若者たち

 明くる朝、アイリが目を覚ますと、薪の燃え尽きた暖炉の前で、セリナが椅子に腰掛けて眠っていた。

 長い黒髪は肩から胸、そして腰にかけてひと房に綺麗にまとまったまま流れ、窓から差し込む朝日に照らされて美しく輝いていた。緑のイヤリングもきらめき、まるで人形が眠っているようだった。

 ひとの寝顔をじっと見るのはためらわれたので、ちらりと見ただけだったが、顔に疲労の色が濃く出ているのがアイリの目にも明らかだった。

 お茶をれようとベッドから立ち上がり、棚の食器を見ていたときセリナが目を覚ました。

「おはよう…。あら、お腹でも空いた?」

 セリナは目をこすりながら、朝日が眩しそうに目を細めた。そして、穏やかに笑ってアイリに声をかけたが、やはり疲労の色は隠せない。

「いえ、お茶でもれようかと思ったんですけど…起こしてしまってごめんなさい」

「いいのよ、むしろ寝坊してしまったくらいだし、わたしもお茶をいただこうかしら。カップは好きなのを使って。わたしはその緑のやつね。お茶っ葉は…そう、そこの引き出し。お湯は、ほら、これを使うといいわ。まだ温かいでしょ」

 アイリは暖炉の前に置かれていたヤカンを受け取ると、ポットにお湯を注いだ。

「ああ、いいにおい。目が覚めるわね」

「疲れているみたいですね」

「それもあるけど……実を言うとね、海岸での光景が目に焼き付いてよく眠れなかったのよ。一人ひとりにどんな人生があったんだろうと思うと、とてもやりきれなくてね。人が亡くなるのなんてたくさん見てきたのにね」

 セリナは緑のカップを見つめて寂しく言った。

「…あ、ごめんね。ついつい弱音を吐いちゃったわね。こんなんじゃリーダー失格ね」

「そんなことありません、とても立派だと思います」

「ありがとね。あ、そうだ、パンを食べない?」

 セリナは棚にしまっていたパンとジャムを出してきた。

「でもね、竜にやりたい放題やられるのは正直困ってるのよ。最近はこれまで見たことのないような竜が現れるって言ったじゃない? あなたたちの言っていた竜の大岩の話じゃないけど、わたしたちも、これは伝説をないがしろにしたせいかと思って、湖の祠を新しく建て直したり、あの洞窟の祠も綺麗にして、お供えをしたり、代々伝わってきたお祈りを捧げてみたりもしたけれど…」

「何も変わらなかった?」

「そうね。どうやら、そういうことじゃないようなのよね。なにかもっと根本的な……」

「根本的?」

「うーん、そうね…。わたしもなにか考えつくわけじゃないけど、この違和感というか、落ち着かない感じっていうのか、とても気持ち悪いのよね。地道に考えていくしかないと思ってたんだけど、その間に村は竜に襲われるし、なかなか悠長なことを言ってもいられないのよね」

「わたしもその竜の秘密を知りたいです」

「ひょっとしたら、金色の竜の話と何か繋がってるかもしれないわね」

「ここには金色の竜の話はないんですか?」

「昨日も言ったけど、わたしの知るかぎりないわね。、はね」

「え?」

「王都に行けば誰か何か知ってるかもしれないわ。あれだけ人がいるんだもの。けど、あくまで可能性だけどね。そうそう、王都への馬車は明日の朝出すから、あなたたちは夜までに出発の準備をしておいてね」

「セリナさんは?」

「わたしは今日も海岸に行くわ。もうひと仕事しなくちゃ」

 セリナは、ふぅとひと息つき、壁の絵を見つめた。

「その前に、みんな集会所に集まることになっているから、アイリも来てくれない? 昨日あなたたちから聞いた話をみんなにしようと思ってるんだけど、間違えていたら教えてもらいたいの。ペレスにも来てもらうわ」

「わかりました」

「ありがと。じゃ、パンを食べたら集会所に行きましょ。…あ、それからアレンって言ったわよね、彼。どこかで聞いた名前だと思ったら、槍使いのアレンといってそこそこ名の通った人だったわ。イメージと全然違ったから分からなかったのよ」

「わたしもただの酔っぱらいだと思ってました」

「ふふっ、あなたも言うじゃない。まだ傷も癒えていないし、彼にはしばらくこの村に残ってもらうことにしたわ。さ、パンを食べちゃいましょ」


 集会所は重い雰囲気に包まれていた。集まったのは数十人、人々の中には海岸に行った人も含まれていて、みんなおしなべて沈痛な表情をしていた。

 全員が集まったと思われる頃、セリナが話を始めた。

「みんなすでに知っているでしょうけど、王都に向かっていた船が竜に襲われたらしいの。船はそのまま海の底へ沈められて、乗っていた人たちはみんな小舟で逃げたらしいんだけど、おそらくその人たちが何十人も海岸に打ち上げられたわ。いえ、まだまだ増えるかもしれない。海岸に流れ着いた人たちはみんな亡くなっていて、それはひどいものだったわ。あの様子だと、小舟で逃げているときにまた竜に襲われてしまったのかもしれない。思い出すだけでかわいそうで……」

