第42話 暗闇に灯る光
「シシリアお嬢様、あそこに洞穴があります。調べてきますので、ここで少しお待ち下さい」
沢に沿って下流へと移動していた二人は順調に距離を稼いでいた。
そろそろ休憩をとろうと思っていた所にうってつけの場所が見つかる。
山の斜面にぽっかりと口を開けた洞穴。
「思ったよりも深そうです。一応、魔物らしき反応は感じられませんし、ここで休憩をとりましょう」
「……そうですね」
中の様子を探ったフリードから招き寄せられたシシリアは、心ここに在らずといった様子で応えた。
立ち止まった事で生まれた僅かな余裕さえも、瞬く間に憂いが塗り潰してしまう。
肩で息をしながら、心配そうな眼差しを森の奥へと向けていた。
「この辺りは比較的安全そうです。お嬢様はしっかりと体を休めておいてください」
「フリード?」
シシリアの肩に手を置き、朗らかに声を掛けると、フリードは手早く装備の点検を済ませていく。
「私は戻ってゴリアス様の様子を。あの人ほど諦めの悪い御方を知りませんから。案外、巧いこと出し抜いて、我々を追ってきているやも知れません」
そう言って、フリードはウインクと思われる仕草を見せた。
何度見ても相変わらず判別しづらいその仕草は、シシリアの表情と心を幾分和ませる。
「ふふっ、そうですね。フリード、気を付けて下さいね」
「行ってまいります」
フリードは大袈裟に一礼すると、上流に向かって颯爽と駆けていった。
一人になったシシリアは、洞穴の壁にもたれて腰を下ろす。
精一杯の気休めだという事は理解している。
それでも無事を願わずにはいられない――抱え込んだ膝に額を乗せて目を瞑った。
視界を閉じた分、聴覚が鋭敏になったのだろう。
沢を流れる水の音に混じって、洞穴の奥から微かに物音が聞こえた気がした。
顔を上げたシシリアは、再び瞳を閉じて耳を澄ます……間違いない。
立ち上がると、全てを飲み込む暗闇へと歩き出した。
光の届かない真っ暗な洞穴を、シシリアは壁に手を添えてゆっくりと進んでいく。
大人が中腰になって歩けるほどの穴が続いている。不自然に整えられた洞穴。
物音は次第にはっきりと聞こえ出し、湿った空気に何やら苦みのある匂いが含まれている事に気付く。
暗闇の先にぼんやりとした明かりが漏れているのが見えてきた。
シシリアは息を潜めて近付いていく。
壁際に身を寄せ、こっそり中を窺う。
そこには十分な明かりを灯された、ちょっとした空間が広がっていた。
農夫といった感じの者達が、十人ほど何かの作業に勤しんでいる。
何かを火で温めている者や液体を小瓶に注いでいる者。
奥にも通路があり、そちらから枯れ草の束を運んでくる者もいた。
――麻薬の精製!?
