目覚め

「ここをまっすぐ行けばお城よ。アイリ、ペレス、このあたりでお別れね」

 一番にぎやかな通りを過ぎた四つ角、大通りはここから緩やかな丘を登るようになり、その先には城の門が見えている。サラたちも薬や精密機器、書物など村では手に入らないものの調達、国への報告書類の提出など用事を済ませなければならず、案内できるのはここまでだった。

「サラ、楽しかったわ。ありがとう」

「わたしもよ。元気でね、また会いましょう」

「うん」

 アイリとサラは抱き合い、別れを惜しんだ。

「カイと仲良くね」

 アイリは耳元でささやくと、サラはいっそう強く抱きしめてきた。


 こうして、アイリとペレスのふたりは、ようやく目的地である城の前までやってきた。

 しかし、ここまでやってきたのはいいが、門番の「許可のないものは通すわけにはいかない」という一点張りのために、もう1時間ほども門の前で立ち尽くしていた。こんなところで時間を浪費することになるとは、まったくの誤算だった。門番は何を言っても聞く耳を持たず、そればかりか、門の脇にある小さな控え室へと姿を消してしまった。

 王様にレイトスからの手紙を届ける。たったそれだけのことだったのに、予定よりだいぶ遅れてしまった。本来ならもう家に戻ってきてもいいはずなので、レイトスは心配していることだろう。手紙でも出せば早く知らせられるだろうか…。

 そんなことを考えていた時、大通りからこちらに向かって馬を走らせる数人の人の姿があった。門の前で馬を止めると、門番が駆けつけてきた。

「フローレス王子、お帰りなさいませ」

「ああ、ご苦労。変わったことはないか?」

「はい。そちらはいかがでしたか」

「まずまずといったところだな」

 門番は自分の方を見ているアイリたちに気づいて言った。

「お前たち、まだいたのか。いいかげんあきらめて帰ったらどうだ」

「この者たちはなんだ? お前の知り合いか?」

「いえ、どうやらずっと南のハブト村とかいう小さな村から来たそうなんですが、中に入れろと聞かないもので…」

「ハブト村、ハブト村……ああ、そんな名前の村もあったな。そなたたち、ずいぶん遠くから来たようだが、いったい何の用だ?」

 フローレスは馬の上からふたりに声を掛けた。

「王様に会いに来ました」

「王様に? 子供がいったい何の用だ」

「これを読んで欲しいんです」

 アイリは馬にまたがったままのフローレスと呼ばれた男に向かって、精いっぱい腕を伸ばし手紙を差し出した。

「手紙…何かの陳情か? ご苦労だった。そなた、名は何という?」

 彼は手紙を開きながらたずねた。

「わたしはアイリ、こっちはペレス。この勲章も持ってます。王様に会わせてください!」

 アイリは父親の形見の勲章を取り出し、彼に見せつけるように掲げると、それは太陽の光を受けてきらりと光った。

「そんなものニセモノに決まってますよ」

 門番は言うが、フローレスは興味をひかれたようで、手紙を開く手を止めた。

「ほほう。その勲章は誰のものだ」

「わたしのパパのものです」

「そなたの父上か。それで名前は?」

「ヨシュアです」

「ん? ヨシュア、さん、だと…?」

 その名前を聞いた途端、彼は馬から飛び降り、アイリに近づいてきた。

「それは本当か? よく見せてくれないか」

 そしてアイリの前まで来ると、顔を寄せ、その金色のメダルをじっくりと確かめはじめた。彼のゆるいウェーブのかかった紫の髪がふわりと揺れ、爽やかな花の香りが漂った。

 勲章はもとよりホンモノなので、疑いようなどなかった。

「これはたいへん失礼した。お嬢さん、どうぞ無礼をお許しください」

 そう言って深々と頭を下げた。王子と呼ばれる男に頭を下げられる覚えはなく、アイリとペレスのふたりは戸惑ってしまった。

「この手紙はお返しします。王様に直接お渡しください。その勲章も大切なものでしょう、どうぞおしまいください」

「あ、はい…」

 アイリは言われるがままに手紙を受け取り、金色の勲章もしまった。

「そちらもヨシュアさんの息子さんですか?」

「いや、ぼくのお父さんはレイトスですけど…」

「レイトスさん…ああ、なんていうことだ! こんなことがあるなんて!」

 アイリたちにはいったい何のことなのかさっぱりわからなかったが、どうやら事態が好転しそうにあることだけは理解できた。

 フローレスは続けた。

「わかりました、あとでお迎えに上がりますので、しばらく客間でお休みください」

 そう言うと今度は同じように馬から降りていた若者に向かって命じた。

「おい、わたしの大切な客人だ。客間にお通しして、丁重にもてなせ」


 * * *


 通された城の客間は広く、床にはふかふかの絨毯が敷かれ、見た目に高級な調度品は落ち着いた色調で統一されていた。しかしアイリとペレスのふたりにとってこの部屋は場違いだとしか思えず、どうにも落ち着かなかった。

