第25話 天秤の傾き

 むごたらしい死に様を目にして、ナズナたちは顔を青褪めさせている。

 無残な姿を晒す屍が、残響となって、これが現実だと訴えかけていた。


 かたや、平然と、穏やかな笑みを浮かべているビヨルド。

 その表情はあまりにも対照的で、とても同じ光景を目に焼き付けたとは思えない。

 但し、その口から語られる言葉は、十分に狂気を孕んだものであった。


「さて、粗方聞かされたと思いますから、もう説明は必要ありませんよね?」


「今回の本当の目的は、ボクのギンタと奴隷にする人間……」


「一番は、きみの召喚獣ですがね。私は珍しい物、特に誰も持っていない唯一無二の存在というのに目がないのです。譲って頂けるというなら、相応の金額をお支払いしますが……売っては頂けないですよね?」


「当たり前です! ギンタは誰にも渡しません」


 ビヨルドの顔から笑みが消えた。


「孤児院への寄付をやめる――と言っても?」


「そんなっ!? それは……それでも……それでもギンタは渡せませんっ」


(ごめん、孤児院のみんな。ギンタだけは失いたくない。寄付がなくなったら、その分はボクが働いて何とかするから)

 

 ナズナの瞳から揺るぎない意志を読み取り、ビヨルドはわずらわし気に溜息を吐き出す。


「そうですか、とても残念です。私は無理強いは好みません。出来れば、ナズナちゃんの口から譲ると、言って頂きたいのですが――」


 ビヨルドが、温度の感じられない眼差しをメグに向けた。


「仕方がありませんね。きみの気が変わるまで、お友達に痛い目にあってもらいますか」


「えっ!? なにをっ」


「大丈夫ですよ。ご存知の通り、少々の傷なら魔法で治せます。何度でも、ね。ただ、あまり決断が遅くなると……」


 分かるだろ? 心が壊れてしまったら? ――そう口元を歪めて浮かべた笑みには、隠すつもりのない悪意が溢れている。

 ナズナが向ける非難の目さえも楽しんでいるかのようなおぞましさ。 

 同じ人物が笑っているというのに、こうも違って見えるものなのか。

 

「おぉ、おお、私としたことが、すっかり失念しておりました。そういえば丁度良いものがありましたね、アグエロ」


 葛藤するナズナを眺めて愉悦に浸っていたビヨルドが、唐突に、いかにもな調子でアグエロに声を掛けた。


 アグエロは頷き、指をパチリと鳴らす。

 すると木陰から、何かを咥えたアークウルフが出てきた。

 一人の人間のように見える。

 そこまで繊細な力加減が出来ないのか、あるいは単に血の味を楽しみたかったのか。その牙から解放された人間の服には血が滲んでいる。

 ナズナが見覚えのあるその人間は、痛がる素振りも見せず、人形のように横たわったまま動かない。


「サーシャ姉さん!? どうしてサーシャ姉さんが――」


「きみがご執心のようでしたので、こちらまでお連れしました」


 その丁寧な口調からはかけ離れた仕打ちに、ナズナの胸は苦々しい気持ちで埋め尽くされる。


「孤児院を私が見て回る理由、もうお分かりですよね? 奴隷として売り払うのに身寄りのない孤児は非常に都合が良い。消息を絶ったところで誰も探しには来ませんから。それに……」


 サーシャに舐め回すような視線をわせたビヨルドは、脳裏に再現された快楽に恍惚とした表情を浮かべる。


「本心を言いますと、私好みの嗜好品を探す比重の方が大きいのです。好きなんですよ。小さな幸せを夢見た無垢な少女が――その胸に抱いた希望が、実は奈落へといざなう蜃気楼だったと気付かされた時に見せる表情が。

 堕とされた現実に抗い、破れ、混濁していく姿を見るのが、私は堪らなく好きなんです。その娘も、なかなか楽しませてくれましたよ」


 耳を塞ぎたくなるような話を陶酔した面持ちで語るビヨルドに、ナズナは胃の中の物がせり上がってくる感覚を覚えていた。

 リーバスやライアルたちも苦虫を噛み潰したような表情をしている。


「そんな苦しみを味わってきた彼女に、さらなる苦痛が与えられるとしたら?」


 ビヨルドの目配せを受け、魔法を詠唱したアグエロの前に新たな魔獣が現れた。

 キラーマンティス――死神の大鎌を連想させる、鋭利な刃を備えた二本の前脚と獲物を噛み砕く強靭な大顎が武器の巨大なカマキリ型の魔獣。


「一本づつ、四肢を切り落としていきましょうか。まずは右足から」


「やめてっ、待って下さい!」


 駆け出したナズナが、サーシャに覆い被さるようにして倒れ込む。

 振り上げられた死神の大鎌の前に、躊躇する事なく身を晒していた。


「サーシャ姉さん、ごめんね。巻き込んでしまってごめんなさい」


「ふむ。ナズナちゃん、ではどうするんですか?」


「譲ります……ギンタを譲りますからやめて下さい。それと、ボクは奴隷にされようがどう扱われても構いません。その代わりみんなには、みんなには手を出さないと約束して下さい。お願いしますっ」


「ナズナ、何言ってんだっ!!」


「そんな約束、その男が守るわけがないでしょ!!」


 リーバスとメグの荒げた声がナズナの耳に突き刺さる。

 

(二人とも、本気で怒ってくれてる……)


「リーバス、メグ、シシリアもライアルもごめんね。ボクが誘ったりしたせいでこんな事に……みんなは無事に帰してもらえるようにお願いするから。本当に……ごめんなさい」


 目から大粒の涙をこぼし、許しを請うナズナの声は震えていた。

 勢い良く倒れ込んだ際に擦りむいたのか、その額や腕には血が滲んでいる。


「くそっ」


「待ちなさい。落ち着いて」


 リーバスが感情に突き動かされ、今にも動き出そうとした矢先、シシリアが体で押し留めて戒めた。


「良いお友達をお持ちですね。ただ、私が食客として招いているアグエロは、ご覧の通り強力な魔獣を従える正真正銘の銀等級持ちです。無謀な力試しは、お薦め出来ませんよ」


「リーバス、ボクなら大丈夫だから。ビヨルドさん、お願いします」


「では早速ですが、召喚獣との契約を破棄してもらいましょうか」


 檻から出されたギンタが、ナズナの前に連れてこられた。

 いつもと変わらぬ目つきの悪さで、どことなく不機嫌な様子を漂わせて、ナズナを見上げている。


「ごめんね、ダメな召喚主だったよね。今まで、助けてくれてありがとう」


 地に両膝をつき、契約を破棄しようとするナズナの顔は、申し訳なさで止まらない涙と、感謝の気持ちで止まらない涙が混ざり、どちらとも言えない泣き笑いの表情となっている。


 ナズナとギンタの魔力通路つながりが、プツリ――と切れた。


 例えようのない消失感に襲われる中、ナズナは涙がこぼれるままに見つめていた。

 アグエロと新たな契約を交わす、ギンタだった白銀の召喚獣を。

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