第24話 悪夢の食物連鎖

「こいつは驚いた。ルーデンベルグ辺境伯の娘ときたか」


 予想以上に大物の名前が飛び出し、セビージャはにやりと口元を吊り上げた。


「御頭、ちょっと不味いんじゃないですか?」


「辺境伯に睨まれたら、俺たちなんてあっと言う間に蹴散らされちまうぜっ」


 セビージャと違って子分たちは、ルーデンベルグ辺境伯という名前に怖じ気付いたようだ。


 それもそうであろう。ルーデンベルグ辺境伯といえば、この国で最強の軍隊を率いる武闘派貴族の筆頭。

 そこらの盗賊程度では、どれだけ人数を集めたところで相手にならない。はっきり言って、ゴブリンの集団がドラゴンに挑むようなものである。


「馬鹿野郎、たまにはその空っぽの頭を働かせろっ! そうならないように金だけ頂くんだよ」


 セビージャは子分たちを見回すと、呆れた様子で嘆息した。


「いいか? こっちには五人の人質がいる。バラバラの場所を指定して、同時刻に身代金を届けさせるんだ。どこに大切なお嬢様がいるかは分からねぇ。それに辺境伯といえども、他の貴族の領地には大っぴらに軍を派遣出来ないだろうしな。

 金を頂いたらお嬢様を開放して、俺たちは国外にとんずらだ。お嬢様さえ戻れば、まず国外まで追っては来ないだろうよ」


「さすがは御頭! でもそうなると、ビヨルドの旦那の方はどうするんで?」


「今まで旨い汁を吸わせてもらった旦那には悪いが、懐に入ってくる額が違う。後は――」


 仲間内で話がまとまり、セビージャがシシリアに顔を向けた。


「こちらのお嬢様に、本当に人質としての価値があるかだが?」


「ご心配には及びません。お父様は私を溺愛しております。そうでなくとも、ルーデンベルグ辺境伯の娘には、政略結婚の道具として利用価値がありますから。むざむざと見殺しになど致しませんよ」


「よし、決まりだな」


 どこか冷めた調子のシシリアの言葉に盗賊たちが顔を見合せ、頷きあったその時。

 

「やれやれ、所詮は盗賊――」


「なっ、ビヨルドの旦那!?」


 木の陰からビヨルドが一人の男を従え、忽然こつぜんと姿を現した。


「飼い犬に手を噛まれるというやつですね。我ながら情けない」


「悪いな、旦那。目の前にこうも旨い話が、ぶら下がっていやがるんだ。としては、食い付かない訳にはいかねぇ」


 ビヨルドの登場に驚くも、不敵な笑みを浮かべてみせたセビージャ。

 このタイミングで現れたビヨルドに嫌な予感を覚えたのか、本能に従い、ナズナたちを人質にするようにじりじりと位置取りを変える。

 同様に驚いていた子分たちであったが、互いに顔を見合わせると、ゆっくりと得物を抜いて構えた。

 ビヨルドの護衛が一人だけという事実が、盗賊たちに余裕を与えていた。


 思わずといった様子で笑い声を漏らしたビヨルドが、申し訳なさそうな表情を作る。


「ふっ、はははっ……あぁ、失礼。気にして頂かなくても結構ですよ。元々、今回のあなた方の配役は、死体役ですので。襲撃された偽装工作の一部として、参加してもらうつもりでした。そういった意味では、役に忠実な見事な立ち回りと言えますね」


「なんだとぉ! くそっ! 最初から俺たちを始末する気だったのかっ」


「ですから気兼ねなく、最後まで演じていって下さい。アグエロ、お願いします」


 アグエロと呼ばれた大柄な男。

 そのいかにもがっちりとした体躯とは裏腹に、装いは魔法職系のそれである。

 盗賊たちも装いから判断して魔法を警戒していた。

 

