生きて

 殺風景な部屋のベッドにひとりの男が寝かされている。赤毛にそばかすの、まだどことなくあどけなさの残る青年。彼の上半身には痛々しいほどに真新しい白い包帯が巻かれ、ベッド脇に置かれたたらいの中には、どす黒くねっとりとした液体が溜まっている。

 部屋にはこの男の他に、強い日差しを遮りやわらいだ日のさす明るい窓辺に置かれた丸い机を中心にして、神妙な面持ちで話し込む数人の人影があった。そしていま扉を開けて入ってきた長い髪の人影もその輪に加わった。

 ほどなくそのうちのひとりがベッドのきしむ音に気が付き顔を向けると、他の人影もいっせいに向き直った。

「ザハド、調子はどうだ? 落ち着いたか?」

「え? あぁ、そうか…。やっぱり夢じゃなかったんだ……いたっ…」

「起き上がるのは無理だ。今はまだ横になっていろ」

「いえ、これくらい…うぅっ……」

 ザハドの胸のあたり、包帯の下から黒い血が滲み出てきそうになっているのがわかった。

「動くと傷が開く。まだしばらく安静にしてろ」

「いいえ、こんなことはしていられない…。フローレス王子、アイリ、話を聞いてほしい…」

「話せるのか?」

「い、いま、ちゃんと伝えておきたいんだ…」

「…わかった、こちらも聞きたいことがある」

 ベッドの周りにはフローレスとアイリ、そしてルイ、ダレス、レイモンの鋭い視線があり、少し体を起こしたザハドは彼らの顔を見て安心したような、それでいて諦めたような表情を浮かべ、途中苦悶に身をよじりながら途切れ途切れに話を始めた。

 アイリは少しばかり血の気の戻ったザハドの表情を見て、どことなくこれまでの彼に戻ったような感じを抱いた。


「金色の竜がすべての始まりだった」

 ザハドは遠くを見るように語り始めた。


「グリプトの国に復讐するために必要だった力、それが金色の竜だった。けれど、あれを起こしてはいけなかったんだ。人間の手に負えるものじゃなかった。ましてや仲間にしようなんてはじめからどだい無理な話だった」

「金色の竜はお前たちが蘇らせたっていうんだな?」

「そう。でももっと慎重にするべきだった。いまさら悔やんでも仕方ないけど、我々は傲慢ごうまんすぎたんだ…」

「あの竜は何なんだ? いったいどこから連れてきたっていうんだ?」

「伝説の金色の竜。この地方の伝説に出てくるあの竜ですよ」

「なんだって…?!」

「我々はあの金色の竜と契約して、その封印を解いてやった。いや、封印を解いてやったから契約できたというべきかもしれない」

「竜と契約とは…にわかには信じられない話だな。それにあの伝説は単なる作り話ではなかったのか?」

「我々だって“その時”までは伝説なんて信じていなかった。けどこの伝説は本物だった」

「本物の伝説だと?」

「ええ、そうです。城のレリーフにも刻まれている竜の話。かつて人間と竜が大きな争いを何度も繰り返し、ついには人間が金色の竜とともに勝利するという話。グリプトの国ではほとんど忘れられているようだけれど、我々の土地には詳しい話が代々語り継がれてきた」

「詳しい話というと?」

「より原型に近い話だと言った方がいいのかもしれない。その話の中に、何ものかによって金色の竜が封印されたという描写があった。ある時、我々が酒場で酒を飲みながら戯れにその金色の竜の話をしていると、ひとりで酒を飲んでいた旅人が近づいてきてこんなことを口にしたんだ。『それは竜の大岩のことではないのか?』と。これが始まりだった。そいつは風変わりなローブをまとっていかにも怪しげな風貌だったが、詳しく話を聞くとあまりの類似点の多さに偶然の一致だとは思えず、その旅人を連れて竜の大岩を調査することにしたんだ。それがアイリの村はずれの森の奥にある竜の大岩のことだった。旅人は『これで役目は果たした』と言い残し突如行方知れずとなってしまったけれど、伝説に描かれた金色の竜がそこに封印されていると確信した我々はさっそく計画を進めた」