 そして今は、高さのあるベルベットのソファーに座り、金縁のティーカップが置かれたテーブルを挟んで、フローレスと向かい合っていた。

「…そうか、あの船に乗っていたのか。わたしの友人も乗っていたんだが、ひょっとして会わなかったか? 名はアレンというんだが…」

「アレン? あの酔っぱらいなら…」

「酔っぱらい?」

「アイリ…」

「あ、あの人なら、怪我をしてツシマ村で療養をしています。わたしたちもあの人に助けてもらいました」

「無事か? そうか、よかった。あいつもとことん悪運が強いな。滅多なことでは死なせてもらえないということか」

 そう言ってフローレスは高らかに笑った。

「…ところで、ヨシュアさんとレイトスさんは相変わらずか?」

 その質問にふたりはどう答えていいかわからず、黙り込んでしまった。

「どうした?」

「パパは…亡くなりました」

「なんと…。病気でもされましたか」

「いえ、村が竜に襲われて、みんな亡くなりました…」

「ヨシュアさんが竜に……」

 フローレスは絶句してしまったが、ふと、数年前から始まっている南の村の再建の計画を思い出した。

「そうか、あの村だったか…」

「わたしはレイトスさんに助けてもらって、ここまで来ました」

「そうか…いろいろとつらかっただろう。聞きたいことは山ほどあるが、まずは王へ会いにいこう。もう準備は整っているはずだ」


 フローレスに連れられて天井の高く広い通路を歩いていくと、両側の壁に大きなレリーフが彫られていた。

「この絵、港町の塔の中で見たのと似てる気がする」

「ああ、そうだ。これはこの国の始まりから、およそ100年間の歴史を刻んだものだ。始まりはあっちで、ずっとこっちまで続いてる。興味があったらまたあとで見るといい。さあ着いた」

 フローレスが重い扉を開けると、真っ赤な絨毯の敷かれた広い部屋の奥、机の向こうに座る豊かな白いひげをたくわえた白髪の老人が顔を上げ、その脇に立つ黒ひげの男もまたこちらを見た。

