描かれた歴史

「わたしが団長…」

 アイリは国王の部屋を出ると、手のひらの小さな勲章を見ながら、あらためてその責任の大きさを噛みしめていた。

 実質的にすでに第4兵団のまとめ役になってはいたし、これまで通りやっていれば、任務はそつなくこなせるだろう。しかし、実際に団長に任命されるのとされないのとでは、気持ちの問題として雲泥の差があった。

 そしてまた、国王がこの任務を自分に託した意味を考えていた。フローレスの進言もあるのだろうが、ほかにも適任者はいるはずなのに、なぜわたしなのだろう。

 国を守るため、竜を倒すため、そして人々のため、力の限り任務を遂行する努力は惜しまないし、またその努力ができると自負している。けれど、兵士の中でいちばん若く経験も浅いわたしでいいのだろうか…。

 アイリはふと足を止め、通路の両側に掛けられたレリーフに目をやった。

 初めてこの城にやって来たときに見た、この国の始まりから100年間の歴史を彫ってあるというレリーフ。ずっと気にはなっていたが、結局、あの時からちゃんと見ることはなかった。

 レリーフは国王の部屋より遠い側から歴史が始まり、半分でいったん途切れ、また逆の壁へ繋がり国王の部屋へ向かうようになっている。全体的に灰色がかり、石を彫って作られているようだった。

「レリーフが気になるかな?」

 後ろから声を掛けてきたのは、いつも国王のそばにいた黒ひげの男、今では髪もひげも真っ白になっている男だった。名前は知らないし、その男も決して自分から名乗ろうとはしなかった。

「あ……、はい。わたし、この国の歴史はよく知らないから、ちゃんと知っておきたい気はあるんです。このレリーフには国ができた最初の頃の歴史が描かれているということは、フローレスさんから聞いているんですが、それしか知らないんです。竜も描かれているから、ひょっとしたら竜の秘密とか、何かあるんじゃないかと思って…」

「ほぅ、それは珍しい。最近では昔話を気にするものなど、とんとおらんのでな。貴殿の知りたいことがあるかどうかはわからんが、歴史を知ることはとてもいいことだ。よければこのわたしが教えてしんぜよう。今時間はあるかね?」

「はい」

「よろしい。ではこちらへ」

 ふたりはレリーフの端へと歩いていった。

「確かアイリといったな。貴殿はこの国が何年続いているかご存知かな?」

「500年と聞いています」

「そう、およそ500年続いている。正確な数字はわからないが、いろいろな記録が残っているので、ほぼ間違いない。しかしこのレリーフに描かれているのは…」

「100年だけ」

「そうだ。なぜ100年間だけなのかわからないが、まあ察するに、残りの400年は同じような年月が続いて、とくに形に残す必要もなかったのだろう。さて、ここが国の始まりだ」

 ひげの男が指したレリーフの始まり、そこは何も彫られていないただのなめらかな石のおもてがあるだけだった。そして、そこからだんだんと浮かび上がるように、雲と大地が描かれ、川が流れ、草木が生い茂り、花が咲き出した。空には竜が飛び、地面を人が耕している。そして次に現れたのは、1匹の竜とひとりの人間が向かい合っている姿だった。

 人間の方は姿かたちから女の人だろうとアイリは思う。

 竜は人の5倍ほどの大きさで、大きくて立派な翼を持っている。よく見ると、ところどころレリーフ本来の素材とは違う光り方をしている箇所があった。

「ここに描かれている竜、これは金色の竜だ」

 ひげの男はその竜を指差すと、あっさりと言い放った。

「金色の竜?!」

「そうだ。昔は金箔を貼って金色に光らせていたようだな」

 アイリがよく見ると、光っていると思ったところは、金箔が剥がれて残った跡だった。

「そしてこの金色の竜と、向かい合って立っている娘。このふたり…いや、1匹とひとりから、この国の最初の王、建国の王が生まれたという」

「えっ? 竜と人から?」

「うむ」とひげの男はうなずいた。

「古老の中には、この話を口伝えに語り継いでいるものがいるが、今の世の中、こんな話を信じているものなんてほとんどいないだろう。幼い頃に聞かされたおとぎ話、あるいは誰かが作った物語だと。ただ、貴殿がどう思うかは勝手だが、わたしは彼らの話が単なる夢物語ではないと考えている」

