第26話 印籠を出したつもりが違う物が出ちゃってました

 本来であれば、この世界の、この時に存在していない――時空を超えて召喚されているギンタは、この世界にとって異分子と言える。

 異分子をこの世界に繋ぎ止める方法は共生契約。それによって召喚主と召喚獣は魔力通路パスで繋がり、その世界において異体同心として定義されるのだ。


 アグエロがビヨルドに向かって頷き、契約が完了した事を示唆した。

 ビヨルドは満足そうにニヤリと口角を上げると、呆然と座り込んでいるナズナの腕を掴んで立ち上がらせた。


「ようやく、手に入れる事が出来ましたか。随分と手間暇が掛かりましたが良しとしましょう。さあ、移動しますよ」


 そう言って、ナズナを連行するようにして歩き出したが、すぐに我に返ったナスナが抵抗するように足を止めた。


「待って下さい! サーシャ姉さんを」


 ナズナを顧みたビヨルドは、横たわるサーシャを面倒そうに一瞥いちべつすると、それが至極当然の事であるという様に淡々と告げた。


「あの娘はもう用済みです。連れて帰っても処分するだけですから置いていきます。そのうち獣の餌にでもなるでしょう」


「そんなっ! それでは約束が――」


 詰め寄ろうとしたナズナであったが、本能的に忌避感を覚えて踏みとどまる。

 だが、掴まれていた腕を引っ張られ、ビヨルドに抱き寄せられてしまった。

 至近距離で、まじまじとナズナと視線を合わせるビヨルド。その瞳と口元は、いびつな笑みで歪んでいる。


「約束? 手を出さないって約束ですよね。置いていくだけで、約束通り、彼女に手は出しませんよ? それに、他のお友達を無事に帰してしまったら、私の今までの所業が全て公になってしまうではありませんか。そんな愚かな真似をする筈がない」


 ナズナは見覚えのあるその表情に、背筋が凍りつく感覚を思い出していた。

 打ち震える獲物を前にハイ・オークが見せた嗜虐的な笑み、それと見紛うほどに醜悪な笑みが、ビヨルドの顔に貼り付けられていた。


 ビヨルドから視線を向けられたリーバスやメグたちも、その時の恐怖がぶり返したのか、顔を引きらせている。


「さぁ、時間の無駄です。別の馬車を用意してありますから行きますよ。お友達の方はアグエロに任せます」


「待って下さい! サーシャ姉さんを置いていかないでっ!」


 追いすがって懇願するナズナを無視して、引き摺り歩くビヨルド。

 縄で締め上げられたナズナの手首は、激しく抵抗した為に擦り切れて血が滲んでいる。


「待ちなさい、ビヨルド」


 シシリアの凛とした声が響き、ビヨルドは足を

 怪訝そうな顔で振り向いたビヨルドが、じろりとシシリアを睨みつける。


「何ですかな? ルーデンベルグ家のお嬢さん。年配者を呼び捨てにするものではありませんよ。あなたには、特別な躾が必要なようですね」


「ビヨルド、あなたに尋ねたい事があります。召喚獣とナズナを手っ取り早く手に入れようと、あなたは別の手段も用いたのではないですか? 例えば、実戦訓練中の事故を装って、ナズナを拉致しようとしたという様な」


 忠告したにもかかわらず、またもや呼び捨てにしたシシリアにビヨルドは憤慨した様子を見せるも、余裕ぶった態度で繕い笑みを浮かべて言った。


「なぜそう思ったのですか?」


「あの時に死んだマルコムという者の雑嚢ざつのうの底に、魔獣をおびき寄せる魔瘴石ましょうせきの欠片が残っていました。事前調査の報告と大きく隔たった魔獣の多さ、あれは訓練日以前に彼が魔瘴石を持ち込んでいたのが原因でしょう。

 ただ魔瘴石は値段的にも、その存在的にも、学院の生徒が手に入れられる代物ではありません。彼をそそのかし、魔瘴石を融通した者がいると考えていました。そこに今回の招待の話です。あなたの黒い噂は私も耳にしていましたので、もしやとは思っていました」


