第22話 紳士は仮面の下でほくそ笑む
訳が分からず頭が混乱してしまい、メグに手を引かれるまま歩いたのは覚えている。気が付いたら宿に戻っていた。
目の前に降って湧いた現実。
なぜ、サーシャ姉さんがエスタークにいたのか?
王都のお店で働いている筈ではないのか?
どうして、あんな風になってしまったのか?
本当に、訳が分からない。
夕食の時、いつも以上に賑やかだったのは、よほどボクが沈んでいるように見えたんだろう。みんなの心遣いが嬉しかった。
メグとシシリアには、部屋に戻ってからサーシャ姉さんの事を話した。
孤児院で優しくしてもらった姉のような存在であり、帰ったらシスターに相談してみる事を。
今日は沢山歩いたし、明日は帰路に就く。
しっかりと疲れを取っておこうと、それから三人で大浴場に向かった。
お湯に浸かっていても、気が付くとサーシャ姉さんの事を考えてしまっている。
思い出の中のサーシャ姉さんは、表情が豊かで優しい笑顔の持ち主だった。
昼間見た、虚ろな瞳をした彼女にその面影はない。
どれほどの苦難に見舞われたのか――想いが募り、涙が溢れるのを抑えられない。
二人には心配を掛けないように、顔を洗って涙を
寝る前には、エスタークでの思い出話に花が咲いた。
宿の豪華さに、部屋や大浴場の広さに驚いたこと。
御飯で出てきた、食べた事も見た事もない食材を用いた料理の数々。
食べるのが勿体ないほど奇麗に盛り付けられた一品一品は、どれも頬が落ちそうになるほどの美味しさだった。
中には食べ方が分からず、戸惑ってしまった料理もあった。
そんな時は、一人上品に食事をするシシリアをみんなで真似をした。
思い出すと自然に笑みがこぼれてしまう。
露店巡りで見かけた、珍しい品々や奇麗なアクセサリーには心が躍った。
メグは、いつの間にか寝間着を買っていたらしい。さっそくそれを着て、ボクの前で色々なポーズをとっていた。
寝間着といえば寝間着、なんだけど――透け透けのネグリジェだ。
誰に見せるつもりなんだろう。
そもそもそんな相手がいるんだろうか。
もしかして、リーバス!? それともライアル?
あるいは、ボクの知らない誰かなのかも。
そう思うと、ちょっと妬ける気もしたが、メグが幸せならそれが一番だ。
ただ、扇情的な格好をしたメグに、サーシャ姉さんの姿を重ねてしまった。
ああいった娼館を牛耳っているのは裏社会であり、決して関わってはならない。
シシリアにきつく言われた事だ。
サーシャ姉さんの為に、今のボクが出来る事は何もない。
左右のベッドを見れば、メグもシシリアも夢の中のようだ。
ギンタもとっくに眠っている。
明日からの旅路に備えて、ボクも寝よう。
ギンタを抱き寄せ、丸くなる。
少しでも、心穏やかに眠れるように。
☆
太陽が地平線から顔を出し、街に色を付け始めた。
どんな時でも、誰にでも、平等に朝はやってくる。
終わらない夜はない。
☆
朝食を摂っていると、昨晩遅くに街に到着したというビヨルドが顔を出した。
ナズナたちは招待に対する感謝の言葉を伝える。
逆に、宿や従業員に至らない点は無かったかと気遣うビヨルドに、さすがは王国で一、二を争う豪商だと、リーバスやライアルは感銘を受けた様子であった。
朝食を済ませ、部屋に向かう途中で、ナズナはヨゼフと話をしているビヨルドを見かけた。
メグたちに先に部屋に戻っていてと伝えると、ビヨルドに声を掛けた。
「お話し中にすみません。ビヨルドさん、少しだけお時間を頂けますか?」
「ええ、構いませんよ。何かありましたか?」
ビヨルドはヨゼフに目配せをして下がらせると、にこりと笑みを浮かべてみせた。
「あの、サーシャ姉さんの事なんですが」
「サーシャ姉さん?」
「同じ孤児院の、えっと、三年前から王都のお店で働かせてもらっている筈なんですけど……」
「あぁ、はいはい、あのサーシャですね。彼女は器量も気立ても良いですからね。今では評判の看板娘になってくれていますよ」
「そうですか……それなら、良かったです」
「彼女がどうかしましたか?」
「いえ、とても優しくて、本当の姉みたいな存在だったので……それで、ボクだけこんなにも贅沢な思いをさせてもらって良いのかなって」
「それなら気にする必要はありませんよ。前にも言いましたよね、これは投資みたいなものです」
そう言って、にこやかな笑みを湛えるビヨルドは、誰が見てもやはり紳士然とした人であった。
ナズナは、もう一度お礼を言って部屋に戻る。
ビヨルドは、嘘を吐いている――そう確信を持って。
「ヨゼフ」
「ここに。昨日、彼女らが歓楽街に入ったのが確認されております。そこで――」
「なるほど。そういう事ですか」
歩いていくナズナの後ろ姿を見つめながら、ビヨルドが口元を手で覆った。
その下に浮かべた、堪え切れない
ヨゼフに見送られて馬車に乗り込んだナズナたち。
行きと同じく、護衛のセビージャたちに付き添われた馬車が動き出した。ゆっくりと流れていく街の風景に目をやり、遠ざかるエスタークに別れを惜しむ。
ナズナの胸には、サーシャという心残りが強く刻まれていた。
帰りの旅路も無事に二日目の朝を迎え、軽い朝食を摂り、移動を開始する。
疲れが出たのだろうか、さっきまで眠っていたというのに、すぐに全員が寝息をたて始めた。
ガタガタといった揺れでナズナは目を覚ます。
ぼんやりとした頭で風景を眺めていると、どうにも様子がおかしい事に気付いた。
馬車は、街道を外れて走っている。
当然、見える範囲に他の馬車や旅人の姿はない。
暫くして馬車が止まった。
「起きろ」
セビージャの野太い声が、幌の中へと重く響いた。
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