「竜と人から最初の王さまが生まれたことがですか?」

「そうだ。普通に考えるとあり得ない話だが、実際にそうだったのかもしれないし、そうでなくとも、何かを暗喩しているとか、意味がある逸話なのだと思っておる」

 アイリがふたたびレリーフを見ると、竜と人の横に小さな子供の姿があった。

 はじめは四つん這い、次には2本の足で立ち、走り、鍬をかつぎ、畑を耕すにつれ、その姿は大きくなり、それにつれて背後にある建物の数は増え、町が発展していく様子が描かれている。

 そして、それぞれの場面には必ず金色の竜とおぼしき姿も描かれ、空には大小たくさんの竜が舞っている。花や果物がそれらの情景を縁取っていた。

「町は王のおかげでどんどん発展し、今の王都のいしずえが築かれたという。建国の王は、またの名を宝石の王という。なぜ宝石かというと…」

「原石を見つけて磨き上げて宝石にするみたいに、町のいいところを見つけてきて、それを大事にして丁寧に磨き上げるように発展させたから、ですよね。前に友達に聞きました」

「うむ、その通りだ。そして親子であるかどうかはともかく、その王は常に金色の竜と行動を共にしていたため、金色の竜の王とも呼ばれている」

 石のレリーフはそこで半分が終わった。

「ここで建国の王の時代は終わりだ。そしてレリーフの残り半分には、2代目から5代目の王の時代が描かれている」

 ふたりは反対側へと歩いていった。

「2代目の王の時代に入ると、町はさらに発展し、国は海の向こうへも領土を広げていった」

 レリーフは海の上を進む船から始まっていた。

「しかし、そのために近隣諸国との摩擦が生じて、争いが始まるようになったという」

 金色の竜の姿は相変わらず描かれているが、その扱いはだんだんとおざなりになり、空を飛んでいた大小の竜もほとんど描かれなくなっていった。

 また、自然の風景もなくなり、代わりに、人間の姿や人間同士の争いの場面が多く描かれるようになってきた。

 アイリは竜が描かれなくなっていくことに、期待した答えが得られないような物足りなさを感じたが、一方で、人間の歴史はこんなものなのだろうと、妙に納得するところもあった。

「ところで、さっきから光っているそれは何かね?」

 ひげの男が唐突に尋ねた。

 アイリは気が付いていなかったが、胸にしまっていたペンダントが淡く光っていたのだった。

「あ、緑竜石のペンダントです。ペレス…ここまで一緒に来た友達のお母さんの形見なんです」

「あの少年か。確か村の復興を手伝っているという話だったな…」

 その時、通路の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。

「アイリっ! ここにいたのか!」

「フローレスさん、何かありましたか?!」

「竜が出た、すぐに出るぞ!」

「竜が…わかりました! ひげのおじさん、続きはまた今度お願いします」

「ああ、気が向いたらいつでも構わんよ」

 アイリは軽くお辞儀をして、フローレスとともに駆けていった。

「ひげのおじさん、か…」

 ひげの男は自嘲気味に笑うと、振り返ってレリーフの金色の竜を見た。娘と向かい合っているあの竜だ。

 すると男は、その竜の目が何だか意思をもって、走り去ろうとするアイリを追っているような気がした。内心ぎょっとしながらも、いやいや、石に彫られた像が動くはずがないと思い直すと、竜は最初と何も変わらず、ただそこに描かれているだけだった。

「いやはや、こんな目の錯覚にとらわれるなど、わたしもそろそろ引退の歳だな…」

 男はそう言うと手を後ろに組み、ゆっくりとその場をあとにした。そして、その竜から金箔のカケラがぽろりと落ちたことに気が付くことはなかった。

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