第33話 不穏と不安

「ナズナ、シトネ村が見えてきました。あと半日もあれば、目的地のタリスマン砦に着きますよ。あれは……何かあったみたいですね。立ち寄っていきましょう」


 シシリアに促された視線の先に、どこにでもある農村の風景が広がっていた。

 小川のほとりに造られた小さな村。その川辺に人だかりが出来ている。

 村の入口に馬車を停め、ナズナとシシリアはその人垣へと近付いた。


「どうかなさいましたか?」


「ん? お嬢ちゃんたちは旅の途中かね? 見ない方が良い、むごいもんだよ」

 

 こんな辺境の村を訪れるのは、ナダルの森に向かう屈強な傭兵やタリスマン砦の兵士くらいなものだからだろう。

 シシリアの声に振り返った老婆が二人の少女へと、もの珍しげな視線を向けてそう言った。

 

 その後すぐに、人垣を割って一人の男が姿を現した。


 背が高く、髪の色は青みがかった灰色アッシュグレイで細面に切れ長の瞳。一般的に女性受けの良さそうな、どちらかと言えば文官といった感じの優男だが軍服を着ている。

 その男を見て、ナズナが頭に思い浮かべたのはキツネの顔であった。


「やはり、シシリアお嬢様でございましたか、お久し振りにございます。しばらくお会いしない間にまた一段とお美しさに磨きがかかって、流石はルーデンベルグの宝石と称えられた――」


「フリード、世辞は不要です。それと、お嬢様もやめて下さい。こちらは学院生で親友のナズナです」


 身振り手振りを交え、シシリアを褒め称え始めたフリードを手で制し、シシリアがナズナを紹介した。

 ナズナは親友という言葉にこそばゆさを覚え、どうにも緩んでしまう口元を隠すようにフリードに向かってお辞儀した。


「お世辞だなんてとんでもない。私は感じたままを、嘘偽りなく正直に申し上げただけでございます」


 フリードは大袈裟に肩をすくめて見せると、視線をナズナへと向け……たぶん、ウインクをした。

 元々が糸目の為に判別に困るところであるが、シシリアが額に手を当て、判りやすく呆れた様子で溜息を吐いているのでそうなのだろう。


「それでフリード、何があったのですか?」


「遺体が流れ着いたとの知らせを受け、検分しておりました。損傷が激しいので見るのはお勧め出来ませんが、身に着けていたプレートから連絡が途絶えていた金等級パーティーの一人で間違いないと思われます」


「……そうですか、丁重に弔ってあげて下さい。ギルドにも報告を」


「かしこまりました」


 悪い報せに、一転して表情を曇らせたシシリアは「想定された中で最悪の状況となりましたね」と独り言のように呟いた。


「どうする? この村で少し休ませてもらってから出発する?」


 落胆の色を隠せないシシリアへ、心配そうに声を掛けたナズナが見つめている。 そこに歩み寄ったフリードが言った。


「シシリア様、タリスマン砦にてゴリアス様がお待ちです。お疲れとは思いますが、この事を早急にお報せして今後の対応を協議するべきかと」


「叔父様が? わかりました。ナズナ、気遣ってくれてありがとう。私は大丈夫ですから先を急ぎましょう」


「うん、シシリアがそう言うなら」


「では、私も部下に指示を致しましたらすぐに追いつきますので」


 最後にフリードはそう言ってシシリアに一礼し、人垣の奥へと戻っていった。

 村人たちに会釈をしたシシリアもまた、馬車へときびすを返し、深々と頭を下げた村人たちがその後ろ姿を見送っている。

 

 貴族令嬢としてのシシリアの一面を垣間見たナズナは、ちょっとした感慨に浸っていたのだが、目の前の光景にふと思う。

 いくら辺境の村とはいえ、お年寄りばかりだな――と。

 

「ナズナ? どうかしましたか?」


「ごめんごめん、なんでもないよ」


 ナズナは村人たちに会釈をすると、立ち止まって振り返っているシシリアへと走り寄った。

 シシリアと並んで歩き出したナズナが、何となく肩越しに後ろを見やる。

 村人たちとは別の、こちらをじっと見据える眼差しがあった。

 正確には、シシリアの後ろ姿をじっと見つめているフリードの――だが、ナズナが目があったと感じた直後には、もう背中が向けられていた。


 馬車が走り出してしばらくは沈黙の時間が続いたが、気持ちを切り替えようとしてなのか、シシリアがいつもよりも声高に喋りだした。


「それにしてもお父様ったら、ゴリアス叔父様を寄こすだなんて。しかもフリードまで付けて」


「叔父様が苦手なの? あのフリードって人も?」


「ああ、ごめんなさい、勘違いさせてしまいましたね。叔父様は大好きよ。フリードは、彼の事は嫌いって訳ではないのですが――」


 ちょうど追い付いてきたフリードが馬を馬車に寄せて並走させると、何やらキザなポーズを決めながら……たぶん、ウインクをした。

 それから馬車を先導するように前へと進み出た。


「ああいった、ちょっと仰々しい所があって苦手なんですよね」


「うん、なんか、ボクも苦手な気がする」


 鼻白むナズナを見て、苦笑いを浮かべたシシリアが続ける。


「ああ見えても彼、ルーデンベルグ軍で五本の指に入る実力者なんですよ。見た目と言えばゴリアス叔父様は――ふふ、会ってみてのお楽しみです」


「うーん、楽しむ余裕なんてあるかな?」


 打って変わって、今度は悪戯っぽい笑みを浮かべるシシリアの言葉に、ナズナはぎこちなく笑みを返した。


 高位貴族に謁見する――ナズナとしてみれば、一抹の不安を覚えるのも仕方がない。

 もちろん、シシリアがその高位貴族のお嬢様で、自分とは身分が違うという事を忘れていた訳ではない。

 

 ただ、普段の付き合いではそれを感じさせない、平民のナズナを親友とまで仰ってくれてしまうシシリアが特別なのだろうと。

 シトネ村の人たちの反応を見て、改めて身分というものを認識し、不安と緊張を抱いていたのだ。


 ナズナの心中とはかけ離れた平穏な景色を進み、馬車はタリスマン砦に到着する。


 ナダルの森を一望出来る高台に造られたタリスマン砦。

 国に甚大な被害を及ぼす魔獣の集団暴走スタンピードが発生した際には、最初の盾となって食い止める防波堤である。

 そうならないように森の異変を監視し、普段から森に入って魔獣を間引くなど生態調査を行っている。


 隣国との良好な関係を育むこの国において、魔獣が相手とはいえ実戦の機会に事欠かないのは非常に大きな優位性となる。

 いかに厳しい訓練といえども、命のやり取りをする実戦の緊張感に優るものではない。

 ナダルの森と領地を接するルーデンベルグ家が、最強の軍団を維持しているのも道理であった。


 あてがわれた二人部屋に荷物を下ろし、長旅から解放された安堵感に現実逃避しようとしていたナズナにシシリアから声が掛かる。


「ナズナ、お疲れのところ申し訳ないけれど、これから叔父様にご挨拶しに向かいます」


「うん、わかった。いってらっしゃい」


「ナズナ、あなたも行くんですよ?」


「ですよねー」


 道連れにしようとナズナが視線を向けた先で、ギンタは既に狸寝入りを発動させていた。

 その小さな後ろ姿に「ギンタの薄情者」とナズナが呟いたのだが、ギンタはギンタで「教会に連行されるオレ様の気持ちを思い知れ」とほくそ笑んでいたりする。

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