「竜の封印を解く計画を、か?」

「そう。そしてその封印を解く鍵も伝説の中に隠されていた」

「そんなに都合のいいことがあるのか?」

「それも旅人がヒントを残していった。なんてことはない、実に簡単なことだった。竜の大岩をどけて、大地の裂け目を広げるだけだったんだ」

「でもあの近くにはレイおじさんたちがいたはずよ。そんなことやってたら気がつくわ」

 黙って話を聞くだけだったアイリがたまらず割り込んできた。

「それはもちろんそうだ。だけど、彼だってずっと岩のそばにいたわけじゃないだろ? 我々だってそんなに馬鹿じゃないし、人に知られずに行動するなんて造作もなかった。それに好都合なことに、村の人々にとって森へ立ち入るのは禁忌きんきとされていた…」

「ちょっと待って、村はずれの森って言ったわよね? そんなところにも竜の大岩があったの?」

「え? アイリも言ってたじゃないか…」

 ザハドは驚いたように目を見開きアイリを見た。

「わたし村はずれの森なんて行ったことないわよ。それに竜に村が襲われたあとにもまだ竜の大岩はあったわ」

「何を言っているんだ…? あの森の中の大岩だぞ? そして闇よりも暗く深い大地の裂け目だ…ほら、知ってるだろ?」

 アイリが首を横に振ると、ザハドの手は小刻みに震えだした。

「我々は最初から間違えていたというのか…。違う、違う、そうじゃない…。確かにあの中から出てきたのは金色の竜だった…」

 ザハドの顔から血の気が引いていくのがわかった。

「ザハドさん?」

「あぁ! 何ていうことだ!! 我々は悪魔と契約したとでもいうのか!?」

 突然彼は頭を抱えて叫んだ。

「そ、そうだ、あの男! あの男にだまされたのか!! あの男? あの男って誰だ…? 顔のない男、それとも女? あの目、あの目だ……うわぁあああ!」

「おい、しっかりしろ! またこの発作か…」

 フローレスたちが暴れだしたザハドをベッドに押さえつけると、彼は急にむせ込みだし、たらいの中にどろりとした黒い塊を何度も吐き出しては肩で息をした。喉からはひゅーひゅーとすきま風のような音が聞こえている。

「もう一度これを飲め」

 フローレスはカップに注いだ濃い緑色の液体を無理やりザハドに飲ませた。

「げほっ、げほっ……」

「落ち着いたか?」

「は…はい……」

「フローレスさん、それは?」

「解毒剤だ。医者が言うには、ザハドの脳みその中から全身にわたって髪の毛や爪の先までも毒が回っているらしい」

「毒、ですか? 誰がそんなことを…」

「竜に襲われた村の人間に時々こんな症状が出ることがあった。さっきからのザハドの話を聞いてると、もしかしたら金色の竜の毒にでもあてられたのかもしれないな…。ん? 待てよ……そうだ、いつだったかアイリに聞かせてもらった黒い竜の話。他に見たことのない行動のおかしなやつで、確か全身に毒が回っていたと言っていたな…。ひょっとするとすべては金色の竜にたどり着くのか? あいつが毒をもって仲間を集めているとすればいろいろと符合する点が出てくる…。それが竜だけでなく人間にも影響を及ぼしているとしたら…いや、あるいは意図的に…?!」

 フローレスは途中から思案顔でひとり言のように続けた。

「アイリ、毒はほんのわずかであっても、人間の心の闇に食らいつき、その闇はさらに濃く深くなり、そして内側から体をむしばむこともあるんだ」

「心の闇を…」

「ああ、我々の仲間にも自分の心の闇に支配されたものが何人もいた。回復しなかった彼らの末路は…語るに忍びない。今はやめておこう。ところでザハド、マウロはいったいなんだったんだ? なぜお前の命を狙った?」

