第14話 ツンデレラが生まれた日

 少年の顔が離れていった。

 それを合図にナズナの頭が再起動すると、白かった首筋からおでこまでが、見る見るうちに上気した。


「なななななっ、なに!? 何を?」


「だから、足。治さないと死ぬだろうが、阿呆め」


「そうかも知れないけどそうじゃなくって、何でキスを……って、足が治ってる?」


 不満顔のナズナは視線を誘導された先で、傷一つない奇麗な足を目にする。

 あの時、メグを助けようと突き飛ばした直後に膝辺りからの激痛を覚え、途中からはその先の感覚がまるで無くなっていたのだ。

 もう妹たちと追いかけっこが出来ないなぁ――なんて事を薄っすらと考えてもいた。

 ナズナは戻った感覚を懐かしむように、左右の足をバタバタと動かしている。


 その様子を半眼で見ていた少年の顔が、あからさまな不満顔へと変わった。


「おい、重いんだが」


「あっ、ごめ……ん?」


 言われてみれば、ナズナは少年にお姫様抱っこをされたままである。

 そして、そこで気付く。


「き、きみっ、何でハダカ?」


 そう、少年は真っ裸であった。


「何で? っていつもだろうが。それに、それならお前も大して変らんだろ。あぁ、腹の傷も治っているからな、感謝しろ」

 

「へっ!?」


 引き裂かれた制服は、パックリと前が開いている。確かに、胸からお腹にかけての傷も奇麗に消えていた。

 そして、色々と際どい状態である事にもナズナは気付く。


「……きゃぁぁああああ!!!!!」


 先の戦闘で倒した魔獣の死骸が転がり、ハイ・オークに殴り飛ばされたリーバスたちも、未だに倒れている。

 まさに死屍累々といった様相を呈する森の中に、どうにも場違いな声音が響き渡った。


「お前なぁ、もうちょっと場の――」


「ぶふぅうううう! おまぇええ、どごから、きだぁあ! お、おでの、めす。がえせぇえええ」


 ナズナの叫び声にしかめっ面を強制された少年の不満は、ようやく起き上がったハイ・オークの咆哮によって中断される。

 声の主へと向けた少年の紅眼が、無機質な光を帯びた。


「何がお前のだ、豚野郎。こいつはオレ様の物だ。もう少しそこで、


「ちょっとぉ! 何でボクがきみの物になってるのっ!」


 再び鼓膜を攻撃され、顔を逸らした少年がわずらわし気にナズナへと視線を送る。

 ナズナは両手で服の切れ目を合わせて身をよじり、恥ずかしさからなのか怒りからなのか、赤く色づいた頬を膨らませていた。


「重い」


「まだそこ!?」


「【再生リジェネレイト】」


 少年が詠唱すると制服が白く発光し、すぐに光は消える。その時には元通りの姿でナズナの体を包んでいた。

 そして、ナズナが一連の現象に目を奪われていた間に、少年もナズナが見た事のない黒衣を身にまとっていた。


「それで良いだろ? 後ろで待っていろ」


 少年はナズナを立たせてやる。

 何かを訴えかける様な目で見てくるナズナを横目に、少年はハイ・オークへと向き直った。

 少年の紅眼が、再び無機質な光を帯びる。


「もう、」 


「ぶふぅ……? おまえ、ゆる、さ、ない。ころ、すっ!」


「こっちのセリフだ。ローストポークでは済まさぬぞ?」


「ふがぁあああっ」

 

 ハイ・オークが地を蹴ったのと同時に、左手を向けて少年は詠唱した。


「【空気砲エアカノン】」


「ぶひっ!?」


 空中に展開された魔法陣から、圧縮された空気の塊が撃ち出された。

 ハイ・オークの顔面をゆがめて後ろに弾き、まだ数歩進んだだけのその足を止めた。

 顔をゆっくりと正面に戻したハイ・オークが、少年を睨みつけて笑う。


「こんな、もの、きがない」


「そうか」


 少年は無表情でハイ・オークを見据えている。

 

 ハイ・オークが再び突進を試みようとした瞬間、またもや出鼻をくじくように顔面が弾かれた。その後、ハイ・オークが顔を戻すのに合わせて、二発、三発と撃ち込まれていく。

 その威力が徐々に上げられているのか、ハイ・オークの上体を仰け反らせる角度が一発毎に大きくなり、逆に一歩後退させ、二歩後退させ、ついには仰向けに転倒させた。

 

