幕間 ナズナ
あの訓練からもう十日。
メグもリーバスも、悪夢のような経験をしたせいか、どことなく無理をしている様な気がする。
メグはあの日以降、ボクにぴたりと寄り添う事が多くなった。もしかしたら、ふとした隙に恐怖心が甦り、苦しめられているんじゃないだろうか。
気付かなかったフリをしたけど、メグの体が小刻みに震えたのが伝わってきたから。
リーバスは、一点をじっと見つめて、何だか怖い顔をしていた。
ああ見えて責任感が強いから、あまり背負い込まなければいいんだけど。
ボクが、二人にしてあげられる事はあるだろうか。
何でもしてあげたいと思うけれど、こればっかりは、時間が癒してくれるのを待つしかないのかもしれない。
あんな理不尽に見舞われたんだ。誰だって恐怖心を抱くし、自信を無くしても仕方がない。
でもそう考えると――シシリアさんは凄かったな。
女の子に格好良いと言っていいのか分からないけど、格好良かった。
「怖かったんだぞ」
フガッとか言って、またすぐに鼾を掻き出した。
それにしても仰向けで大の字って、その寝方はどうなんだろう?
左手の人差し指の先をナイフで浅く刺すと、すぐに血が溢れ出た。
思ったよりも出たので焦ってしまい、慌ててギンタの口へと垂らす。
いびきが止まっ――パクッ。
ボクの指が、ギンタに咥えられた。
生まれたばかりの子犬が、差し出した指を必死に吸っていた姿を思い出す。
あれは可愛かったなぁ、母親のおっぱいと勘違いして……なんか、顔が熱くなってきた。
いやいや、ボクってば、何を想像してるんだ。
空いてる右手で頬を仰いでいたら、目を
光が一際眩しくなり、収まると、十歳くらいの銀髪の男の子がそこにいた。
指を咥えたままの、真っ裸の状態で。
これは、他の人に見られてはちょっと……かなり、不味い気がする。
「んあ?」
目を開けたギンタが、寝ぼけまなこで見つめてくる。
最後にもう一度だけ、チュウッと吸われて指が解放された。
傷は跡形もなく消えている。
「なんだ? どこか滅ぼしてほしい国でもあるのか?」
「こらこら、いきなりなんて物騒な事を言いだすの」
「オレ様の力が必要なのではないのか? それくらい朝飯前だぞ」
「もう夜だけどね」
十歳くらいにしか見えない男の子が、腕を組んで踏ん反り返っている。
言ってる事は物騒そのものなんだけど――なんか可愛い。
小さい子が無理して大人ぶっているみたい。
目つきの悪さも、見慣れると可愛く思えてくるから不思議だ。
孤児院の弟たちで見慣れているけど、体を毛布で包んであげる。
「いや、この間のお礼をちゃんと言いたくて……」
「ふんっ、なんだそんな事か、くだらん」
「くだらなくないよっ! みんなの命の恩人なんだし、あと、ボクの純潔もその、あれだったし……」
後半が尻すぼみになってしまった。
「礼を言われる
「ギンタ……」
口をへの字に曲げて天井を睨み付け、ギンタは何かを考え込んでいる。
最近、ギンタの事が少し分かるようになってきた気がする。
気まぐれだなんて言っていたけれど、たぶん、面と向かってお礼を言われるのが照れくさいんだと思う。
それに、皆が軽くあしらわれたのを自分の事のように、あんなにも怒ってくれているし――なんか胸にじんときた。頬が緩んでしまう。
召喚されたのがギンタで本当に良かった。
神様、本当にありがとうございます。
「改めて言っておくが、お前は血の一滴までオレ様のものだからな。それを舐めたあの豚野郎を、生かしておく道理はない」
「――え?」
「最近は周りの人間どもも、お前を狙っているみたいだしな。油断出来ん」
「ちょっと待って、ギンタ、何を言って……」
あ!? なめやがってって、そっち? そっちかぁ!
前言撤回。ギンタの事が分かるようになってきたとか、なんかもう色々と恥ずかしすぎる。
それはそれとして、ボクの感動を返してほしい。
「改めても何も、初めて聞いたんですけど?」
「助けてやった時に言っただろうが」
「あ、あぁ……そういえば言ってた。ボクって、きみからそんな風に思われてたんだね」
「それ以外に何があると言うんだ? お前からの魔力供給がちっとも増えないせいで、オレ様の魔力はいつも枯渇状態なんだぞ」
「うっ、それはごめんなさい、としか……」
「お前の血は確かに特別だが、あくまで
「なっ!!」
ギンタめぇ……けど言い返せない。
制服の胸とかお尻の辺り、ちょっと窮屈になってきたかなって思っていたんだよね。明日からご飯減らそうかな……。
「おい、聞いているのか?」
「明日から頑張って痩せるよっ!!」
「何を言ってる? 喰うなら丸々としていた方が旨いに決まっているだろ」
「ボク……家畜じゃないんだけど」
「当たり前だ」
見た目は十歳くらいの男の子に、心底呆れた様子で溜め息をつかれてしまった。
「どのみちそれは、お前が死んだ時の話だ。契約している召喚主を喰えるわけがないだろ」
「あ、そうだよね」
「ふん、その時が来たら――オレ様の血肉となれる事に、せいぜい感謝しろ」
「!?」
そっかー、そうなるのか。ふふっ。
思わず笑みがこぼれてしまった。
「何だ? オレ様に喰われるのが嬉しいのか?」
「まぁね。ボクってさ、生まれてすぐに教会の前に捨てられていたんだって。
それでね、どうしても考えちゃうんだ。ボクは、生まれてきちゃいけなかったのかなってさ。親にさえ必要としてもらえない。そんなボクが、存在している意味はあるのかな?
ボクが他の人に優しくするのは、きっと自分の為なんだと思う。必要としてほしいから。ボクが存在している理由を、作りたいだけなんだよ」
「やはり、おかしな事を考える奴だな」
「そう……なのかな。でも、そんなボクを、ギンタは必要としてくれるんでしょ?
まぁ、携帯食みたいな感じだけどさ。
それでも食べてもらえば、きみが言った通り、ずっと一緒にいられるよね。
ボクは、一人になりたくない……だからお願いね、ギンタ」
「やれやれ、喰ってくれなどと願うのはお前くらいのもの……? だ……」
「そうかもねっ」
「むっ!?」
自分の膝にギンタを座らせ、二人を包むように毛布を羽織りなおす。
「今まで誰にも言えなかったから、ちょっと胸がすっとした」
あぁ、温かい。
二人の体温が合わさって、なんだか心まで温まるようだ。
そのままボクは、深い眠りへと吸い込まれていった。
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