闇の中から生まれたもの

 気が付くと、心が空っぽになったワタシのすぐ目の前に、“ワタシ”が羽ばたいていた……。

 全身がまばゆいばかりの金色の鱗で覆われた竜。

 まるで鏡を見ているかのようだった。

 なにが起きたのかと目を疑ったが、その姿を見てすぐに悟った。

 すべてのものを軽蔑し、尊大で、周りにいるものを射すくめるような目つき、全身からにじみ出すような憎悪にまみれたその息づかい……それは他ならぬワタシの心の闇から生まれたワタシ自身に違いないと。


 その金色の竜はおもむろに地上へ急降下していったかと思うと、女王の座る玉座へ向かって迷うことなく炎を吐いた。

 彼女はその灼熱の炎の中にあっけなく消え去り、あとには灰すら残らなかった。

 きっとこの竜はそうするのだろうと、ワタシは何も疑問を持つことなく、また止めようなどとも思うことなく、ただ、この様子を見守っていたが、焼かれている時の彼女の苦悶の表情が鮮明に目に焼き付いた。


 口の端に炎を残し、金色の竜はワタシを一瞥いちべつした。

 その目は、オマエはどうして仲間が殺されているのに何もせずただ見ているだけなのかと、あからさまな敵意を剥き出しにしていた。

 ワタシにだってそんなことは分かっている。人が竜に対して行ってきた許されざる狼藉ろうぜきの数々。そしてワタシに対するこの仕打ち。考えないわけがない。

 けれどワタシは人々に少しでも希望を持ちたかった。あの少女と出逢った喜び、彼女をなくした悲しみ…ワタシが愛し、そしてワタシを愛してくれた彼女…あの幸せだった日々を憶えているから…。彼女もきっとこんな結末は望んでいない。

 しかし、彼女と同じであるはずの人々から浴びせられた、憎悪と恐怖のないまぜになった眼差し。もはや人々に受け入れられることもないのかもしれない。

 竜の仲間を見捨て、ましてや人からも拒絶され…。

『オマエはいったいナニモノなのだ』

 感情の燃え尽きた心の底から、そんな声が聞こえた気がした。


 金色の竜はそんなワタシを気にすることはなく、森へ向かって飛んでいった。その途中、街の瓦礫の山の中から、生き残っていた兵士たちによっていくつも砲弾が打ち上げられたが、それらは竜の吐く炎の前にはまったく意味をなさなかった。そればかりか、あたり一帯は容赦なく焼き尽くされ、竜はあたかも火炎の紅い絨毯の道を突き進むようにして飛び去った。

 地上からは人々の悲鳴と断末魔のうめき声が聞こえ続けていた。


 森ではいまだ多くの竜が逃げ惑っていたが、金色の竜がおぞましい声で大きく空気を震わせながら叫んだのを合図に、森の中からだけではなく、どこからともなく吸い寄せられるように集まったさまざまな竜により、たちまち空は黒く埋め尽くされていった。


 ひとときの不気味な静寂があたりを覆った。


 ふたたび大砲の弾が打ち上げられ始めると、金色の竜は地上に向かって炎を吐き出し、集まった他の竜たちもそれにならっていっせいに炎を吐いた。その様子はあたかも空から紅い炎の滝が流れ落ちるようだった。

 地上はたちまち焼かれる人や馬で地獄の様相を呈し、見渡すかぎり広がっていた森と緑の丘は紅い炎の海に覆われ、その大波が街にも押し寄せてきた。


 ワタシは吹き付ける熱風を感じながら、ぼうぜんとその様子を眺めていたが、ここに至っても何か感情が湧き上がってくることはなかった。憎しみもなく、悲しみもなく、ただうつろな心に飲み込まれてしまわないように、自分の存在をこの世界に留めておくことだけで精いっぱいだった。


 金色の竜は体をギラギラと輝かせながら、赤黒い炎の海を見て満足したように飛び去った。そのあとに竜の大群が黒い塊となって続き、やがて地平線の向こうへと消えていった。


 ワタシは我に返ると、心の思うままに何も考えず羽ばたいた。

 やがて見えてきたのは、あの少女とルカとの思い出の海辺だった。港町は大きくなり海岸線は昔とは大きく形を変えていたが、大海原はあの頃と何も変わらず、水面に立ち上がる無数の小さな波がきらきらと輝いていた。

 突然現れたワタシの姿に、港町の人々はみな驚きの表情をあらわにしていたが、町のはずれで少年がひとり、なにものをも疑うことのない透き通るようなまなこで、ワタシの姿を見上げていた。とても懐かしい瞳。

 ワタシはいつまでもその視線を感じながら、海と陸とが出合う境界線をなぞりながら遠くへと飛び続けた。


 * * *


 竜も人もいない安住の地を見付けたワタシは、それから長い間、穏やかな日々を過ごした。


 やがて、この地でも人の姿をちらほらと見かけるようになってきたが、ワタシが危害を加えないとわかると、彼らもワタシもお互い干渉することなく、他の竜や人にも邪魔されることなく穏やかに暮らした。なかにはあの少女やルカのように心を交わせる者も出てきたが、その話をつなぎ合わせると、彼らは突如として現れた狂った竜に村を襲われ、土地を捨てあちこち転々としているようだった。多くの仲間も失ったらしい。

 しかし一方で、竜に対して徹底的に抵抗する人々も大勢存在し、一度は壊滅的な被害を受けたかに思えた彼の国もそうだった。そして実際に、竜とそれらの人々はすでに何度も大きな衝突を繰り返し、そのたびに双方に大きな犠牲が出ているという。

 こともあろうに、それらの話には必ずと言っていいほど、あの金色の竜が出てきた。


 そうこうするうちに、近々大規模な竜の掃討作戦が始まるとのことで、国の権力が及ぶとは思えなかったこんな人里離れた場所からも、若者が何人も徴集されていった。

 たいせつな人との別れは見るに忍びなく、ワタシもあの少女との別れを思い出すほどだった。


……しばらくして掃討作戦の日が決まったと村に知らせが届いた。

 村人に請われワタシが戦地の空から見た光景は、とても凄惨せいさんなものだった。まだ炎でくすぶり続け、あたり一面色を失い灰色となった焼け野原に累々と折り重なる竜の亡骸なきがらと、それよりはるかに多い数の人のしかばね。こんな光景をどのように村人に伝えればよいというのだろうか…。

 村人は戻ってきたワタシの様子を見て多くを聞こうとはせず、状況を察したようだった。ワタシはやりきれぬ思いで、せめてこの村の若者だけでも無事であってほしいと一縷の望みを抱いていたが、彼らはもう二度と帰ってくることはなかった…。

 あとに残された人たちは、魂を抜かれたようにただ悲嘆に暮れた日々を過ごすだけだった。


 時は流れ、また違う場所で、同じように若者が死地しちおもむいた。

 時を変え、場所を変え、ワタシは何度も何度も同じ惨劇を目にしてきた。竜と人のしかばねも嫌というほど見てきた。

 この世は悪夢でしかないのだろうか…。

 気が付くといつもワタシは泣いていた。竜と人の愚かしさ、同じことを繰り返すこの世のことわりの虚しさに…。


 そんな絶望感にさいなまれている時、ワタシは竜と人とのこれまでになく大きな争いが行われようとしている場面に出くわしたのだった。

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