第7話 天使と悪魔の集う場所

 馬車が見えなくなり、シスターに促されたナズナは教会へと足を踏み入れた。

 古い建物だが手入れは行き届いており、教会独特の厳かな雰囲気に背筋が伸びる思いがする。それでいて大きなステンドグラスから差し入る陽射しが、包み込むような温かさを感じさせてくれる。

 ナズナは幼い頃から、その陽射しがとても好きだった。

 

 ギンタを腕から降ろし、目を閉じていつものお祈りを神様に捧げる。物心付いた頃から繰り返し捧げてきたお祈りを。

 振り返ったナズナをシスターの優しい笑顔が出迎えた。


「シスター、ビヨルドさんは何年ぶりですかね?」


「あなたが最後にお会いしたのは学院に入学する前ですから、四年ぶりくらいですか。あの方は多くの教会に寄付をして、その上ご自身で視察にも回られていますからね」


「立派な方ですよね。孤児院の子供なんて大勢いるでしょうし、そんなに久しぶりなら分からないのも当然ですね」


「そうですね。それに……」


 言葉を切ったシスターはナズナの体を眺めると、それから少し困った様な、何とも言えない複雑な表情で溜息を吐き出した。

 ナズナが急に焦った様子で自分の体を抱きしめるようにして身を縮こませる。

 シスターの視線と表情から何やら察したらしい。


「な、なんですか? シスター?」


「ここ最近のあなたは、すっかり成長しましたからね」


 ナズナ自身、心なしか制服が窮屈になってきた気はしていたのだ。だが気のせい気のせいと自分に言い聞かせ、目をそむけ続けていた。

 それが今、第三者から誤魔化ごまかしようのない現実として突き付けられてしまった。

 頭を木槌で殴られた様な衝撃ショックを受け、ナズナは動揺を隠せない。


「うわぁああ! やっ、やっぱり? ボクって太りました?」


「はぁ、そうじゃありません。まったく、あなたの自覚の無さには目眩めまいを覚えてしまいますね」


「へ? それは……すみません?」


 額に手を当てたシスターから先程とは異なった種類の溜息を吐かれてしまい、ナズナはぴんと来ないといった様子でとりあえずの謝罪を口にした。


「すっかり女性らしくなった、という事です」


「えっ? ボクって、本当に女性に見えてなかったんですか?」


「えぇ、えぇ。ほんと、ガキ大将に掴みかかっていった、あの小さかった子がねぇ」


「もぉ! シスターまでそんな昔の事をっ」 


 ナズナはむくれて抗議するも、これはもうずっと言われ続けるに違いない、そう思うと諦めて肩を落とすしかなかった。


「まぁまぁ。あなたは昔から、他人を気遣える優しい子でしたからね。あの時だって、孤児院の他の子が馬鹿にされたのを怒っての事でしたよね」


「そう……でしたかね……、そうだっ、ビヨルドさんと言えば、サーシャ姉さんはお元気なのでしょうか?」


 どうにも居心地が悪そうなナズナがあからさまに話題を変えたので、シスターは可笑しくてクスリと笑みをこぼしてしまう。


 サーシャとは、ナズナより五つ年上で、本当の姉のように慕っていた女性である。器量の良いとても優しい女性で、ビヨルドの御眼鏡に適い、王都でも一、二を争うビヨルド商店で三年前から働いている。

 ビヨルドは教会に寄付をしているだけではない。将来独り立ちできるように孤児院の子供たちに働き口も斡旋していた。


「えぇ。王都のお店で良くやってくれていると褒めておいででしたよ」


「そうですかぁ、流石はサーシャ姉さんですね。また会いたいです」


 ナズナが懐かしい思い出に浸っていると、教会の入口からひょっこりと覗く顔が現れた。


「あぁあああ!! もうナズナ来てるじゃん」


「ほんとだ、何してんだよぉ」


「ナズナお姉ちゃん、お帰りなさい!」


 待ちきれなかった孤児院の子供たちが次々と教会に入って来た。

 可愛い小さな弟や妹たちに抱き付かれ、身動きがとれずにナズナは嬉しいやら困ったやらといった様子だ。

 年長組の子供たちは、その輪の向こうから挨拶している。


「これこれ、教会では騒がないようにっていつも言っていますよね?」


「「「「はーい」」」


 シスターに注意されてようやく騒動が収まった。


「ナズナお姉ちゃん、早く遊んでぇ」


「まずはお勉強の時間、だよね?」


「「「えぇぇえええー」」」


 ナズナの発したお勉強という言葉に、小さな子供たちが一斉に頬を膨らませた。先程から誰かさんが見せていたのと同じ抗議方法だ。

 シスターは小さな頃のナズナの姿を思い出し、目を細める。


「みなさん、しっかりとお勉強、教えてもらうんですよ」


 シスターに見送られ、ナズナと子供たちは隣の孤児院へと移動した。


 休日の午前中、ナズナは二時間ほど孤児院の子供たちに勉強を教えている。ナズナ自身も年上のサーシャたちに教えてもらったので、それを弟や妹たちに返している訳だ。

 そうして勉強が終わった後は、子供たちにとってお待ちかねの時間となる。


「じゃあ、今日の勉強はここまで」


「「「やったー!」」」


「こらっ、ありがとうございました、でしょ?」


「「「ありがとうございましたぁ」」」


 そう言うが早いか、女の子たちがナズナに群がっていく。一番乗りの少女がナズナに抱き付き、キラキラとした瞳で見上げた。ナズナにとっても至福の瞬間だ。


「あれ? おでこ、どうしたの?」


「昨日、転んでぶつけたの。まだちょっとズキズキするけど大丈夫」


 少女の額にすり傷を見つけたナズナは、傷に触れないように手をかざす。するとその手が、数秒ほど温かそうな光に包まれた。

 ナズナの治癒魔法だが、効果は小さい。深い傷や骨折などには不十分で、出血を多少抑えたり、痛みを和らげるくらいの効果しか期待出来ない。

 それでも、この程度のすり傷なら十分だった。


「はい、治ったよ」


「わぁ、ナズナお姉ちゃん、ありがとー」


「どういたしまして。今度から気を付けてね」


 ナズナは少女を抱き上げ、椅子に腰かけた自分の膝の上に座らせる。


「良いなぁ。ナズナお姉ちゃん、私も~」


「順番ね。今日は何して遊ぼうか?」


「んとねー、えっとねー、お歌を歌うー」


「じゃあ、みんなで仲良く歌おうね」


「「「うんっ!」」」


 可愛い天使たちに囲まれて、ナズナが幸せな一時を過ごす一方、ギンタもナズナに負けず大人気で、こちらは男の子に追い掛け回されている。今の所どうにかしのいでいるが、掴まるのも時間の問題だろう。

 時折、ギンタがナズナへと恨めしそうな顔を向けるのだが、ナズナが助けに入る事はない。必死に逃げ惑うギンタを横目に、ナズナは天使たちに没頭している。


 しばらくして、ギンタの断末魔のような鳴き声が正午を告げた。

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