出港前

「アイリ、王都の近くの港町セヌマまで1週間かかるってさ」

 ベッドの上で壁に寄りかかり船のパンフレットを見ていたペレスは、あくびをこらえながら読み上げるように言った。


 港町に来て2日目、町中の散策から宿に戻ってきたふたりは、部屋の中でその疲れを癒やしていた。町中にはすべて見るには丸2日、いや3日はかかりそうなほどの数と種類の店があったが、それを1日で回ろうと言い出したのはアイリだった。

「せっかく来たんだからもったいないじゃない」と次から次へと店の中に入っていくアイリは、ほとんど同じようなものを売っている店に入っても、品物はあっちの店のほうがいい、種類はこっちが上だなどと言いながら満足して出てきたが、あちこちと連れ回されたペレスはへとへとだった。「この程度でだらしないわね」となじられても、返す気力もなかった。

 今こうして船のパンフレットを見てはいるが、部屋の中は暖かく半分夢見心地で、このまま寝てしまいそうだ。

「けっこうかかるのね。でも歩いて行くよりはいいんでしょ?」

「陸だといくつか山を越えて、弓なりになった地形をぐるっと回らないと行けないみたいだからな」

 そう言いながらも「ふぁーあ」と大きなあくびをするペレス。その手から落ちたパンフレットがはらりとめくれ、そこに描かれた地図には、今いる港町コダテとセヌマが直線で結んであり、線の上には船のイラストが描かれていた。また、海の中から顔を出す竜の絵も描いてあった。

「おーい、お客さーん! お茶にしないかー?」

 扉の向こうから宿屋の主人の声が聞こえてきた。

「はーい」


 ふたりが出ていくと、テーブルの上にはコップが並べて置いてあり、大柄の主人はちょうど椅子に座ろうとしているところだった。

「まあ、そこに座りな」

 3人はテーブルを囲み、それぞれコップを手に乾杯の真似をし、口へと運んだ。温かくて甘い柑橘系の飲み物で、ひとくち飲むと、かすかに喉にぴりりときた。

「ふたりで王様に会うんだって?」

 店の主人はふぅと一息ついて話を始めた。

「はい。父さんに手紙を書いてもらいました」

「そうか。会うのはなかなか難しいかもしれないが、レイトスさんの息子だと言えば何とかなるかもしれないな。断られてもあきらめるんじゃないぞ」

「はい」

「あと、これを見せればすぐにわかってくれると思うんですけど」

 アイリは懐にしまっていた革の巾着袋から、金の勲章を取り出した。

「これは勲章じゃないか。ほほぅ、すごいなこれは。ホンモノを見たのは初めてだ。たしかに、これを持ってれば無下にはされないだろう…これはレイトスさんのか?」

「いいえ、わたしのパパのものです」

「パパ? パパっていうと…」

「ヨシュアさんだよ」

 ペレスが答えた。

「ヨシュアさんの娘さんか?! そうか…」

「知らなかったんですか?」

「ああ、レイトスさんの手紙には何も書いてなかったからな」

 宿の主人はあらためてアイリを見た。そう言われると、目元が若い日の彼に似ているような気もする。

「おじさん、パパを知ってるの?」

「そんなに親しいわけじゃないが、レイトスさんとヨシュアさんのふたりは、このあたりじゃ竜退治の英雄だからな、まず知らない人はいない。それに、この町に来る時はいつもうちに泊まっていってくれたから、たまには話をすることもあった」

「そんなの全然知らなかった」

「まぁ、彼らのことだ、われわれの知らないことなんていくらでも出てくるだろう。家族にもあんまり昔の話はしないだろ? ところで、最近は姿を見かけないけど、ヨシュアさんも元気か?」

 コップを口に運んでいたペレスの手は止まり、コップを包むように持っていたアイリはその手をじっと見つめている。しばらく沈黙が流れた。

「ん、どうした…? 体でも悪いのか?」

「パパは、竜に殺されたんです…」

 アイリが重い口を開いた。

「殺された…? あのヨシュアさんが?! なんてことだ…」

 主人は信じられないというように大きな声を出し、頭を振った。

「ハブト村は大きな被害をこうむったとは聞いていたが、そこはヨシュアさんのことだ、てっきり無事だとばかり思っていたが、そこまで酷かったとは…。悪いことを聞いたな。すまない、許してくれ」

「いえ、気にしないでください。起きてしまったことはもうどうしようもないんです。でもその代わり、わたしはパパとママの、いいえ、村のみんなのかたきをとりたいんです」

「まだそんなこと言ってるのか。竜のことは王様に任せようってことになったじゃないか・・・」

 ペレスのあきれたようなさとすような言葉を聞きながら、主人はコップに残った飲み物を一気に飲み干して言った。

「アイリ、だったな。その気持ちもよーくわかるが、竜を相手にするなんていうのは、普通の人間にできることじゃあない。王様に会ってその想いを伝えれば、きっとなんとかしてくれるだろうから、今はかたきをとるなんて考えずに、王様に会うという目的、そのことだけ考えたほうがいい」

