翼の長い緑の竜
「アイリは大丈夫なのか!」
3人の男たちは外へ外へと、激しく渦巻く猛火に追い立てられるように逃げていく。何も考える余裕などなく、ただひたすらに逃げるのみだったが、炎の勢いが少し弱まり冷静になるにつれ、アイリのことが急に頭をもたげてきた。
竜たちも炎から遠ざかるように逃げていき、金色の竜が舞い降りたはずのその場所一体には、燃え盛る炎を半球状に押し込めたような空間ができていた。それは急激に膨らみ、炎の勢いはやむことを知らず、誰も近寄ることすら許されそうになかった。
その中心に確かにアイリもいたはずだが、炎の勢いが強すぎて外からは何も見えず、ときおり炎が強く燃え上がるばかりで、金色の竜の姿もまた確認することはできなかった。
「アイリも
男たちはそれぞれに足を止め、絶望的な光景を眺めながらそう呟いた。
*
『ここは、どこだ……』
気が付くとワタシは炎の中にいた。
空も地も水も空気もすべて、そしてその炎さえも焼き尽くしさらに燃え盛る炎。
前にも見た光景。
しかも何度も見た光景だった。
嫌な記憶が蘇る…。
目の前にアイツがいた。
どうしてアイツがいるのか…。
ワタシは
その炎の勢いのあまりの強さにアイツ自身の鱗はすべて剥がれ、金色の輝きは微塵もなく、ただ闇そのものになっていることにすら気が付いていないようだった。
そして血走った眼だけが
なんて憐れで愚かな姿なのだろう。
ワタシの心の闇が生み出した
アイツは
竜であることと人であること、そのどちらにも抱いていた執着、ワタシはとっくにそんなものへの未練は断ち切ったはずだ。
そしてワタシとアイツはこの繰り返す世の
光がなければ闇は存在せず、その逆もまたしかり。
光であるワタシが存在しないならば、アイツもまた存在しないはず。
けれど、ならばどうしてワタシはここにいるのか。
アイツに呼ばれたというのか。
それとも、ワタシにもまだ何か未練が残っているというのか…。
ふと、ワタシの瞳にひとりの少女の姿が映った。
その少女は燃え盛る炎の中、全身を守られるかのように緑の光をまとい、傷ひとつ負っていなかった。
そして彼女はアイツに向かって剣を振るい続けているのだった。
その体に不釣り合いなほど大きな剣は、まるで光を帯びているように輝き、しかも一振りされるたびに輝きが増すようだった。
アイツの吐き出す炎と少女が握りしめる剣がぶつかるたびに、空気は大きく震え、周りを取り巻く炎の勢いはひときわ大きくなり、そして眩しいばかりの光がほとばしった。
少女は見るものすべてを惹き込むような
そしてまた懐かしいにおいが記憶の扉をくすぐり、忘れていたあの少女への感情があふれ出してきた。
同時に、ワタシは目の前のこの少女の中に、いや彼女の記憶の中に吸い込まれるような感覚に陥ったのだった。
*
「急にどうしたっていうんだ?!」
フローレスの率いる兵士はアイリたちの後方で竜と戦っていたが、突然、竜の大きな鳴き声がしたかと思うと、それをきっかけに竜たちは慌てたように前方の群れの方へ向かって飛んでいったのだった。
「オレの出番はなさそうだな」
フローレスが振り返ると、そこには長い槍を持ったひとりの男がいた。
「アレン、帰っていたのか!」
「いや、街がたいへんなことになってると使いが来て、村の奴らから助けに行けってうるさく言われちまってな…」
「セリナか?」
「まあそうだ。馬を飛ばして辿り着いたら、今度は大量の竜が押し寄せてきたって言うじゃねぇか。海の様子もかなりおかしかったから気にはなっていたんだが、いったいどうなってるんだ?」
「今は話している余裕はないが、ご覧のとおりだ」
フローレスとアレンの周囲の地面は黒く焼かれ、そこには兵士や竜たちの
「ご覧のとおりって、おいおい、オレは地獄にでも迷い込んだっていうのか? 貧乏くじを引くのはもうまっぴらごめんだぜ」
アレンはいつもの軽い冗談のつもりで言ったが、今のフローレスにはそれを冗談として受け流す余裕がないようだった。
「まあいい。ところでさっき兵士から聞かせてもらったんだが、金色の竜とやらはどうなったんだ?」
「ああ…あの中にいるはずだ。アイリたちが戦っているはずなんだが…」
フローレスは前方で膨らみつつある炎の塊を顎で指して言った。
「アイリ…あの少女か。しかし、あの炎の中で、か…?」
*
『そなたはあの少女なのか?』
突然アイリに語りかけるものの声があった。
『…だれなの?』
アイリは目の前でうごめく暗い闇、少し前まで金色の竜だったものの攻撃を受けながら、頭の中に滑り込んでくる声に耳を傾けた。