「父上、お連れしました。アイリさんにペレスさんです」

「はじめまして、アイリです」

「ペレスです」

「ああ、話はこいつから聞いたよ。遠くからわざわざご苦労だったな」

「さあ、アイリさん、手紙を」

「はい…。鉄の騎士王さま、レイトスさんからの手紙です。どうぞお読みください」

 アイリが王の前に進もうとすると、黒ひげの男が寄ってきてすっと手を出したので、そちらに手紙を渡した。

「ヨシュアとレイトスにはこいつがずいぶん世話になった。…まあ、しばらくそこに掛けていてくれ。それから、わたしを呼ぶときは、王さまでいい」

「はい」

 王は手紙を広げ、ひげをひねり、うなずきながら読み進めていった。ときおり遠くを見るような仕草をしては、一枚一枚、時間をかけてめくっていった。

 そして手紙をすべて読み終わると、少し間を置いてから言った。

「アイリ、そなたはたいへんな経験をしてきたようだな。村の人々を救えなかったのは、われわれの力不足だ。誠に申し訳なかった」

 王は椅子から立ち上がり、頭を下げた。

「いえ、仕方のないことですから…」

「われわれがもっとしっかりしていれば、救えた命があったかもしれない」

「今も竜に襲われている村があると聞きます」

「そうだな。われわれもただ指をくわえて待っているだけではなく、対策を考えているところじゃ。あとはこちらに任せてくれ。それで、アイリ、そなたはこれからどうする?」

「…これからとは、どういう意味でしょうか」

「そうだな、生き方というか、何になりたいとか、どう生きたいとか。世の中にはいろんな生き方をしている人がいる。たとえばこの街で暮らすのはどうじゃ?」

「………わたしは、パパとママの、そして村のみんなのかたきを討ちたいです。あの金色の竜に復讐を……」

 アイリはサラと過ごした楽しい時間を思い出し、そういう生き方もあるのだろうと思ったが、それ以上に、竜によって苦しめられている人たちのことが頭から離れなかった。

「おい、アイリ…」

「復讐か…。だがどうやって復讐する?」

「王さまのお力を貸してください」

「村ひとつ守れない、こんな老いぼれの力が役に立つと思うか?」

「はい!」

 アイリは曇りのないまなこで、王をまっすぐに見つめて言った。

「………懐かしいのぉ。そなた、あの頃の父親と同じ目をしておるな。なんだか、若い頃を思い出すようじゃ。わかった、何か考えてみよう」

「ほんとですか? ありがとうございます!」


「お話のところ失礼します。お連れしました」

 ちょうど話の区切りがよいところで声がし、アイリが振り返ると、街の噴水広場で歌っていた女の人の姿があった。ふたりはお互い目が合った。

「あ、この方です! あの男たちからわたしを助けていただいたのは」

 フローレスは驚いてアイリを見て、そして笑った。

「あっはっはっは! きみだったのか! よくやってくれた。あの大男たちが一瞬で涙目になったと、もっぱらのうわさになってるぞ」

「アイリ、やっぱり何かおかしいと思ってたら…」

 ペレスがなじりはじめた時、王が机の前に進み出てきた。

「ほう、きみがね。この街のものが彼女に失礼を働いたので、お詫びにお越しいただいたんじゃが、アイリにはお礼を言わんといかんのう。ま、それはそれとして、それでは、ひとつ手合わせ願おうか」

「ん? 父上、今なんと?」

「聞いておらんかったのか、手合わせ願おうと言ったのだ」

「お待ちください、手合わせだなんて」

「わしがそこまでもうろくしておると言いたいのか? 息子とはいえ、そなたとは真剣で勝負をしても構わんのだぞ」

「いえいえ、そうではありません。こんな女の子相手に手合わせだなんて、冗談が過ぎます」

「オレがそんな冗談を言ったことがあるか? 彼女は大男5人をひとりで相手したというんだぞ。いやしくも騎士王と呼ばれたこのわしが黙っておられるか……まあよい、お前は下がっておれ。アイリ、これを取れ」

 王は壁に立て掛けてあった棒を取ると、1本をアイリに向かって投げた。

「ここではちと狭いか、廊下へ出よう」

 そういうとアイリの腕をつかんで扉の外へと出た。その手は大きく、力があったが、足取りは少しおぼつかないようだった。

「さあ、どこからでも構わん。かかってこい」

「かかってこいと言われましても…」

 アイリは棒を受け取ったはいいが、あまりにも急な話の展開に付いていけず、立ちつくすしかなかった。

「どうした、かかってこんのか? じゃあこちらから行かせてもらうぞ」

 王は言うが早いか、床をひと蹴りし、アイリの懐を目指して一直線に入ってきた。その風貌からは信じられない速さだった。さすが鉄の騎士王と呼ばれるだけあり、先ほどまでとはまるで別人だ。

 アイリは反射的に半身を下げて棒をはすに構え、かろうじてそれを防ぎきった。

「ほう、やるではないか」

 アイリは距離を取り棒を正面に構えたが、ただそれだけで、それ以上動こうとはしなかった。

「それではいつまでたっても埒が明かんぞ」

 王はまた間合いを詰め、横から、上から、また払い上げるように棒を自在に操っている。アイリはそれを避けながら一歩ずつ下がるばかりだったが、だんだんと体が熱くなり、ついには下がる足を止め、手に力を入れて棒を絞り上げた。

「そうだ」

「…父上、もうおやめください!」

 突然廊下に足音が響き渡り、ひとりの男が駆けてきた。

「申し上げます!」

「なんだ騒々しい、これからというときに」

 王はあっさりと棒を下ろした。

「竜が現れました!」

「なんだと!」

 その言葉に真っ先に反応したのはフローレスだ。

「場所はどこだ?」

「北北東のはずれ、青ノ丘地区のあたりです。1匹だけのはぐれた竜だと思われますが、少しずつこっちに向かってきているようです」

「わかった。父上、ここはわたしにお任せください!」

「任せるが、ひとつ条件がある」

「条件、ですと?」

「そうだ。この子を連れていけ」

「そんな…危険すぎます! それに一刻を争うのですよ」

「だったら早く決断しろ。アイリ、行けるか?」

「はい、行きます!」

「いい返事だ」

 王は笑うとフローレスに向かって言った。

「決まったな。くれぐれも怪我をさせるんじゃないぞ」

「父上はいつもこうだ。もう、どうなっても知らないぞ。おい、この子に合う防具を今すぐ用意しろ」

「はっ! しかし、この子の体に合うものといえば、例のあの黒いやつしかありませんが…」

「なんでも構わん。早く持ってまいれ! それから、第2兵団と第5兵団、それに街の民兵に緊急招集をかけろ」

「はっ!」

「わたしの荷物の中に剣があります。それを持ってきてもいいですか?」

「そなた剣を持っておるのか…わかった。部屋は分かるな?」

「はい!」

 返事をすると同時に、アイリは駆け出していた。


「王子は立派になられましたな…」

「いや、まだまだだ…」

 王と黒ひげの男はそんな会話を交わしながら、悠然と部屋へ向かって歩いていった。そして、扉の中へと消える間際に振り返り、

「お茶にするから、ふたりとも遠慮せずに中へ入れ。それと1曲お聞かせ願えまいか」

とあっけにとられていたペレスと歌の旅芸人に声を掛けた。

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