第41話 選択

【戦場での迷いは死を招く】

 

 ゴリアスは決して迷わない。幾度となく迎えた窮地を直感とも言える決断力で切り抜けてきた。

 自らを犠牲にしてシシリアを逃がした判断も例外ではない。それが最善であると躊躇ちゅうちょなく結論付けた。

 そのゴリアスが、現在進行形で選択を迫られている。選択肢はたったの二つ。


【降ろすか、降ろさないか】


 ゴリアスは――迷っていた。

 

 少年の放ったある言葉に、腕の中のナズナがびくんと反応した。

 何かをこらえるように奥歯を噛みしめ、口を真一文字に結んでいるナズナ。

 その潤んだ瞳が「重くないですよね? ねっ?」とひしひしと訴えかけてくる。


 背中を、誰かに指でなぞられたかのような余韻を残し、つぅーと汗が伝い落ちた。

 先程までの命を削る戦闘ですら生温なまぬるい、かって味わった事のない重圧プレッシャー

   

 痛みで痺れた右腕は、どうやら満足に使えそうにない。

 頼みの回復薬は殴り飛ばされた衝撃で瓶が割れ、雑嚢の染みとなっていた。

 つまり、ナズナを降ろさなければ、左手で武器を握れない。

 考えるまでもなく単純明快な一択の筈――。

 

 希望と絶望の狭間で、ナズナの体は小刻みに震えている。すがるような眼差し。涙袋はもう決壊寸前だ。


(こんな顔したナズナを……降ろせる訳ないだろっ!!)


 理由はそうではない。そうではないのだが、今降ろせばどう言い繕っても「重い」と告げるのと同じ事。この少女の心に深い傷を負わせてしまう。


 どうしてこうなった? 諸悪の根源――全ては、この目つきの悪いガキ、推測するにあの召喚獣だろう。

 まさか人化までするとは露ほども思っていなかったが、話に聞いていた二度も偶然通りかかった冒険者。その正体がこいつ、という事なのだろう。


 追い詰められたゴリアスの額に苦渋の汗が滲む。

 そもそもこいつが、あの時に悪魔ディアベルの実さえ食わなければ。

 今もこいつが余計な一言を言わなければ。

 ゴリアスの胸の内にうごめくそんな恨みつらみなど、目の前にいた所でギンタが察する筈もない。

 

「おっさん、汗の量が半端ないぞ。重い・・んだろ、無理するなって」


(お、おまえはぁ、黙ってろぉおおお! ぐっ!?)


 ギンタが唐突にゴリアスの右腕を掴んだ。

 たいして強く握られた訳でもなかったが、脳まで響く激痛にバランスを崩し、ナズナがずり落ちてしまう。

 それをギンタが引き継ぐように受け止めて、ナズナを立たせてやった。

 

「こっ、のぉお、くそガキぃ」


「ゴリアス叔父様、もしや怪我を――大丈夫ですか? ギンタ、お願い」


 苦痛に顔を歪めてギンタを睨み付けるゴリアスと、そのゴリアスに寄り添って、ギンタに懇願するナズナ。

 何度か二人に視線を行き来させたギンタは、どこか不服そうな面持ちでゴリアスに手をかざした。

 体が淡い光に包まれたゴリアスの表情が一変する。

 右手の握力を確かめるように何度か握りしめ、次いで肩をぐるぐると回してみる。そうやって全身が問題なく動くのを確認すると満足そうに笑みを浮かべた。


「上等だ。これでチャラにしてやろう」


 ゴリアスの言葉には反応せず、ある方向に視線を向けたままのギンタが舌打ちをした。


「他の奴らはどうした?」


「シシリアとフリードは先に行かせた。間の悪い事に、あれと出くわしちまったからな。いや、待ち伏せされていたというべきかの」


 いつの間にか、視認出来る位置まで移動してきていた巨人にゴリアスも視線を向ける。どういう訳か、巨人達はじっと見ているだけで動きがない。


「神を恐れぬか。やはり、人間どもの増長ぶりは目に余る」


 そう呟いてギンタが浮かべた冷笑に、ゴリアスの背筋が凍る。

 怖いな――ぼそりと洩らした本音にゴリアス自身が驚いていた。

 いつ以来かのその感情を胸の奥へと強引に押し込め、ゴリアスはハルバードを拾い上げる。


「人間は不完全で愚かな生き物だ、勿論、儂も含めてな。あれは任せても大丈夫そうだな。儂は一足先にシシリア達を追わせてもらうぞ?」


「構わん、好きにしろ。ああ、あの娘の魔力なら追える。そいつに連れて行ってもらえ」


 ギンタが指を差したハルバードが白銀の光を纏った。

 それを握るゴリアスの手に、ハルバードの誘導しようとする動きが伝わる。


「ほう、こいつは助かる」


 ゴリアスはナズナの頭を一撫ですると背を向けて駆けだし、あっと言う間に見えなくなった。


「行くぞ」


 巨人に向かって歩き出したギンタにナズナが続く。


「あの子達、見た目はこの間の子と似ているけど、雰囲気が違うね」


「わかるのか?」


「なんとなくだけど、この前の子は見てて心苦しくなったというか」


「ナズナにしては上出来だ」


「それって、褒めてないよね?」


「褒めてるだろ」

 

 ナズナは納得のいかない顔をして見せるが、別に気になった事を聞いてみた。


「ねぇ、どうしてシシリアの魔力なら追えるの? 誰のものでも識別出来るの?」


「まず魔物と人間ではまるで違う。人間だけで見ても、個体ごとで魔力の構成は異なる。各々の体内で錬成される訳だから当然だ。その上でオレ様にとって、あの娘は特別だからな、覚えている」


「とっ、特別!? 特別って……ギンタにとって、シシリアはどう特別なの? いや、別にボクが気になるって訳じゃないんだよ、全然そんなんじゃないからね。うん、ほんと全然違うからっ」


 明らかに落ち着きを無くして早口になってしまっている時点で、まったく誤魔化せていない。

 そのナズナをいつもの呆れ顔で振り返ったギンタが見つめる。


「何を気にしているのか知らんが、お前も特別だぞ? それにどちらかを選べと言われたら、迷う事なくお前を選ぶ」


「えっ、あ、そー、そうなんだ。へへへ、そっか、そっか」


 ナズナは一瞬で顔が上気したのを自覚し、それを隠すようにそっぽを向いた。

 どうにも口元が緩んでしまうのが抑えられない。

 ころころと変わるナズナの様子にギンタは小首を傾げたが、前に向き直って歩きながら続けた。


「あの娘も旨そうだが、お前の魔力は極上の逸品だからな。お前を喰ったら、オレ様の力もある程度は戻るだろう。今から喰う時が楽しみだ。ただ、腹に収まったお前には、オレ様の真の力を見せてやれんのが残念だがな」


「どーせそんな事だろうと思ってたよ! 返せっ、ボクの……返せ! あと、シシリアを食べたら絶対に許さないから!」


「何を返せと言っているんだ、お前は」


 顔を真っ赤にしたナズナに後ろからぽかぽかと叩かれ、煩わしげに振り払うギンタ。

 自分達が場違いな空気を醸し出しているのを知ってか知らずか、二人は巨人に歩み寄った。


「案内しろ」


 それまでの雰囲気とは打って変わって、真剣な面持ちのギンタは目の前の巨人に一言だけ告げた。

 ものを言わず、巨人達が背を向けて歩き出す。

 ギンタとナズナは、その大きな背中の後ろに従った。

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