第36話 悪い予感

「ここがベッケンさんを確保した場所です」


 そう言ってフリードが触れた大樹の幹には、上向きの矢印が刻みつけられていた。

 魔物を撒く事に成功したベッケンであったが、砦までは体が持たない事も自覚していた。

 そこで、傷の応急処置を済ませると木に登り、体を縛り付けて固定する。後は体力の温存に努め、あわよくば捜索隊に見つけてもらうという幸運に賭けたのだ。


 果たして賭けは吉と出て、フリードに救助される事となった。

 自分の置かれた状況を正確に把握し、最善の策を取る。金等級なら当然と言えるが、それが出来るからこその金等級とも言えるのだ。


 早朝からナダルの森に入ったナズナたち五人は、この最初の目的地まで真っすぐに突っ切ってきた。道中、魔物との遭遇は皆無。

 ギンタの索敵で戦闘を避けながら目指す事も出来たが、ゴリアスの「時間が勿体ない」の一言で、力業で最短距離を進んだ。


 結論から言えば、ゴリアスの剥き出しの殺気に気圧された魔物の方が避けたのである。

 魔物は生存本能が極めて強い。特に力の弱い魔物ほど。

 加えてこの森の魔物は警戒心が一際高い為、尚更の結果であった。


「さて、ぼちぼち中層に踏み入る訳だが、ここから先はこれまでの様にはいかん。好戦的な魔物どもが増えてくるからな。ナズナ、索敵を任せられるか?」


「はい、ゴリアス様。お願いね、ギンタ」


 お願いと言っておきながら「魔力草じゃないからね」と、ニッコリと笑って釘を刺すのも忘れない。

 その微笑にトラウマを呼び覚まされたギンタは、キツツキのように首を振っていた。




森の猿翁フォレストセージり合っておった」


 暫く進むと、ギンタが魔物同士の争いと思われる反応を見つけた。

 ある程度近付いた所で単身ゴリアスが確認に向かったのだが、難しい顔をして戻って来かと思うとそう言って更に続けた。


「奴らは知性が高く、本来、比較的温厚な魔物だ。縄張り争いになっても同族を殺すまでする事は無い。だが今見てきた奴は、躊躇ちゅうちょなく同族を殺りおった。

 しかも、片目を潰された直後に砕けた拳で殴りつけるわ、仕舞いには殺した同族を食い始めるわで、知性も理性もまるで感じられん。狂っておるとしか言いようがない」


「俺たちが戦った奴らもそうだった。いくら傷を負わせても怯むどころか……おかげでジリ貧になっちまった」


 ゴリアスの話に補足したベッケンは、苦い記憶に顔をしかめた。

 二人の話を聞き、少し考え込む様にしていたシシリアが、視線をゴリアスへと向けた。


「叔父様、昨日のベッケンさんのお話も加味しますと、神経系に作用する何かが原因だと考えられますね」


「魔法で言えば【酩酊めいてい】などだな。ここでその手の魔法を使うのは妖精どもだが」


「妖精が魔物同士を争わせる理由って何でしょうか?」


「ふむ、例えばだが、魔物を暴れさせる事で我々の意識をこの森に向けさせる。それこそ、頻繁に討伐隊を送り込む事にでもなれば、妖精狩りの奴らも迂闊に森に入れなくなるだろう。まぁ、仮に妖精どもの仕業だとしたらの話だ」


 シシリアにそう答えたゴリアスは眉間の皺を一層深くすると、重々しく言葉を連ねた。


「儂としては、そうであってくれれば、まだ良かったと言えるのだがな。あの正気を失った魔物の有り様、あれに似たものを儂は知っておる。あまり考えたくはないが、そうもいくまい」


「叔父様?」


「麻薬だよ。あの凶暴性や痛覚麻痺が麻薬の中毒症状と考えれば合点がいく。

 我が国では医療以外の麻薬の取り扱い、大麻草の栽培は御法度だ。だが貧困層を中心に麻薬が広まっておるのは事実であり、忌々ゆゆしき問題だ。

 それがもし、我が領地の目と鼻の先、実質的に管理を任されている、このナダルの森で栽培されているとしたら」


「我が家の面子が潰れる――どころかルーデンベルグ家自体が潰されてしまいますね」


「幾らこの森が広いとはいえ、元から自生しておれば、とうの昔に今の状況が知れておろう。いつの間にか外から持ち込まれ、故意か偶然か、森の生態系に悪影響を与えたと考える方が妥当であろう。それならば変異種の出現にも説明がつく」


 事の重大さにゴリアスとシシリアは口を重く閉ざしてしまった。

 沈黙を破り、フリードが言った。


「だとすれば、ドラゴンテイルの連中でしょうね。資金源の確保と我々への報復。連中の高笑いが聞こえてきそうです。ゴリアス様、いずれにせよ、奥に進んで実態を掴むしかないのでは?」


「それしかあるまい。全員、気を抜くなよ。【明けの明星】と同じてつを踏む訳にはいかぬからな」

 

 更に奥へと進むと、森は変わり果てた姿を晒していた。

 へし折られた樹々の残骸が散見され、そこかしこに乾いて黒く変色した血肉がへばり付いている。鼻に纏わりつく腐臭が、否が応でもナズナの身を強張らせた。

 

 ベッケンの報告を裏付ける様に魔物同士の争いもその頻度と苛烈さを増しており、気付かれたら最後、巻き込まれる事は必至である。

 一行は息を潜めつつ、隙間を縫うように歩みを進めていった。

 

「先程見かけたオークの変異種、訓練の時に乱入してきたものと似ていましたね」


「うん……ボクも似てるなって思ってた」


 喧騒から遠ざかり、随分と久しぶりに感じられる暫しの平穏。

 張り詰めていた気をほぐす様にナズナとシシリアは言葉を交わした。


「ん!? こいつは……間違いねぇ、同じもんだ」


 唐突に足を止めたベッケンが、何かに気付いた様子で鼻をひくつかせた。

 ナズナとシシリアは会話を切り上げ、その言葉に耳を傾けた。

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