壁に囲まれた港町

「ここが君たちの乗った船がたどり着くはずだった王都の港町、セヌマだ」

 目の前には大きな壁がそびえ立ち、それはまるで城壁のようで、開け放たれた門をくぐって多くの人や馬車が行き交っている。降り注ぐ太陽の光が壁を白く輝かせている。

「…カイ、あんたなに柄にもないしゃべり方してるのよ。ここがセヌマだ、って、いったい誰のまねよ」

 思いっきりしらけたサラの視線。

「面白いから好きにさせましょ」

 横から口を出したのはアイリだった。

「そうね、どこでボロが出るか見ものだわ」

 そう言ってアイリとサラは笑い合った。ふたりはこの道中ですっかり打ち解けて仲良くなっていた。


 ここにたどり着くまで丸5日、野宿をしながらの旅だったが、さすがサラとカイは慣れているというだけあって、馬の世話から食事づくり、夜泊まるための準備まで手際よくこなし、それでいて疲れは微塵も感じさせなかった。一方のアイリとペレスにとっても、乗っているだけの馬車の旅は快適そのもので、ほとんど苦にならなかった。

 旅慣れたサラたちにとっていつもと違ったのは、道中、これまであまり見ないような集団と多くすれ違ったことだった。行商の馬車は見ただけでわかるが、それとは違い人をたくさん乗せた馬車、それも何台も走っているなんていうのはこれまでに見たことがなかった。


 4人がたどり着いたこの港町は、コダテの港町など比べものにならないほど大きく、大通りはどこまでも続き、見渡す限り店が立ち並び、さまざまな商品が置かれていた。たくさんの人であふれ、町全体ががやがやとした喧騒に包まれ、そして活気に満ちていた。

 町の入口近くで馬車を預かってもらい、荷物を背負って歩き出した。

 いろいろな肌をして、聞いたことのない言葉を話す人たち。その風貌はもちろんだが、着ているものも色とりどり、形もさまざまだった。そして人だけでなく、アイリたちが初めて見るような犬も歩いていた。

「ここまで来れば王都はもうすぐだ。今日はここで一泊していこう。旅人用の無料宿泊施設があるから、お金の心配はしなくていいんだ」

「カイ、その堅苦しいしゃべり方、あんたひょっとして緊張してるの? ……まあいいわ。それは置いといて、アイリ、今日泊まるところはお風呂もあるから、久しぶりにさっぱりできるわよ」

「ほんと? さすがに髪もほこりだらけで、正直、水でもいいから洗いたいなと思ってたところ。あ、これいいわね」

「どれどれ? ほんとだ!」

 ふたりは店頭に並べられた品々に目を奪われ、カイの話はそっちのけで、心ここにあらずといった様子で話をしながら歩いていた。ペレスはそんな様子を横目で見ながら歩いていた。


 大通りの十字路を右へ向かうと、壁の大きな門が開け放たれ、岸壁が見えてきた。4人はそちらへ向かって歩いていく。

 岸壁にはコダテの港町で見たような大きな船が何隻も停泊していたが、あたり一面閑散としていた。また、岸壁へと続く鉄格子の扉は閉められ、船はおろか海にすら近づけないようになっていた。

 ミューミューと鳴く海鳥の声がわびしさをいっそう際立たせる。

 人目につくあらゆる場所に、赤字で大きく“無期限欠航”の貼り紙があった。大きな荷物を持った人たちが同じように貼り紙を見て、ある人は困ったように、またある人は悪態をつきながら去っていく。


───帰って来るはずの船がいつまでたっても現れず、何があったのかとやきもきしていたところへ、竜によって船が沈められ、ほとんどの人が死んでしまったという情報が町へ伝えられた。

 それが3日前。

 このニュースは町の人々にそれなりの衝撃を与え、ひょっとして自分たちが同じ目に遭っていたかもしれないと、我が身に降りそそぐ災難でなかった幸運を噛みしめたものだった。けれど、アイリたちがここに着いた頃には、もう人々はそんなときの気持ちはどこかへやってしまい、もっぱらの関心は、いつ船が動いて仕事が再開できるのかということだけだった。そして日常の忙しさにかまけ、亡くなった人たちを顧みることなどほとんどなくなっていた。

 しかし、当然ながらそれでは済まされない人たちがたくさんいた。それは亡くなった人たちの家族や親類縁者、友人、恋人、仕事の関係者など、みないても立ってもいられず、こぞってツシマ村を目指していた。アイリたちが途中ですれ違ったのはこの人々の集団だった。


 貼り紙を読んでいると、港の事務所から出てきた初老の男が話しかけてきた。その話によると、船が沈められた原因の究明と対応が決まるまで、船の航行は無期限で禁止されているということだった。それにしても、アイリとペレス、そしてアレンが生き残っていたことを伝えると、たいそう驚かれた。町の人々の間では全員死んだことになっていたのだった。そしてチケットの払い戻しがどうとか、補償金がどうとかという話になり、また明日詳しく話をするということでアイリたちはその場を後にした。


「ねぇ、アイリ、海を見に行かない?」

 こう切り出したのはサラだった。

 港の近くにある宿泊施設。船が運航していないためか人の姿はほとんどなく、ほぼ貸し切りの状態で、好きな部屋を選ぶことができた。

 サラとアイリは荷物を置くなりさっさと浴場へと向かい、今は、4人入ってもまだ広い部屋の中、男たちと入れ替わり、さっぱりとした顔で久しぶりのベッドの感触を楽しんでいた。