 セリナは言葉をつまらせた。セリナがこんな様子を見せるのは初めてで、部屋は沈黙に沈んだ。アイリも今朝の寂しそうに話す言葉を思い出して、顔を見ることもできなかった。

「…このことは早く王都に知らせたかったから、夜のうちに馬を走らせてあるわ」

 そのためにアイリが気づいた真夜中だけでなく、明け方まで対応に追われていたのだった。

「ここにいるアイリとペレスのふたりと、怪我をしている男の人、アレンを合わせた3人は、別の小舟で逃げていてたまたま無事だったのだけど、そのあと、村の近くで漆黒の竜に襲われたのはみんな知っての通りよ。アイリ、ここまで間違いない?」

「はい、その通りです」

「ありがと。その竜の調査は進んでる?」

 セリナは最前列にいた若い男に尋ねた。

「はい、やはりこの辺りではこれまでに誰も見たことのない竜でした。書物をひっくり返してみても、どの竜とも違うみたいです。また、解剖の結果ですが、体内にひどい毒を持っていました」

「見るからに毒々しかったわよね。それで体のどの部分にあったの?」

「おそらく全身ではないかと」

「全身に毒を? そう……。わかったわ。じゃあ、じゅうぶん気を付けて、引き続き調査をお願いね」

「わかりました」

「みんな。この様子だと、これからもまた違う竜が村を襲ってくるかもしれないから、気を引き締めて、対策を怠りなくね」

 それからセリナたちは、今後の具体的な対応を話し合い、それが終わるやいなや、休みを取ることもなく、ふたたび海岸へと向かっていった。

 セリナたちはその晩も真夜中に帰ってきたようだった。


 次の朝、準備万端整えたアイリとペレスは、村の中心でセリナをはじめとした数人の村人と言葉を交わしていた。

「カイとサラよ。王都へはたぶん5日くらいかかるけど、この子たちは何度も行って慣れてるから安心して。歳もあなたたちと同じくらいだから話も合うかもね」

「はじめまして、わたしがサラよ」

「わたしはアイリ、こっちはペレスです。よろしくお願いします」

「よろしくね。荷物はそれだけ? じゃあ後ろに積んで、前でも後ろでも好きなところに座って」

「それじゃあ、ふたりとも、気を付けて行ってらっしゃい。旅の無事を祈ってるわ」

「セリナさん、みなさん、お世話になりました」

「カイ、サラ、いろいろ頼んだわよ」

「任してください、セリナさん」


 4人を乗せた馬車は、ゆっくりと土の道を進んでいった。

 途中、廃墟となった村をいくつか通り過ぎた。竜に襲われて村人ともども全滅した村、そうでなくても、壊滅的なダメージを受けて、村人に捨てられ荒れ放題となった村もあった。人がいなくなって廃屋が点在する村は、ただの野原や林などよりも気味が悪かった。

 ひとつの廃墟となった村を通り過ぎ、太陽の降りそそぐ開けた草原に出た。澄んだ青い空が美しかった。

「やっぱり、うちの村みたいに、いつ竜が襲ってきてもいいようにちゃんと準備しとかないと、村がなくなったって仕方ないよな」

「ちょっとカイ…」

「あ、ごめん」

「少しは人の気持ちを考えなさいよ! ごめんねアイリ。こいつ悪いやつじゃないんだけど、気がきかないっていうか、人の気持ちが分からないっていうか…」

「いいえ。ぜんぜん気にしてませんから、大丈夫です」

「ぜんぜん気にしてないってさ」

「ちょっとあんたは黙ってなさい! アイリ、南の方の村が竜に襲われたっていう噂は聞いていたけど、情報がほとんど何も入ってこなかったから、どうしても実感がわかなくて…。悪気はないんだけど、自分たちのことで精一杯で、他人事としか思えないのよ。それに最近はこのあたりの町や村も竜に襲われることが増えてきているから、それぞれの話はみんなもすぐに忘れてしまっているかもしれない。ごめんね。たくさんの人が亡くなっているっていうのにね…」

「でも仕方ないことだと思います。わたしも何もできなかったし、起きてしまったことは取り返せないし、亡くなった人が生き返るわけでもないし…」

「生き返ったらホラーだよな」

「カイ、だからあんたは黙ってなさいって! このバカっ!」

 サラは馬を叩くムチでカイを思いっきりひっぱたいた。

「いてっ!」

「ふっふっふっ……あはははははっ!」

 サラとカイは顔を見合わせた。

「ごめんなさい、なんだかとてもおかしくて」

 アイリは笑いが止められず、目から涙を流すほど笑っていた。

「そうね、こいつのバカさ加減ったら、もう笑うしかないわね。わたしもなんだかおかしくなってきた…ふふふ…あっははは!」

 サラもつられて大笑いした。

 カイは状況がよく飲み込めずキョトンとしていたが、

「なんだ? オレのおかげか? だったら感謝してもらわないと」

と、すっとんきょうな答えを返した。

「だから調子に乗るなっての!」

「いてっ!」

 アイリとサラはまた大笑いをした。

 ペレスは馬車の後ろで眠っていたが、笑い声に目を覚まし、この様子をちらりと見た。けれどまたすぐに目をつぶり、こんな旅も悪くないなと思った。

 4人を乗せた馬車はゆっくりと、しかし確実に、王都への道のりを進んでいった。

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