剣士の自覚

「アイリ、しっかりつかまれ! みんなに追いつくぞ!」

「はい!」

 フローレスは城の門を出ると、紫の髪を風になびかせながら、馬を全速力で走らせていく。彼はほとんど防具は身に付けず、とても身軽だった。

 馬一頭がやっと通れるほどの狭い道だろうが、人の背丈ほどの塀が立ちはだかっていようが、そんなことはまるでお構いなしに、まるで何か見えざる強い力で引っ張られるように、そして宙を舞うように駆けていく。

 アイリはフローレスにしがみつき、振り落とされないようにするのがやっとだった。馬が跳ねるたびに、腰に差した剣がカシャリカシャリと音を立て、また、体にまとった黒光りする甲冑が全身に重くのしかかり、腕はしびれ、力は次第に抜けていく。気を抜くと今にも振り落とされそうだった。


 路地の角を曲がると、大勢の人たちが逃げてくるところだった。フローレスは馬を止め、後ろを振り向くと、斜め前方を指差して言った。

「アイリ、あそこを見ろ!」

 建物の間、逃げてくる人たちの背後に、薄灰色の煙が上がっていた。アイリの村が襲われた光景を思い出し、これからあそこに向かうのかと思うと、緊張で体が震えた。額から滴り落ちてくる汗を指で拭おうとしたとき、煙の中を赤いものが横切ったように見えた。

「今のは……?」

「ああ、竜だ。赤い竜か…あんまり見たことのないやつだな。まあいい、行くぞっ!」

 フローレスはそう言うなり、馬の手綱を握り直し、胴を足で軽く蹴ると、馬はその合図を待っていたとばかりに、再び全速力で走り出した。アイリはあわててフローレスにしがみついた。

 ほどなく開けた広場が現れ、フローレスはその手前で馬を止めた。そこは、つい先ほどまで人々でにぎわっていたことを思わせる明るい広場だったが、露店の屋根を支えている柱や、商品を並べる棚は崩れ、そこらじゅうに物が散乱していた。そしてその向こう側に立ち並ぶ建物の奥から、もうもうと煙が立ち上がっていた。

 フローレスはあたりの様子を伺いながら慎重に広場に出て、その縁をたどるようにゆっくりと馬を歩かせていく。

 アイリが視線を巡らせると、あちらの陰、こちらの陰と、大勢の兵士たちが建物や塀などに隠れるようにして潜んでいた。また、数人で持ち運びができそうな砲台もいくつか見えた。

 フローレスは兵士たちの中に白銀シルバーの甲冑で全身を包んだ姿を見付けると、馬を寄せ声を掛けた。

「状況は?」

「はい、ただいま竜をこちらにおびき寄せているところです。けれど反応が鈍く、なかなかうまくいきません。これまでのやつらとは少し様子が違うようです」

「わかった。……オレもこれから陽動に加わる。お前たちは引き続きここを頼む。それから、彼女も頼んだ」

「わかりました」

 フローレスはアイリを馬から降ろし、決して勝手な行動はとらないようにと念を押した。そして崩れた露店を避けながら広場の中心へと馬を走らせたかと思うと、その姿はすぐに建物の間に消えていった。


「名前は?」

 フローレスと話をしていた白銀の兵士が、兜を脱ぎ声を掛けてきた。赤毛にそばかす、年の頃はアイリと同じくらいだろうか。その顔には、まだあどけなさが残っていた。

「アイリです」

「ボクは第2兵団副長補佐のザハドです。アイリさん、これからはボクの指示に従ってください。決して側を離れないように」

「わかりました」

 ザハドは兜を目深にかぶり直し、アイリに壁際に寄り姿勢を低くするようにと手で合図した。


 広場の周りは、土ぼこりのにおいと、異様な静けさに包まれていた。

 兵士たちはみな広場の中心を向き、息を殺し、決して動かない石像のように身じろぎひとつせずにいる。一方で、近くにいる何人かの兵士の顔を見ると、まるで獲物を待ち伏せする肉食獣のようで、今すぐにでも飛び出しそうな勢いだった。しかしそのいずれにしても、張り裂けそうな緊張感に包まれているのがひしひしと伝わってくる。

「来たぞ…」

 誰かがつぶやいた。

 かすかに馬の蹄の音がしてきたかと思うと、すぐに馬に乗った5人が広場に現れた。最後尾を走るのはフローレスだった。4人は甲冑をまとっているが、彼だけはほとんど防具を身に付けず、紫の髪をなびかせて優雅に走ってくる。これが彼のスタイルなのか、先ほどはアイリを乗せた分わざと自分が身軽になって、馬を速く走らせていたというわけでもなさそうだった。