「ぶふぅううぅ」


「いっそう鼻が潰れて、男前が上がったではないか。効いていないのだろ? さっさと立ったらどうだ。それとも豚らしく、四つん這いで向かってくるのか?」


 地面に尻もちを着いた状態で唸るハイ・オークを見下ろし、少年は愉快気に口角を上げる。

 但し、その目は一切笑っていない。見た者を底冷えさせる、冷たい眼差しが注がれていた。


「ゆ、ゆる、さない」


「豚の一つ覚えか。違うだろ? お前が言うべき言葉は――」


 ハイ・オークが立ち上がるのを見届けて、少年は右手を向けた。

 それを目にしたハイ・オークは、咄嗟とっさに両腕を交差させて顔を庇う。


「ふん、ど阿呆が。【見えざる巨神の掌タイタンスマッシュ】」

 

 ハイ・オークに向けられていた少年のてのひらが、じわじわと握り込まれていく。

 

「ふがぁあああぁぁあぁああっ……」


 ハイ・オークの口から叫び声が捻り出されこだました。

 絶叫は尻すぼみとなり、音になりきれない空気だけが吐き出されている。

 その下半身は、握り潰されたかの様に原型をとどめる事なく粉砕されていた。


「あー、悪いな、潰しすぎたか。足が短すぎて膝の位置が分からなかった。このまま放っておいてもいいんだが……」


 全く悪びれた様子の無い少年は、淡々と続ける。

 

「【監獄プリズン】」


 ハイ・オークを中に捕える形で、突如として魔法の檻が現れた。

 両腕で這って進んだハイ・オークが黒鉄くろがねの格子を掴み、膂力りょりょくを込める。歯を食い縛る度に、その口元から血があふれ出る。


「やはり、豚野郎には檻がお似合いだな」


 懸命に逃れようと暴れまくるハイ・オークを見て少年は笑う。

 一頻ひとしきり笑った後、少年の目が据わった。


「焼き加減は……」


「まっ、まて、やめ、ろ……やめで、くだ、さい。ゆ、ゆる……じ……て」


「安心しろ、魂魄の欠片すら残さない――【爆裂バースト】」


 詠唱直後、檻の中心部に閃光がきらめき、一拍遅れて激しい爆音、続いて灼熱の炎と黒煙が生まれた。

 行き場を求めて踊り狂う炎が、熱波が、檻の外へと漏れ出る事はない。

 ただ檻の中だけが、焦熱地獄と化していた。


「オレ様の物に傷を付けた報いだ」


 呟いた少年が振り向くと、愕然がくぜんとした面持ちのナズナと目が合った。

 固まったまま、言葉を発しないナズナを不思議に思い、少年は声を掛ける。


「なんだ?」


 ナズナは無言で顔を左右に振り、それからまた少年をじっと見つめる。


「きみ、もしかして、ギンタ……なの?」


 その呼び名に、少年はあからさまに嫌そうな顔をしてみせた。


「変な名前を付けおって。オレ様は、魔王と呼ばれた存在だぞ」


「マオウ? ……ギンタマオウ?」


「……やめろ」


 残念過ぎるものを目にしたと、諦め顔のギンタがリーバスたちに向けて魔法を詠唱した。


「傷は治してやった。じきに目を覚ますだろう」


「えっ、今ので? 何でボクの時は……その……キス、したの?」


「両手が塞がっていただろ。それにお前の場合は、あの方が効率も良い」


「そんな理由? そんな理由でなのっ? ボ、ボクの……初めてが……」


「初めて? 何の事を言っておる? あぁ、人間とは本当にくだらん事を気にするものだな。そもそも、寝る前とかに無理やりしてきてたではないか」


「あっ!!」


 ナズナは頭を押さえてうずくまる――が、すぐさま立ち上がって捲くし立てた。


「あれはノーカウント! そう、あれは召喚獣とのスキンシップだもの!」


「そうするとやはり、さっきのがお前の初めてのってヤツになるのではないのか? 硬いくちばしとではなく、柔い唇と唇の直接接触であったしな」


「やぁあああ、生々しく言わないでぇええ」


 再び頭を抱えるナズナ。またもや、首筋から耳の先まで赤く染まったナズナが涙目で呟いた。


「もういい……それより下着」


「はっ!?」


「下着も出してっ! スースーして落ち着かない」


「布切れ一枚くらい、我慢しろっ」


 今度こそ、心底呆れ顔のギンタが告げる。


「時間切れ、と言うよりも魔力切れだ」


 ギンタの体が白銀光に包まれた。


「弱いくせに出しゃばりおって。言っておくが、今回は血に免じて特別だからな」


 その言葉と共にギンタをとりまく光が輝度を増し、まばゆい光が収まった時、そこには小さなギンタがいた。


「ギンタのくせに……何か偉そう」


「ぐぅええ」


「でも助けてくれてありがとう、ギンタ」


 ナズナはギンタを抱き上げ、いつくしむように頬をギンタの頭に乗せる。

 胸と腕で圧迫され、さらに頭にも重しを乗せられたギンタは、いつも通り迷惑そうな顔をしている。


 いつしか魔法の檻も爆炎も、何も無かったかのように消滅していた。

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