王都グリプトと歌姫
アイリたちは温かいベッドで深い眠りに落ち、まだ日が昇る前に、誰からともなく目を覚ました。無駄に時間をつぶしていても仕方ないので、早いけれどもう出発しようということになり、準備を整えて宿泊施設をあとにした。結局、ここで泊まる人はほとんどいなかった。
朝の空気は冷たく、思わず身震いをしてしまうほどだった。町中には思いのほか人の影があったが、港の事務所はまだ開いていなかったので、後日立ち寄るというメモとサインを書き残してきた。
町の入口近くで預かってもらっていた馬は、4人の足音が聞こえてくるなり鼻を鳴らし、サラに甘えるように顔を寄せてきた。
「よしよし、寒くなかった? 今日も頑張ってね」
王都へ向かう道には多くの馬車や人々の姿があった。荷物を山積みにした馬車や何十頭もの馬の列、老若男女が荷物を背負って歩いている。さすが都へと繫がる道だけあり、これまでたどってきたところとは雰囲気がまるで違った。
「ほら、見えてきた。あそこが王都のグリプトよ」
峠まで来ると、雲ひとつない澄んだ青い空の下、遠く霞む山並みを背景に、ベージュ色で統一されたたくさんの建造物らしきものが見えてきた。
4人は馬車から降りて、視界いっぱいに広がるこの光景を眺めた。
建物が密集している街の中心部分から離れるに従って、家はまばらとなり畑が増えてくる。そして畑は薄緑の草っぱらとなり、次第に木々が増え林になり森になり、そして岩肌がむき出しの山へとつながっていく。
街は自然を拒絶することなく調和し、むしろ自然の大地からぽっかりと浮かび上がった岩でできた丘のようにも見えた。街と外とを隔てる壁はなかった。
「すごい景色ね。それにとても大きな街!」
「この王都ができたのは今からおよそ500年前と言われてるんだ。昔は小さな村だったんだけど、初代の王様…といってもこの頃は村長みたいなものだったと思うけど、村人からの人望があつく、また先見の明があって、農耕と近隣の村との交易で村はどんどん発展したんだ。そして人口は何倍にもなり、村は今見えているこの景色と同じくらいまで大きくなったということなんだ」
カイが喋っている間、ペレスはふんふんと聞いていたが、アイリがちらりとサラを見ると、ふふっと笑い返し、そして言った。
「ねえカイ、その王様の名前を教えてあげたら?」
カイはサラの顔を見て、それから少し間を置いて戸惑うように言った。
「それは……」
「いいじゃない」
「…初代の王様の名前は、宝石の王。埋もれている原石を掘り出してきて、磨いて輝かせるように、この村のよいところや他の村にはない強み、言ってみれば宝石を見つけて丁寧に磨くように発展させたからそう呼ばれてるんだ」
「それから?」
サラが続きを促した。
「…うん…それから……別名、金色の竜の王とも言われてたらしいんだ」
「金色の竜?!」
アイリが驚いて聞き返すと、カイは少し申しわけなさそうに続けた。
「うん。でもちゃんとした記録じゃなくて、おじいさんやおばあさんから聞いた話だから、昔の誰かが勝手に言い始めただけかもしれないんだけど、王様は、その時代にいた金色の竜と関わりが深かったっていううわさが残ってるんだ…」
「それで、丘の上に見えるのが、その時代から続く王様のいるお城よ。さあ、あともう少しね。ほら行きましょ」
「サラ、ちょっと待ってよ…!」
馬車に乗り込んだサラの後を追って、アイリも飛び乗った。
「ねえ、前から知ってたの?」
「うん。でもあんまり
「セリナさんも知ってるの?」
「あの人はわたしたちが知ってることはなんでも知ってるし、他にもいろいろ詳しいみたい」
「なんで教えてくれなかったんだろう…」
「カイも言ったけど、ただの作り話かもしれないし、そうじゃなくても何か考えがあるんだと思う。あと、グリプトっていう街の名前も、昔の言葉で、竜の村っていう意味なんだって。怒られちゃうから、もうこれくらいにして」
「竜の村?……わかったわ。教えてくれてありがと」
「王様に会えば、もっといろんなことがわかるかもしれないわよ」
「なにせ500年も続いてるんだ」
カイは馬の手綱を引き、馬車は街を目指してゆっくりと坂道を下っていった。
* * *
「うわー、すごい人!」
「いつ来てもやっぱりすごいわね」
4人は馬車に乗ったまま大通りを進んでいく。港町とは比べものにならないくらい、さらに人と物であふれていた。
案内看板に従って進んでいくと、馬車から開放されたたくさんの馬が草を食べ水を飲んでいた。サラも馬を荷車から外し、指定された場所ヘロープでくくりつけた。
「ここでいい子にしててね」
4人が荷物を背負い歩いていくと、大きな噴水広場があり、その一角に人垣ができていた。
「アイリ、ちょっと見てみない?」
「うん、何だろう」
ふたりが人垣をかき分け進んでいくと、ひとりの女の人が噴水の縁に腰掛け、肩にかかるくらいの栗色の髪を輝かせながら話をしていた。弦がいくつも張られたひと抱えほどの楽器を手に、その説明をしていたところだった。ちょうどそれが終わり、すぐに楽器を胸に持ち直したかと思うと、弦を爪弾きながら、穏やかな笑みを浮かべ歌い始めた。
「♪あの空の向こう〜 この翼に乗って〜 あなたのもとに〜…」
シャラランと弦が小刻みに空気を震わせ、
