戻れない日
『やっぱり森で何かあったんだ』
息を切らしやっとのことで高台の集落にたどり着いたレイトスの耳に、「グワァ!」とひときわ大きく吠える声が聞こえた。足を止め後ろを振り返ると、地上近くまで降りてきた竜が炎を吐きながら飛び回っている。畑からは火の手が上がり、近くの家々からはいくつもの煙が昇っていた。
「クソッ! なんてことしやがる」
唇を噛みしめ再び走り出そうと前を向いたとき、視界にいくつもの竜の影が飛び込んできた。青空の中に見える不気味な姿はざっと数えて数十。絶望的な光景だった。
「なんだこれは…」
顔から血の気が引いていくのがわかった。
竜は群れをなしてレイトスの頭の上を過ぎ、村の中心へ向かった。そして次には村全体を覆うようにバラバラに散っていった。
『こんなのに一斉に襲われたら村はひとたまりもない。みんな無事に逃げられるだろうか…』
その群れに少し遅れて、悠然と飛んでくる大きな竜がいた。その体は太陽の光を受け金色に輝いていた。さっきの竜たちとは格の違いを感じさせ、その姿を見ただけで受ける威圧感はすさまじく、いつ襲ってくるかと体中に緊張が走る。
しかし金色の竜は頭上を飛び去るとき首を曲げ一瞬こちらを見たようにも思ったが、まったく意に介さぬ様子で、再び前を向き村の中心へと飛んでいった。
レイトスは言葉なく立ち尽くし、その飛んで行く姿を目で追っていた。
金色の竜は村の中心に達すると空高くに留まり、ほかの竜たちを見下ろしその様子を伺っているようだった。
そして天に向かって大きく口を開けたかと思うと、散らばって飛んでいた竜たちは一斉に下降をはじめた。
その光景にわずか遅れてレイトスの元に届いてきた音は、「キーン」という耳をつんざく大音量の高周波音。思わず耳をふさいだが、音はまるで全身を貫くようで、頭の中ではガンガンと反響し、全身がしびれるような感覚に陥った。
『あの竜の鳴き声なのか?!』
体は麻痺したようにうまく動かせなかったが、自由になる目だけは竜たちの非道な行いを見続けていた。
地上近くに降りた竜たちは口々に真っ赤な炎を吐き出し、家や畑の区別なく、すべてを焼きはじめた。そしてその焼かれた村の中を逃げ惑う人々の姿が見えた。先ほどの懸念が最悪の結果となって的中してしまった。
「なんてことを!」
言いしれぬ怒りがこみ上げてきた。
『オレたちがいったい何をしたというんだ!』
相変わらず村の上空を飛び続ける金色の竜。もし村や人間を襲うのが狙いなら、この集落も見逃すことはないだろう。次はお前たちの番だとこの惨状を見せ付けているのか。レイトスは歯をギリギリと食いしばり、怒りに震えた。
「お前さん、さっきの音は何だ? 何があったんじゃ?」
家の中から不安そうに外を覗いている顔がいくつもあった。その顔を見てはっと我に返り、急いでここまで来た目的を思い出した。
「竜だ、みんな逃げろ! そのうち火の手も迫ってくる。ここにいちゃだめだ。できるだけ風上へ、少しでも村から遠いところへ!!」
「竜だって? そんなばかな…」
「嘘じゃない、村を見てみろ!」
老人はレイトスのただならぬ様子に事態を察したようだった。
「しかし逃げるったって、こんな年老いた体でいったいどこへ?」
「わからない。けど、とにかくここは危険だ。死にたくなかったら一刻も早く逃げろとみんなにも伝えてくれ! オレは村を見に行く!」
言うが早いか、レイトスは来た道を引き返し、再び村の中心へ向かって駆け出した。
『みんな無事でいてくれ』
村に近づくにつれ、ものの焼けるニオイが風に乗って鼻をつき、煙と炎が木々の向こうに見え隠れしてきた。
走り疲れて足を止めると、荒い呼吸をかき消すように、木のはぜる音が四方から迫ってきた。
* * *
「なんだろう…」
外から聞き慣れない音と人の騒ぐ声が聞こえてくる。
アイリは母親と視線が合い、そして窓の外をちらりと見やった。
部屋で作業をしていたふたりは、ただならぬ様子に外へ出たが、それと同時に、何かわからない大音量の音を聞いたと思った。その瞬間、衝撃で地面へ叩きつけられ、しばらくうつ伏せのまま動くことができなかった。