「……はい、そうします。でもちょっとだけ、竜について知っていることを教えてもらえませんか?」

「竜のことを? うーん…話だけだぞ。危ないことはしないと約束してくれるか?」

「約束します」

「そうさなぁ……」

 主人は少し考えていたが、頭をかきながら思い出したようにぽつりぽつりと話を始めた。

「ここにいると国のいろんなところから人が来るから、竜の話もたくさん聞く。どんな姿かたちをした竜がいたとか、どこに棲んでいたとか、誰が倒したとか、そんな話が多いな。竜に村を襲われたという話も昔からよく聞くが、最近は、あえて村を狙って襲いに来ているような気がしなくもない」

「どういうことですか?」

「昔は、住む場所とか、餌とか、そんなものをめぐる人と竜の小さないざこざから始まって、だんだん事が大きくなるケースが多かったが、近頃は、村を襲うことそれ自体が目的のように、何の前触れもなくある日突然襲ってくることが増えたみたいだ。しかも跡形もなくなるほど徹底的に焼き尽くされて……あ、悪い…」

 主人はアイリの視線に気がついて言いよどんだ。

「わたしの村もそうだった…。この町は大丈夫なんですか?」

「そうだなぁ、竜に対する防御設備がいくつかあるから、今はのんびりしているが、いつまでもこうしてはいられないかもな」

「金色の竜について何か知りませんか?」

「金色の竜? 金色の竜…金色の竜ねぇ…伝説みたいなのは聞いたことがあるが、そういうことじゃないんだろ?」

「そう、生きている金色の竜です」

「…うーん、やっぱり伝説の竜のほかは知らないなぁ」

「そうですか」

 アイリは残念な思いと同時に、ほっとしている自分にも気がついた。

「話のついでに、明日から船に乗るなら知っておいて損はないと思うが、最近は船の近くでも竜が出るっていううわさだ」

「近くに出るって、どこに出るんですか?!」

 眠気と闘いながらアイリと主人の話を半分うわの空で聞いていたペレスだったが、竜が出るという言葉に驚いて眠気は一度にどこかへ飛んでいった。

「どこ? どこって、そりゃ海の中というか、海の上というか…。海には昔っから竜が棲んでるんだが、とても臆病なので滅多に人目に触れることはなかった。それが、最近は船の近くでよく見かけるといううわさだ。人に危害を加えることはないと思うが、まぁ、用心に越したことはないな」

 アイリとペレスは顔を見合わせた。レイトスはこのことを知っていて、そのリスクも考えたうえで陸よりは海のほうがいいとふたりを船に乗せたのか、それともただ単に知らなかっただけなのだろうか。ふたりにはその判断はつきかねた。

「用心するってどうすればいいんですか?」

 なおもレイトスの思惑を考えるアイリだったが、ペレスの言葉が遮った。

「まずは海には竜がいるのを肝に銘じておくこと。あとは、船には竜退治とまではいかなくても、竜を追い払うくらいのことができる兵士が乗り込んでるから、そいつに任せる、くらいしかないな。

 ただ、オレはその兵士を知ってるが、どうにもそんな力があるとは思えない。国に認められてるんだから、それなりの実力があるんだろうが……あ、不安にさせて悪い、いつものくせでな。ま、海の竜に襲われることなんて万に一つもないから安心しな! わっはっはっ!」

「アイリ、教えてもらってよかったな。海の上でいきなり竜に襲われるなんてごめんだよ」

「そうね」

「それはそうと、夕食はどこで食べるか決まってるのか?」

「いえ、まだ考えてません」

「じゃあ、若者の前途を祝して、今日はおじさんのおごりといこうじゃないか!」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「アイリ、悪いよ」

「なぁーに、若者が気にするな! 海の上じゃうまいもんは食えないから、今のうちに好きなだけ食ってけ! わっはっはっ!」


 翌朝、出発の準備を整え重い荷物を背に船に向かうふたりは、宿の前で主人に見送られていた。

「くれぐれも気を付けてな。帰りにはまた寄ってくれよ! よい旅を!」

「ありがとうございました!」

「ごちそうさまでした!」

 ふたりは手を振り、噴水広場から細い路地に入って行った。こないだの犬は今日はいなかったが、暗い道を迷わずに抜け岸壁へとたどり着いた。

「え? この船?!」

 そこには2日前に見た大きな船の姿はなく、代わりにその3分の1ほどの大きさの船が停泊していた。どうりで空がよく見えると思ったわけだ。船の前には大きな荷物を持った人々が集まり、次々と列をなしてタラップを上がり、中に吸い込まれていった。

「てっきりこないだの大きな船で行くんだと思ってた」

「船の中はギュウギュウ詰めかもね」

「こないだのは土木工事に使う資材を運ぶ船で、あと中は慣れてしまえば意外と快適だぞ」

 知らない声にふたりが振り向くと、そこには、おとといの晩、食堂で絡んできた酔っぱらいの男の姿があった。

「おう、また会ったな」

 男は何が楽しいのか、ニヤニヤと笑っていた。

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