 道端の石ころにでも見えているのだろうか。アグエロが盗賊たちを見る眼差しには、蔑みも憐みも、いかなる感情も浮かべられていない。

 そんなアグエロが、すっと右手を天に向けて持ち上げた。


 手の先に浮かぶ太陽――その中心に黒い点が現れた。

 黒点は太陽を浸食するかのように瞬く間に大きくなり、盗賊とナズナたちに大きな影を落とす。

 誰も彼もが、影の主に驚愕の面持ちで目を見開き、半ば強制的に固唾を飲み込まされていた。


 黒点の正体は、およそ十二メートルの体躯を誇る蒼色のドラゴン。その体表は、魔獣の素材としては最高位トップクラスの強固な龍鱗で覆われている。

 そもそもドラゴンはその龍鱗、爪、牙など、最高級の素材の宝庫である。

 言い換えれば、対峙した時にそれらを貫き防ぐのは至難の業であり、ドラゴンが最強種の一角に数えられる理由の一端であった。

 その最強種に属する一頭が大きな翼を羽ばたかせ、上空から金色の双眸そうぼうで睨みを利かせていた。


 羽ばたきが起こす風に煽られ、踏み留まるのがやっとのセビージャが渋面で悪態を吐く。


「くっそったれぇえええ、インファントドラゴンだとぉおお!」


「「おっ、おかしらぁあ」」


 暴風に翻弄される盗賊たちの姿は、まるで今にも吹き消されようとしている蝋燭の炎のようだ。

 そんな盗賊たちを尻目に、インファントドラゴンが開けた口の奥では、ちろちろと種火が燃えていた。


「なっ!? ブレスがくる、逃げろっ!!」


 その声を切っ掛けに、盗賊たちは我先にと風を背負う形で駆けだした。

 インファントドラゴンのファイアーブレスを喰らえば、人間などひとたまりもない。

 盗賊たちは風に弄ばれ、転びながらも必死の形相で逃げていく。

 

 ナズナたちは動かない。ハイ・オークの時に学んでいる。

 仮に自由な身であったとしても、走って逃げ切れるものではない。手を縛られた状態では尚更だ。

 リーバスとメグは、仲間を護る為に加護プロテクションの魔法を重ねる。

 防ぎきれるかは分からない。それでも防いでみせると想いを込めて魔力を注ぐ。

 

「馬鹿な奴らだ」


 呟いたアグエロが右手を振り下ろしたのを合図に、インファントドラゴンの狩りが始まった。

 身構えたナズナたちの上を素通りし、滑空したドラゴンは瞬時に盗賊たちに追いついた。着地でえぐられた地面には、下半身だけとなった二つの肉塊が、潰された上半身の代わりに赤い花を咲かせていた。


「うぅぅ……っ!?」


 衝撃によって飛ばされ、倒れ込んでいた男が、呻き声を上げながら上体を起こす。

 ふと、頭のすぐ先に、生温かい空気の流れを感じて動きを止めた。

 男の心臓が早鐘を打つ。全身の毛穴が開き、穴という穴からどろりとした嫌な汗が噴き出す感覚。

 ぼたぼたと滴り落ちる汗が地面につくる染みを、瞬きもせず凝視していた。


 ――上げるな、絶対に、顔を上げちゃいけねぇ


 拒絶する意思に反して、恐怖に魅せられた男の体は無意識に反応してしまう。

 ゆっくりと顔を上げた瞬間、ドラゴンの鼻息をその顔に浴びる。

 たまらず目を閉じた事は、男にとって僥倖ぎょうこうだったと言えるだろう。

 喰い千切らんと迫り来る、唾液でぬめった武骨な牙を、その網膜に刻む事なく逝けたのだから。

 



 セビージャは頭領を張るだけあって、悪知恵の働く男であった。

 他の三人を囮とし、一人だけ違う方向、森の中へと逃げ込んでいた。草木を掻き分け、時に体をぶつけながらも奥へ奥へと走り続けていた。

 さすがに平常心とはいかず、普段よりも早く息が上がったセビージャは足を止め、荒い息を繰り返す。

 上空の様子を窺うも、木々の合間から見える空を遮る影は見当たらない。


「はぁ、はぁ、はぁあっ、どうだっ、撒いてやった、ぜっ……はぁぁあああ」


 ある事に気付いたセビージャは視線を足元に落とし、大きな溜息を吐き出した。

 自分の呼吸音に紛れていた、他の者の息遣い。

 背後で【白狼】アークウルフが、牙を覗かせた口からボトリとよだれを垂らした。

 セビージャは腰の剣にそっと手を添える。


「世の中、そんなに甘くないってか……この犬畜生めがぁあああ!」


 一閃。

 首を飛ばされたセビージャの体だけが、剣を半分ほど抜いた状態で振り返り、その勢いで地面へと倒れ込んでいった。




「ビヨルド様、終わったようです」


 インファントドラゴンを横に控えさえたアグエロが首尾を伝える。

 その言葉に頷いてみせたビヨルドが、顔に穏やかな笑みを貼り付けた。


「さて、次はきみたちの番ですね。安心して下さい、大切な商品を殺すような事はしませんから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る