 シシリアの話に耳を傾けていたビヨルドが、わざとらしく感心した素振りをしてみせた。


「さすがはルーデンベルグ家のご令嬢、といった所ですか。彼には落胆させられました。良い協力関係が築けると思っていた矢先に死んでしまって。その上、想定外の事態が起こったとかで、折角の計画までが頓挫とんざしてしまいましたからね」


「おい、ちょっと待てよ……何を言って……マルコムを、あいつを、利用したって事か?」


 会話にいきなり割って入ったリーバスの語尾は震えていた。惨劇に青褪めていた顔は、今やその赤毛同様に真っ赤に染まり、ビヨルドを睨み付けている。

 

「利用? 協力ですよ、協力、お互いにね。彼は自分の能力に自信があったみたいですよ。生まれて来た順番だけで家督を継げない事に憤っていました。実力で出世して、見返してやると。実に甘い見立てです。そしてそういう若者は、実に扱い易い。ちょっとつまづいた時に手を差し延べて、後は承認欲求を満たしてあげるだけで良い」


「なんだとっ!」


「今更きみが怒ってみた所で、彼が生き返る訳でもありません。彼の場合、最終的に高い授業料を払う結果となってしまいましたが、自業自得というものです。そんな事よりも、ご自身の心配をした方が良いのでは? おっと、失礼。それこそ、今更でしたね」


 歯ぎしりするしかないリーバスを見下し、ビヨルドは失笑した。


「あなたこそ、ご自分の身を心配なさった方が良ろしいのではありませんか? ビヨルド・・・・


「どういう意味ですかな?」


 シシリアの挑発めいた物言いに、顔から笑みを消したビヨルドが、苛つきをあらわに睨み付けた。

 その眼光を歯牙にもかけず、シシリアは落ち着いた口調で宣告する。


「幕引き、という事です。あなたの悪行もこれまでのようですよ」


「何を馬鹿な事を。アグエロ、あの小娘を黙らせ……なさ……い」


 ビヨルドの憤懣ふんまんやるかたないといった声は尻すぼみとなる。

 アグエロの様子が尋常でない事に気が付いたのだ。


 顔面蒼白で呼吸が荒く、噴き出す汗がとめどなく流れ落ちていた。

 ビヨルドの呼びかけにも気付いた様子は無い。

 目眩でも起こしたかのように足元がふらつき、ついには地面に膝をついてしまった。


「どうしたのです? 何があったのですか?」


「まっ、魔力が……枯渇しそうで……おそらくは――」


 アグエロが向けた視線の先で、ギンタが白銀の光に包まれていた。


「申し訳ない、契約を……破棄します」


 がっくりと項垂れ、荒い呼吸を繰り返すアグエロ。腰の雑嚢から、どうにか回復薬らしき物を取り出すと一気にあおった。

 一息ついて呼吸が整いつつある中、困惑の面持ちで、改めてギンタに視線を向けた。


「はぁ、はぁ……くっ、信じられん。この私の魔力を枯渇寸前まで……そんな小さな魔獣が? 一体、何なんだそれは?」


「さぁ? ギンタさんとしか。少なくとも私たちにとっては救世主――ですね」


「救世主……だと?」


 シシリアの大仰な例えにビヨルドは訝しがる。


「シシリア、残念だけどちょっと違うよ。だってギンタは、ボクのギンタは、魔王なんだから!」


 涙を拭いながら、笑みを浮かべたナズナ。

 その言葉に反応するかのように、白銀の光は強烈に眩しさを増したかと思うとパッと掻き消えた。

 あまりの眩しさに逸らせてしまった視線を戻すと、そこには一人の少年が立っていた。


 年の頃は十五、六、銀髪の波間に黒耀の如き双角をきらめかせ、性格の悪そうな目つきで、露骨に不機嫌さを表明している少年。 


「ふん、ど阿呆が」


 傲岸不遜ごうがんふそん。そんな言葉がぴったりな少年が――真っ裸で仁王立ちしていた。

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