「お嬢ちゃん、盗み見はいけないなぁ」
肩に手を置かれるまで全く気配を感じなかった。
触れられた肩越しに薄笑いを浮かべた顔が並ぶ。
「どうやってここに辿り着いた? それに中は真っ暗な上に迷路のように入り組んでいただろ?」
男は横目でシシリアの顔色を窺うが、シシリアは目を伏せて黙している。
「まぁ、いいや。おい、ベッケン」
シシリアの帯剣を取り上げた男が、広場の奥に向かって呼び掛けた。
「なんだぁ? あれ、シシリアお嬢様じゃないの」
奥の通路から、頭をがしがしと掻きながらベッケンが現れた。
仲間が捕らえている少女に気付き、驚いた様子で、しかしなんとも間の抜けた声を上げた。
「あれ、じゃねーだろ。これはどういう事だ? 一人残らず始末しろって言ったよな?」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれって。俺は言われた通りきっちり仕事をしたぜ? 妖精どもも焚き付けてやったしよ」
「あれも……あれも貴方達の仕業だったのですか!? よくもっ!」
それまで俯いていたシシリアが、感情を露にベッケンを睨み付けた。
「ぉお、こわっ。しかし別嬪さんは怒った顔もそそられるねぇ」
ベッケンはわざとらしく怯んだ様子を見せ、ニタニタと薄気味悪い笑みを貼り付ける。
シシリアの激昂ぶりから状況を読み取った男もまた、満足そうに口角を上げた。
「その様子だと、上手い具合に怒り狂った妖精どもとかち合ったみたいだな。流石にあの爺もくたばっただろ。他の奴はどうした?」
「もう一人、召喚獣を連れた可愛いお嬢ちゃんがいたけど、もうワームに消化されちゃてるだろうな」
「そうか。ここを知られたからには、お嬢様を帰す訳にはいかねえ。とりあえず奥の部屋にでも突っ込んどけ」
「へいへい、突っ込んどきまーす」
背中を押されてつんのめったシシリアが、その勢いで広場に足を踏み入れた。
作業をしている男達は無関心を装っている。これ以上の厄介事に関わりたくないというのが本音だろう。
武器を取り上げられ、丸腰のシシリアに出来るのはベッケンを睨み付ける事くらいだ。
憎たらしい笑みを向けるベッケンに連れられて、奥の通路へと消えていった。
「金等級という隠れ蓑を捨ててまで実行した甲斐があったな。神出鬼没なあの爺一人に、今までどんだけ煮え湯を飲まされたか」
男は旨い酒が飲めると上機嫌で広場を後にした。
後ろ手に縛られたシシリアは、奥へと連れて行かれる間に幾つかの部屋と呼べるものを通り過ぎる。
部屋というよりは、格子が付いた牢屋に近い物であったが。
中にいたのは、数人の農夫と思われる男達。
おそらくは交代制で麻薬の精製に就かされているのだろう。
途中、見張りらしき男達ともすれ違ったが、一様に情欲の目をシシリアに向けてきた。
最も奥と思われる部屋の前に立つ男も同様に。
「入れ」
シシリアが押し込まれた部屋の隅には、裸同然の姿で女が横たわっていた。
「大丈夫ですか?」
近寄って声を掛けたシシリアは言葉を失う。
このような場所で監禁されていて無事な筈がない。
虚ろな瞳に光はなく、体には散々に凌辱された痕が残っていた。
「なんて惨い事を……」
「ミリア達も一応こっち側に誘ってやったんだがな。断りやがったからよ」
自分も部屋に入ったベッケンが、いかにも残念そうな素振りで呟いた。
「……ミリアって、その名前。【明けの明星】の仲間にこんな仕打ちを?」
「仲間? 確かに、何も知らずにつるんでいたミリアとギュンドアンは、隠れ蓑として最高の仲間だったよ。目の前で恋人を殺された女を虐げるのは、さいっこーにっ、気持ち良かったぜぇ」
「この人でなしっ!」
叱責の言葉が耳に届いた様子は無い。
むしろそれさえも燃料として、ベッケンは恍惚に浸かっている節すらある。
ミリアを舐め回していたベッケンの視線が、すっとシシリアに移された。
見張りの男に声を掛ける。
「おう、休憩に行っていいぞ。俺が見といてやるからゆっくりしてこい」
「そんな上玉に手を付けたら、後からどやされるんじゃねーのか?」
「心配すんな。突っ込んでこいって言われたんだよ。お前も楽しみにしとけ」
「お、そうなのか? いきなり壊すなよ」
「わかってるから早く行け」
見張りの男が鍵を渡していなくなると、ベッケンはシシリアの前にしゃがみこんだ。
怯えの色を見せないシシリアに嬉しそうに口を歪める。
「良いね、そういう目が好きなんだ。ちょっと待ってな。最高に気持ち良くなる薬を持って来てやる。どんな顔を見せてくれるのか、楽しみだ」
鍵を掛けて遠ざかっていくベッケン。
シシリアはその後ろ姿をじっと睨みつけていた。
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