つめたまま固まっていた。

「この槍で魚を獲ってきたんだが…びっくりさせたか? 何か言ったらどうだ」

 アイリはなんて言葉を返したらいいかわからず口をつぐんでいた。

「まあいいや。そういえば、これ、舟の床に落ちてたぞ。大事なものなんだろ?」

 男は小さな巾着袋をアイリに渡した。

「え、あ、ありがとう、ございます。てっきり取られたのかと…」

「ん? ひょっとして、オレが取ったと疑われてたりしたのか? ……その顔は図星だな。オレの信用も地に落ちたなこりゃ」

 男はそう言うと、わっはっはっと豪快に笑った。

「言っとくが、オレはそんなものに興味はねぇーよ。ま、お嬢ちゃんがそんなたいそうなものを持ってると知った時は、ちょっと驚いたがな」

「知ってたの?」

「ああ、最初にお前さんたちに会ったとき、ちらっと見えたからな。理由は聞かないから、大事にしまっとけ。ついでに言っとくと、オレは人を傷つけるなんて趣味もねぇーからな」

 男は再び豪快に笑った。

「はい…」

 アイリは父の形見が見つかった安堵と、人を疑ったことへの負い目から、男の顔をまともに見ることができなかった。

「その魚は?」

 いつの間にか隣に来ていたペレスが聞いた。

「うまそうだろ。お前たちが寝ている間に朝飯でも調達しようと思ってな、少し沖合いまで出たら一突きでこれだ。まるで竜が怖くてここに逃げてきたみたいだ」

「舟はどこにやったの?」

「舟ならその岩の裏にあるぞ。ちょうどいい具合にとめられるようになっていたんでな。お前たちオレが戻ってきたのに気付かなかったのか? …ま、そんなことより飯にするぞ」

 男は弱くなった火に小枝をくべ、火を強くして魚を焼き始めた。

「これも食べましょ」

 アイリはカバンの中からビスケットや残っていた乾燥野菜を取り出した。

「お、いいね。腹が減っては何とかだからな」

 3人は火を囲み、焼いた魚、ビスケット、そして野菜のスープという妙な組み合わせの朝食をとった。

「ところで、あなたの名前はなんていうの?」

「名乗るほどのもんじゃねぇよ」

「これからまだ一緒に行動しなくちゃいけないみたいだから、信用したわけじゃないけど、お互い名乗るのが筋でしょ。わたしはアイリ」

「ぼくはペレスだ」

 ふたりはそれぞれ手を差し出した。

「信用してないやつと握手なんてするもんじゃねぇぞ。…おいおい、そんな透き通った目で見るなよ、調子が狂うじゃねぇーか。だからやめろって……仕方ない、オレはアレンだ。よろしくな」

 男はそれぞれに握手を返した。

「わたし、あなたのことただの酔っぱらいの悪い人間だと誤解してたのかもしれない」

「どうだかな。あんがい当たってるかもしれねぇぜ」

 男はふふふっと不敵に笑った。

「それよりも、今はこれからどうするかだな。さっき沖に出て、ここのだいたいの場所はわかった。オレの見当が間違いなければ、そう遠くないところに村がいくつかあるはずだ。あとは向こうの湾まで舟で行くか、このまま森の中を行くかだが、どうする? ま、どっちをとってもたいして変わらないだろうがな」

「わたしは森の中がいいような気がする。海に出て昨日の竜が出てきたら、あの舟じゃ絶対に助からないんじゃない?」

「ぼくもアイリの意見に賛成だ」

「そうだな、賢明な選択だ。じゃあ決まった。森の中を通って、とりあえず近くの村を目指す。それでいいな?」

 ふたりはうなずいた。

「この魚を食い終わったら出発するか」


 アイリはカバンにしまっていた剣を腰に差し、アレンを先頭に森へ向かって歩き始めた。

 森の中は生い茂る草木で薄暗く、気温が低いため、歩いているにもかかわらず体が冷えてくる。ペレスは手に息を吹きかけ、さすりながら歩いている。

 森の入り口からずっと獣道を歩いているが、ほんとにこれでいいのだろうか。アレンはとくにためらう様子もなく、獣の踏み跡をたどるように歩いていくが、アイリはだんだんと不安になってくる。

「ほんとにこれで大丈夫なの?」

 アイリは声を掛けてみるが、アレンからの返事はなく、3人は黙々と歩き続けた。

 いったいどれくらい時間が経ったのだろうか。時間の感覚もなくなった頃、突然木々がまばらになり森が切れ、青々とした湖が現れた。

 森に囲まれたその湖は水を満々とたたえ、まるで時が止まり凍りついているようだったが、風が吹くと水面がわずかにさざ波立った。

 湖畔をぐるりとまわると、小さな祠があり、まだ新しい花が添えられていた。湖に張り出した木道から下を覗き込むと、透き通った水の中に魚の姿があり、人影を感じ取ってするりと逃げていく。

 両手で水をすくってみると、思わず手を引っ込めてしまうほどの冷たさだった。

「村も近そうだな」

 湖からは獣道ではなく、草がすっきりと刈り取られ、明らかに人が作った道が伸びていた。

 休憩をとり、再びアレンを先頭にその道をたどって歩いていく。しかしいくら歩いても人の気配はなく、鳥の鳴き声すら聞こえず、森の中は静寂に包まれていた。

「…何かおかしい。念のため、まわりに気を付けろ」

 アレンに言われる前に異変に気が付いていたのは、アイリとペレスの方だった。

「おい、お前、その緑の光は何だ?!」

 振り返ったアレンの目に飛び込んできたのは、緑竜石の緑色の鋭い光だった。

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