第43話 因果応報

 歩きながらベッケンは、小瓶の中で揺れる琥珀色の液体を透かし見た。

 何度も味わった快楽が映り込み、口元はだらしなく卑猥に歪む。


【ドラゴンティア】――組織の資金源となっている麻薬だ。

 資金源といっても、この麻薬の売り上げだけを指したものではない。


 まず、粗悪品が貧困層を中心にばら撒かれる。それで依存症に陥った者が薬欲しさに借金を重ね、最後には身売りする。

 麻薬の売買も人身売買も重罪の国において、取り仕切っているのは犯罪組織の【ドラゴンテイル】だ。

 薬の売人が斡旋する借金の借入先、それを営んでいるのも言わずもがなであった。


 この薬の服用者は気分が高揚し、感覚が鋭敏になって刺激が増幅される。

 一度でも強烈な陶酔感に飲み込まれてしまえば、求め続けずにはいられない。

 例え身を滅ぼすことが判っていても抗えない悪魔の誘い。


 ベッケンは見えてきた部屋へと視線を移す。

 これから待ち受ける至高の快楽を想起して、思わず舌なめずりをした。


 さっき出て行ってから十分も経っていない。

 目的の少女は部屋の角で座り込んでいた。

 場所こそ、捨てられた人形のように横たわるミリアと反対側に移っているが、その表情に変わりはない。

 怯える様を、泣いてる様を、助けを請う様を晒すでもなく、変わらぬ毅然とした面持ちで真っすぐベッケンを見据えている。


「さて、いつまでその奇麗な顔を保てるかな? こいつは数滴だけでも効果は抜群だ」


 嗜虐心を剥き出しにしたベッケンは、シシリアの顎を掴み、形の良い小振りな口に瓶を咥えさせると、その液体を流し込んだ。

 少女の鼻と口を手で塞ぎ、上を向かせて無理やり飲み込ませる。

 白く細い喉が、こくこくと数度波打った。

 咳き込む少女を横目に、愉悦の笑みを浮かべて自分も薬を呷る。


「おっと、舌なんて噛まれたら興醒めだからな」


 そう言って布切れをシシリアの口に押し込むと、我慢の限界といった様子でズボンをずり降ろす。最後は足を使って脱ぎさると、シシリアの足の間に体を割り込ませた。


「天国に連れてってやる」


 下品な薄笑いを浮かべて、ベッケンは体を押し付けるようにしてゆっくりと腰を沈めていく。


「くぁ!? こいつはすげー……千切られちまいそうだぜ」


 そう洩らした直後、びくっと身震いしたかと思うと動きが止まる。

 虚無感の漂う瞳で天井を見つめていたシシリアから、覆い被さっていた体がゆっくりと起こされた。


「お、おまっえ……俺……俺の……」


 噴き出した汗がぼたぼたと垂れ落ち、血走った目はいっぱいまで見開かれている。

 そんなベッケンに少女は笑みを手向ける。冷たい、どこまでも冷たい微笑みを。

 がくがくと震え、顔面蒼白となったベッケンは、膝立ちとなって視線を落とす。

 あれがない――あるべき筈の物が見当たらなかった。

 

 ふと気配を感じて顔を上げると、立ち上がったシシリアが見下ろしていた。

 その時、ぼとりと地面に落ちた肉塊が音を立ててひしゃげ、それを覆うように布切れがひらひらと舞い落ちた。


「ああ、ぁああ……俺の――」


 取り戻そうと手を伸ばしたベッケンの眼前で、それは忌々しい虫でも潰すかのように踏みにじられる。


「がっ! くそったれめ……」


 既に袂を分かっている為、痛みを感じるはずのない局所に手をやり、顔を苦痛に歪めたベッケン。体の震えが憤怒のそれへと変わる。


「良い夢でも見れましたか?」


 不意に背後から声を掛けられ、ベッケンは反射的に振り返った。

 

「なっ!?」


 そこには、氷のような眼差しで射抜くシシリアが。

 驚いたベッケンが正面に顔を戻すと、そこにいたはずの、同じ顔をした少女が消えていた。

 それどころか、ベッケンは衣服を身に着け、事に及ぶ前の状態で突っ立っていた。それに気づいたベッケンは、慌てて局部の無事を確認する。


「いったい、どうなってやがる……」


「逃げ出す事も可能でしたが、流石に腹に据えかねましてね。脳裏に焼き付いたトラウマは拭えませんよ。喜ばしい事に、それ、もう使い物にならないでしょうね」


 口に手を添え、嘲笑を浮かべて見せるシシリアにベッケンの怒りが再燃する。

 身を翻して掴みかかろうとするも、違和感が思いとどまらせた。


「ガキがっ!? まてよ、さっきのは……幻覚魔法? なんで……騎士であるお前が魔法を使え……る」


 言葉を詰まらせたベッケンは、ゆらゆらとたゆたう、青白い光を纏ったシシリアを目にする。

 その金髪プラチナブロンドは風も無いのに揺らめき、その瞳は鮮やかな青眼に橙や緑が混じり虹色に輝いている。


「!!!!!!! おっ、おまえのその瞳――アースアイか!」


「ご名答、そして、おやすみなさい。【空間遮断】」


 ベッケンの足下に光の魔法陣が描かれた。

 異変に気付いたベッケンが喉を押さえ、何かを訴えるように叫びだす。

 必死の形相で見えない壁を拳で叩くが、その音も喚く声も、一切外には響かない。

 そう時間もかからず、ベッケンは白目を剝いて昏倒した。


「法によって裁かれるべきですが、少しくらい構いませんよね。……どうも近頃、ナズナに感化されている気がしますね」


 不服そうな調子とは裏腹に、シシリアの口元には満更でもない笑みが湛えられている。


「さてと、ここの後始末をしてから、私の剣を返してもらいに行くとしますか」


 喧嘩してなければ良いのだけれど――親友の顔を思い浮かべつつ、シシリアは自分が為すべき行動に移るのだった。

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