「マウロ…。わたしは信用されていなかったのか、邪魔だったのか、それとも、ただ利用されただけだったのかもしれない…。我々の内部にもいろんな考えを持った人間がいた。復讐だけでは飽き足らず、グリプトの国民を含めてすべて滅ぼすべきだという意見もあった。市井の人々には可能な限り手を出さないということでまとまったはずだけど、過激な思想をそのまま捨てられない人間もいたということかもしれない。みんなほんとうはいい人だけど、彼ら彼女らもまた家族や恋人を殺されたんだ。その気持ちは痛いほどよくわかる…。突然人格が変わったようになった仲間もいた…。はっ! そういえばわたしのペンダントはどこに?」

「それならここにあるぞ」

「よかった…」

 ザハドは壊れたペンダントとクリーム色の紙片を受け取ると両手でやさしく包んだ。

「お前の恋人か?」

「マリアンナ、妹です。彼女は病弱だったけれど聡明そうめいで自慢の妹だった。けどそんな彼女を奪ったのもグリプトのやつらだった…。あぁ、マリアンナ……」

 ザハドは手のひらの中でほほえむマリアンナを見ていたが、ふと視線をずらすと彼女と見紛うばかりのアイリの顔が目に飛び込み、突如として湧いてきた後悔と懺悔の涙で視界が揺らいだ。

「…マリ…いやアイリ、我々は村の人々に取り返しのつかないことをしてしまった…。一生かけたって償うことなんてできない。けれどこれだけはわかってほしい。我々があくまで標的にしていたのは、グリプトという国とそのありようだけだったんだ。人々にはできるだけ危害を加えないよう細心の注意を払ってきたつもりだったんだ…」

「けれど、村の人々はみんな竜に殺されたわ。それは事実よ…」

 アイリは冷たく言い放った。

「そう。我々のせいで村の人たちが犠牲になった…いや、我々が村の人たちを殺したんだ。だからわたしを恨んでくれ。心の底から憎んでくれ。そして、その手でひと思いにこの命を終わらせてくれないか……」

「え、なに? なにを言ってるの…? そんな勝手なこと言わないでよ!!」

 アイリは左手をザハドの前に突き出し、手首のやけどの跡を見せつけた。

「この傷見てよ…! これ、あの時の傷跡よ。前に話したわよね…。わたしの目の前でパパもママも炎に巻かれて死んだわ。他にも大勢死んだ。友達も近所のおじさんやおばさんも。なにせ村で生き残ったのはわたしだけなんだから…。ねぇ、あなたあの時どんな気持ちでわたしの話を聞いてたのよ! この手の傷はみんなに助けてもらって生かされたあかしなのよ。その手でわたしに人を殺せっていうの? あなたを殺せばすむことなの? 死んでなにになるっていうのよ! ねえ!!」

「ほかにどうすればいいんだ…この罪は重すぎる…。背負いきれるはずなんてないじゃないか……」

「だったら、生きて…」

「……え?」

「生きて、生きて、あなたの愛した妹さんの分まで生きてよ!!」

「アイリ…」

「彼女もきっとそれを望むはずよ…。じゃないと報われないじゃない! みんな誰かを思う気持ちを持ってるのに、それなのに、誰も救われなかったなんて、そんなの…悲しすぎるわよ……」

 アイリの声はかすれ、その瞳はいまにもこぼれ落ちそうな涙でいっぱいになっていた。

「すまない……」

「わたしは誰も助けられなかったけど、みんなに助けられて、あの日、生きると決めた。だから生きて…」

「うん…」

「背負いきれない罪を背負って生きて…」

「うぅ…すまない……」

 ザハドは誰はばかることなく男泣きをし、流す涙は手のひらのマリアンナの肖像画にこぼれ落ち、その顔に付いていた血のりが洗われていった。そして声にならない彼の嗚咽おえつは、やわらかな日差しが部屋を満たすまでいつまでも響いていた。

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