あまりにも唐突のことで、自分の体がどうなってしまったのか、この状況を理解することができなかったが、やっとのことで体の自由がきくようになり、両手をついて上半身を起こすと、目の前の光景に言葉を失った。
空から飛んでくる巨大な鳥のようなもの。しかも1匹だけではなく、あちらこちらにいる。そして認識が間違っていなければ、それらは“炎”を吐きながら飛び回っている。
『いったいなんなの?』
アイリは自分の目が信じられず、母親に答えを求めようと振り返ったが、同じように唖然とその様子を見守っているばかりだった。
焦げ臭いニオイに周囲を見渡すと、近くの家々から火の手が上がってきた。
「アイリ、逃げよう!」
「うん!」
ふたりが駆け出そうとしたところへ、ちょうどヨシュアが走り込んできた。
「あ、パパ!」
「よかった、無事だったか!」
「何が起こったの?」
「竜だ。とにかく今はそれしかわからない」
「早く逃げましょ!…ねえ、あなた、どこに行くの!」
「ちょっと忘れ物だ。先に丘に逃げていてくれ」
「そんなこと言ってる場合じゃ…」
ヨシュアが家に入り、イリスがそれを引き留めようとしたその時、1匹の竜が急降下してきて、家の入口に向かって炎を吐いた。家は一気に燃え上がり、その勢いでアイリは家とは反対のほうへ飛ばされた。
竜は一瞬のうちに飛び去ったが、炎が壁のように立ちはだかり勢いよく燃え上がっている。
「パパ、ママ! ゴホッゴホッ…」
家は火に包まれ、その炎の勢いの前に一歩も前へ進むことはできなかった。そればかりか、吹き付ける熱風に目を開けることすらままならない。
「アイリ、これを!」
ヨシュアは赤々と燃える家の隙間から手を出し、木箱を投げつけた。アイリはそれを拾い上げ、胸にしっかりと抱いた。
「大事なものだからなくすんじゃないぞ! ここはもうだめだから早く逃げろ!」
壁と屋根が音を立てて崩れていく。
「そんな、やだよ!」
「お願いだから言うことを聞いて!」
その時、アイリは後ろから男に抱きかかえられた。
「なに? 離してよ!」
「レイ!?………アイリを頼んだ! オレたちに構わず、早く逃げろ!!」
「……わかった」
その時また竜が飛来し炎を吐いた。
炎に飲まれ姿が見えなくなる瞬間、ふたりは穏やかに笑っているように見えた。
* * *
目を開けると真っ赤な夕焼け空が飛び込んできた。
アイリは体を起こしあたりを見回すと、何度も来たことのある高台にいた。隣には体中が黒く汚れたレイトスが眠っていた。
この高台からは遠くに村が見えるはずだが、今は焼け焦げた黒い土地があるのみだった。あちらこちらから何本もの煙が立ち昇っているが、まだ燃え足りないとみえて、所々で火がくすぶり、ときおり火柱が見えた。
『わたしどうしてこんなところにいるんだろう。確か村の中で火に巻かれて…』
「はっ!」
思い出した。家が竜に襲われ誰かに助けてもらい、今まで気を失っていたであろうことを。
「パ、パパとママは?!」
思わず口に出していた。
「アイリちゃん、やっと目が覚めたかい」
「レイおじさん。わたしどうしてこんなところにいるの? パパとママは?」
レイトスはしばらく黙り込んでいたが、いつまでもそうしているわけにもいかず、重い口を開いた。
「アイリちゃん、よく聞いてくれ…。信じられないかもしれないが、村は竜に襲われて全滅した…」
レイトスがふっと逸らした視線の先には、焼け焦げた村の残骸があるのみである。
「今のところ無事なのは、アイリちゃんとオレだけだ…。きみのパパとママも助けられなかった。すまない…」
……涙は出なかった。
……わかっていた。
……あんな状況で助かるはずがない。
……でも聞きたくなかった。
……無事だと信じていたかった。
そしてアイリは思い出していた。意識を失う前に見た、大きな金色の竜の姿を。
「金色の竜…」
「ん? あぁ、見てたんだね。たぶんあいつが村を襲わせたに違いない。そんなことより、今はこれからどうするか考えないと。おじさんの家まで歩けるかい?………」
* * *
……コンコン、コンコン。
扉をノックする音が聞こえてきた。
「アイリ、起きてるか? 朝食の用意ができたぞ」
「わかりました。今行きます」
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