「海って、さっきの船のとこ? でも海岸には近づけなかったよ」

「ううん。いい場所を知ってるの。ね、行かない?」

「いいよ、それならわたしも行ってみたい」

「じゃ、準備して行こ」

「これから行くの?」

「うん。今じゃないとだめなの」

 ふたりは浴場から帰ってきた男たちに荷物を任せ、町の中心にある監視台を兼ねた展望塔へと向かった。

 薄暗い螺旋階段を上がっていくと、いくつもの小窓から明かりが差し込み、壁に彫られた模様が浮かび上がった。よくは見えないが、何かの場面を描いたようなレリーフだった。

 階段を上がりきって塔の頂上に出ると、アイリの目にオレンジ色の夕陽が飛び込んできた。その下にはどこまでも続く大海原。水面には光の道が延び、きらきらと輝いていた。アイリは思わず足を止め見とれてしまった。

「間に合ったー!」

 サラは近くの石段へ腰を下ろし、アイリも隣に座った。ふたりと同じように、この夕方の穏やかな時間を過ごす人たちの姿があった。

「ここからがいちばん海がよく見えるのよ。綺麗でしょ。わたしたちの村はあっちの方、遠くて見えないけどね」

 サラが指さした方には、明るい星がひとつきらめき、海に沿っていくつも重なった丘が、夕闇に包まれようとしていた。

 塔の上からは海だけではなく、町がぐるりと一望できた。周囲を高い壁で囲まれ、それを挟むように太い運河が2本走っている。壁の外側では大きな船が何隻も夕陽に染まっていた。

 ふたりはしばらく夕日を眺めていたが、サラがぽつりとつぶやいた。

「ねえアイリ。ペレスのことどう思ってるの?」

「どうって?」

「一緒に王都まで旅をしてるんでしょ? その…気になるとか何とか、そういうのないのかなって」

「うーん、そうね…。細かいことにうるさいから、ウンザリすることもあるけど、王都までは一緒に行く約束だからそれまで我慢してるの。たまには役に立つこともあるしね」

「そう。けっこう割り切ってるのね」

「そういうサラはどうなの?」

「……わたしね、カイのこと、いいなって思ってるの」

「…ん?……それって、好きってこと?」

「そうストレートに言われると恥ずかしいんだけど…。まあ、そういうこと」

「ステキじゃない。どこがいいの?」

 夕陽がアイリの目を輝かせた。

「そんなこと言わせるの? そうね…いろいろあるけど、やさしいところと、頑張り屋なところかな」

「頑張り屋なの?」

「そう。カイってあんなだけど、これからは交易の時代だからって、いろんな国の言葉や仕組みなどを調べてるの。かばんの中にはいつも厚い本が入っていて、時間があれば読んでるのよ。わたしも近くでそれを応援したいなって」

 町を囲んだ壁の上に間隔をおいて灯りがともった。気が付けば町の建物にも次々に灯りがともり、町全体を包んだ光が壁の外まであふれ出すようだった。

「ふーん。それで、カイはサラのことどうなの? それっぽいことを言われたりとか、何かないの?」

「幼なじみだからよくわからないのよね。でもわたしいつも言い過ぎちゃうから、ひょっとして嫌われてたらどうしよう…」

「サラなら大丈夫よ。応援してるからがんばってね」

「ありがとね、アイリ。…なかなかこんな話をできる人がいなかったから、なんだかすっきりしたわ」

 サラは腰を上げ、ズボンの裾を払った。

「じゃあ、帰ろっか」

「うん、冷えてきたね」

 太陽はもうすぐで水平線に届きそうだった。

 アイリが立ち上がった時、壁の上で灯りとは違う何かが光った。そう思う間もなく、ドーンという大きな音が耳に届き、赤く染まっていた海に大きな水柱が上がった。次いでその脇に何か跳ねるような小さなしぶきがいくつか上がった。

 周りにいた人たちは特に驚く様子もなく、話をしながらただそれを眺めているだけだった。

 サラは近くにいた老人に話しかけた。

「おじいさん、今の何ですか?」

「あ?…あぁ、あれかね。おじょうさんたち、船が動いてないのは知っとるよな」

 男はふたりがうなずくのを見てから続けた。

「船を止めてから、まだほんの数日しか経っておらんが、竜がよく出るようになっての。特に夕方は多いんじゃ。それで威嚇のために毎日ああして大砲を打ち始めとる。そうせんと、次に船が動き出したとき、いきなり竜に襲われるかもしれんからの」

「じゃあ、何かが起こったわけじゃないのね」

「あぁ、念のためじゃよ……ついでに、後ろも見てみなさい。もう暗くなりはじめておるが、あのひときわ暗い場所、あそこは全部森じゃ。わしが子供の頃はこのあたりに森なんてなかったんじゃが、今ではこの町を飲み込もうとする勢いじゃ。森でさえこのありさまだからの。ましてや竜じゃろ? 放っておけばこんな町なんてあっという間に滅ぼされちまう。昔からの人間がどれだけ努力してこの国が造り上げられたか、最近のもんはわかっておらんからのぉ……あぁ、すまんすまん、つい余計なことまで話してしまったの」

「う、うん…ありがと、おじいさん。…なんだって、アイリ。気にしなくていいみたいね」

 サラが振り向くと、アイリは難しい顔をして遠くを見つめていた。

「ねえ、アイリ、どうしたの?」

 呼びかけられてアイリは我に返った。

「…え? ううん、何でもない」

「ならいいけど」

「行こっ」

 アイリは老人の話を聞きながら何か心に引っかかるものを感じていたが、サラに呼びかけられた時に、もう少しでつかめそうだったそれは一瞬で霧となって消えてしまった。すぐに忘れるくらいだから、たいしたことではなかったのだろうと思い直して、サラより先に階段を下りていった。

 左手首の傷あとが少し痛んだ。

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