一曲終わるごとに大きな拍手に包まれ、彼女の足元に置かれた箱の中に次々と紙幣や硬貨が投げられていく。アイリもそれにならってポケットにあった硬貨を投げた。
子供がひとり硬貨を握りしめて駆け寄り、彼女に直接手渡したと思ったら、そのまま横にちょこんと座った。そして彼女が歌い始めると音楽に合わせて一緒に体を揺らし、その様子を見ていた人々の間から温かい笑いが起きた。
「……ありがとうございました」
彼女が深々とお辞儀をすると、子供も一緒にお辞儀をした。拍手がひときわ大きくなり、どこからともなくアンコールの掛け声が湧いてきた。その声は次第に大きくなり、群衆全体に広がった。近くを歩いていた人たちも何事かと足を止めるほどだった。
「ありがとうございます。みなさんに喜んでいただけたみたいで、とても光栄です。それでは最後にもう一曲。わたしが初めてこの街に来たときのことを思い出して作った曲です。聴いてください」
シャラララン、ジャ、ジャ、シャラン。
「♪きみの瞳を探して〜 緑の石を抱いて〜 海の向こうから〜 鳥に導かれやってきたの……」
「おい! ねえちゃん!!」
突然、美しい歌声とは対極にある、野太いだみ声がしたかと思うと、人垣を押しのけるようにして5人の大柄な男たちが現れた。そして歌の途中にもかかわらず、まるで遠慮というものを知らないかのように、彼女の前にずかずかと近づいた。
「お前、ここらで見ない顔だが、旅芸人か? けっこう儲けたみたいだな。ちょっとそれ見せてみな」
男は彼女の足元にあった箱を取り上げ、中に入っているお金をつかみ上げた。人々の間でざわめきが起こり、ひとり、ふたりとこの場を立ち去っていく姿もあった。彼女の横に座っていた子供も親に連れられてどこかにいってしまった。
「ふーん、歌を歌うだけでこんなに金がもらえるのか、楽なもんだな。ところで、誰に断ってこんなところで金儲けしてるんだ?」
「街から許可をいただいてます。これが許可証です」
「許可証? こんな紙切れがなんだっていうんだ」
男は紙を奪うように取り上げ、目の前でびりびりと破いた。
「お前はここで歌ってたらお金が勝手に集まってきた、オレは偶然ここに落ちてたお金を拾っただけ。そういうことだ。オレは気前がいいから、この箱代として銅貨を1枚落としていこう。誰か文句のあるやつはいるか?」
男たちの間で
「ちょっと、やめなさいよ!」
アイリは考えるより先に口を開いていた。男たちは声のした方をジロリとにらみ、そのうちのひとりがアイリに近づいてきた。
「なんだおねーちゃん、こいつの知り合いか?」
「そんなのどうだっていい。それ、返しなさいよ!」
「返すだって? 拾ったって言ったの聞こえなかったのか?」
ひっひっひっと下品な笑い声が起こる。
男はおもむろに腕を伸ばしてきたが、アイリはそれをひらりとかわした。
「拾ったわけないでしょ。返しなさいよ! それに、歌うだけでお金がもらえるってなによ!」
「やっちゃえよ」と囃し立てられ、男は今度は殴りかかってきたが、アイリはまたもやすやすとそれをかわした。
「遊んでるのか」とさらに囃し立てられ、男は頭に血が上り、本気になってアイリに殴りかかってきた。
「生意気言ってんじゃねーよ!」
アイリはさらにその腕もかわし、今度は持っていた杖で男の脇腹を突いた。続いて脛を払うと、男はその場に倒れ込み、声にならないうめき声を上げた。
一瞬のことで、何が起きたのか理解できた人はわずかしかいなかったが、しばらくぽかんとしていた男たちもようやく状況を飲み込み、目の色を変えてアイリをにらみつけた。
「やってくれるじゃねーか、オレたちを誰だと思ってるんだ!」
「そんなの、来たばっかりなのに知るわけないじゃない」
「なら、教えてやるよ!」
4人の男はいっせいにアイリに襲いかかってきた。けれども先ほどの男と同様、気が付くと4人とも地面に転がり、足を押さえながらうめいていた。
その様子を見ていた群集の中から、「こいつらを抑えろ!」という声が聞こえ、人々は倒れている男たちに向かって飛びかかっていったが、男たちが抵抗したため、騒ぎはどんどん大きくなっていった。
その時、馬のひづめの音とけたたましい警笛が聞こえてきた。
「お前たち何をやっている!!」
それは街を警ら中の兵士たちだった。誰かが彼らを呼びに行ったと同時のこの騒ぎだった。
「全員その場を動くな!」
「まずいわ。アイリ、逃げるわよ」
「ちょっと待ってよ、サラ!」
アイリはサラに腕を引っ張られ、ざわめく人々の間を縫うようにしてその場を離れた。そして串に刺さった団子を食べていたカイとペレスに合流して、何食わぬ顔をして歩き始めた。
「何かあったのか?」
慌てた様子のふたりを見てカイが聞いた。
「さあ、何もないわよ。ね、アイリ?」
「え、ええ…」
「ふーん、じゃあその傷は?」
ペレスに言われアイリが腕を見ると、小さなかすり傷があった。
「ちょ、ちょっと転んだだけよ。じろじろ見ないでよ」
「そんなことより、そのお団子おいしそうじゃない! アイリ、わたしたちも買いに行きましょ! どこで売ってたの?」
傍から見ると他愛もないそんな4人の姿を、噴水の前から見つめる視線があった。
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