 広場の中央に近づいてくる彼らを固唾をのんで見ていると、それを追うように上空の煙の中から赤い竜が飛んできた。

 それはアイリがこれまでに見たどの竜よりもずいぶん小さかったが、頭の先から尻尾の先まで、全身が燃えるように赤かった。

 建物の屋根や壁に体をぶつけては壊し、そのたびにバランスを崩しながら飛んでくる。うまく飛べないことが腹立たしいかのように、木や石の破片をまき散らしながら狂ったように叫び声を上げていた。その顔は凶暴そのもので、目はあらぬ方を向き、アイリは竜に襲われた記憶を思い出して、思わず足がすくんでしまった。


「まだだ…」

 ザハドは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

 やがてフローレスたちが建物の陰に姿を隠し、赤い竜が広場の真ん中あたりに来たとき、

「今だ!!」

 ザハドは叫びながら右手を振り上げた。

 すると、広場いっぱいに響き渡る爆発音とともに、赤い竜をめがけていっせいに砲弾が打ち込まれた。一瞬のうちに広場の上空は煙で満たされ、竜の姿は見えなくなった。

「やったか?」

 ザハドは言ったが、彼の後ろから見ていたアイリは竜のいた場所から目が離せないでいた。

 わずかに訪れた静けさののち、アイリは、いきなり、ひときわ大きな竜の叫び声が間近に迫ってくるのを耳にしたかと思うと、地面が大きく揺れる衝撃に襲われた。足もとから崩れ落ち、瓦礫が降ってくるのを全身で感じた。


 気が付くと周りにあった建物は崩れて、土ぼこりに覆われた瓦礫の山が見えた。

 ザハドの姿はそこにはなかった。

 アイリは我に返ると、今度は全身が総毛立つ、とても嫌な気配を感じた。

 ゆっくりと後ろを振り向くと、目の前には、赤い竜がいた…。

 竜は逃げる隙を与えることなく、大きく口を開け迫ってきた。アイリはとっさに剣を引き抜き、そのまま闇雲に下から振り上げた。剣はなんとかうまくアゴに当たったが、ガチッと音を立て、硬い鱗に弾き返されてしまった。

 竜は短くひと声叫ぶと、翼を振り回してアイリを突き飛ばした。

「きゃぁっ…!」

 アイリの体は軽々と宙を舞い、瓦礫の中へと叩きつけられた。

 幸い布のようなものがクッションとなり、体へのダメージはあまりなかったが、受けた衝撃でしばらく立ち上がることはできなかった。

『早く逃げなくちゃ…』

 頭の中ではわかっているが、体がいうことをきかない。

 その時、どこからともなく馬に乗ったフローレスが現れ、竜に向かって走っていくのが見えた。

「大丈夫ですか!」

 声の方を見ると、白銀の甲冑が手を差し出してきた。

「はい…」

 アイリは言って、膝をつき立ち上がった。

「よかった。さあ、こちらへ! 走れますか?」

 アイリは瓦礫に足を取られながらも、ザハドに手を引かれ、竜とは逆の方に走った。


 フローレスは竜の前に躍り出て、剣を振り上げ叫んでいた。

「ほら、こっちだ、バケモノ!」

 竜は目の前を行ったり来たりするその姿をしばらく顔で追っていたが、やがて癇癪かんしゃくを起こすように叫び声をひとつ上げたかと思うと、突然口を開け襲いかかってきた。フローレスはそれを確かめると、広場の中心へ向かって馬を走らせた。

 竜は翼を広げ飛び上がり、空から追ってきた。

 そしてちょうど広場の上に来たとき、

「撃て!!」

 フローレスの掛け声とともに、再びあたり一面に大きな爆発音が鳴り響き、今度は地面を揺らしながら、どさりと何かが落ちる音がした。

 煙が薄くなり徐々に様子がわかるようになってくると、赤い竜が仰向けに倒れている姿が見えてきた。

「やったぞ!」

という声とともに、あちらこちらから兵士が姿を現し、みなこぞって竜の周りに駆け寄ってきた。

 その様子を見たフローレスは、あわてて声を張り上げた。

「まだ早い! 持ち場を離れるな! みんな気を付けろ!!」

 だが、遅かった。

 その言葉が伝わる前に、竜が奇声を上げ狂ったように暴れながら起き出し、近くにいた兵士たちを次々となぎ倒していった。そして、そのまま羽ばたきを始めたかと思うと、町の外側、森の方に向かって飛んでいった。


 竜が去ったあとには、竜の最後のあがきで重傷を負った多くの兵士たちと、変わり果てた町の姿が残されただけだった。

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