『そなたにはワタシの言葉が…いや、ワタシの心がわかるのか?』
『だれ? だれなの?』
アイリはなぜかしら懐かしい感覚を覚えた。
『そなたはすでに知っているだろう』
『もしかして、金色の竜…あなたなのね……?』
『そうだ』
『あなたのことは知っているわ。あの女の人のことも…』
その時、アイリの記憶の中に金色の竜の記憶が、そしてまた金色の竜の記憶の中にアイリの記憶が入り込み、それは鮮やかな色と輝きを持って混ざりあった。
『ワタシの記憶を
『わからない…そのどちらでもあるかもしれない……』
『それでは率直に問おう。そなたはワタシの敵なのか?』
『それだけは違う。わたしはあなたの気持ちを理解できると思うわ。いいえ、そう思いたい』
『竜にもなれず、人にもなれなかったワタシの気持ちを理解できるというのか? それにそなたは竜に親を殺されたのだぞ?』
『そうよ。わたしの愛する人たちは竜に殺されたわ。でも殺したのはあなたじゃない。あなたは違う』
『どう違うというのか?』
『あなたの記憶を見てきたからわかるの。あなたの苦悩も、あなたの優しさも…。ほかの竜だってそうよ、みんなが好きでこんなことをやっているわけじゃない…』
『そうか…。ならば、ワタシに力を貸してくれないか?』
『わたしの…力を……?』
『今度こそすべてに終止符を打ちたい』
『………』
『見えるだろう。目の前のこの醜い姿が。これもまたワタシ自身の姿なのだ』
『ええ…』
『あれを止めなければならない』
『ええ…』
『だが、ワタシは…』
『あなたはもう形を持っていない。そしてこの世界にはもうよりどころもない。だから、わたしがやればいいのね』
『そうだ。ワタシが力を貸す…やってくれるか?』
『でも、あの竜がいなくなったらあなたもいなくなるんでしょ?』
『ワタシはそれを望んでいる。もとよりワタシは、この世に存在してはいけなかったのかもしれない…』
『そんなことない! あなたがいたから、だから、彼女は救われたのよ!!』
アイリがそう強く心の中で思った時だった。
目の前の黒い竜の形をしたものが全身でアイリに襲いかかってきた。アイリは腰を落とし剣を握る手に力を込めなんとかそれをしのいだ。
『そなたの緑竜石、それをよりどころにしてすべてを託そう』
『でも、どうすれば…』
『そなたは今のままで、アイツを倒すことだけを強く願えばいい。頼んだぞ…』
*
空はどんよりと厚い雲に覆われ、地面は焼け焦げた灰や竜の死体で暗く沈み込み、空気は鼻をつく嫌なにおいで満ちている。
そして相変わらず燃え盛る炎を取り囲むように竜が群れている。
「くそっ、一歩も近づけやしねぇぜ。何なんだこの数はよぉ…。アイリは大丈夫なのか!」
3人の男たちはふたたびひと所に集まり、竜の群れの中に突破口を開こうともがいていた。
「まったく、さすがにきりがなくてかなわんわい。ん? なんじゃ、あの緑の光は?」
突如として炎の中に現れた、まばゆいばかりに輝く緑の光。それは炎を蹴散らしながらその色を濃くしていった。
「あ! あそこにいるのは!」
「アイリだ!」
その光を見た男たちは口々に叫んだ。
人の形をしていたその緑の光は、炎を吸い込むように徐々に大きく膨らんでいき、見る間に大きな竜を形づくった。
それは緑色に輝く翼の長い竜だった。
その緑の竜が羽ばたき軽々と空高く舞い上がると、空には稲妻が走り、雷鳴がとどろいた。やがて大粒の雨が降り注ぎ、燃え盛っていた炎は一瞬のうちに消え去った。そしてひとつ大きく羽ばたいたかと思うと、あたりを覆っていた灰や燃えかすや土ぼこりはあっという間に霧散し、透き通った空気が流れ込んできた。
緑の竜は今度は空に向かって口を大きく開け鳴く仕草をした。すると、空を覆っていた暗雲にいくつもの亀裂が入り、太陽の光が差し込んできた。竜は太陽の光を全身に浴びると、まるで黄金色の光を背負ったように輝き、その体からいくつもの光の束が発せられた。
光の束は雲を突き刺し、地上へ向かってあまねく降り注ぎ、その様子を見た多くの竜が慌てて逃げ出した。しかし時すでに遅く、体中に光を浴びた竜は苦悶の鳴き声を上げながら地上へと落ちていった。
そんな竜たちの混乱をよそに、真っ黒な竜の形をしたものが緑色の竜に向かって一直線に飛んでいった。そのおぞましい目つきだけがかつてのその竜の姿を彷彿とさせた。
そして緑色の竜もまた輝きを増して真っ黒な闇を目掛けて羽ばたいたのだった。
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