第29話 悪戯の余波

「アグエロっ! はぁ、はぁ……なっ、何なのです、あの化け物はっ」


 未だ、虚空を見上げたままのアグエロは、ビヨルドの問いかけに見向きもしない。

 ビヨルドは語気を荒げて乱暴にゆさぶった。


「アグエロぉぉおおおっ!」


 ガクン――と項垂うなだれたアグエロが、焦点のはっきりとしない瞳でぼそぼそと答える。その姿からは、いつもの堂々とした貫禄は微塵も感じられない。


「判りません……人化する召喚獣など、文献でも見たことがありませんから。ただ、はっきりと言える事が有ります」


「何だ?」


 アグエロのくすんだガラス玉のような瞳が、ビヨルドへと向けられた。


「あの化け物を始末しない限り、あなたはおしまいです。もちろん、わたしもね」


 色が抜け落ちたアグエロの顔つきと、淡々と事実だけを突き付けたその言葉に、ビヨルドは一時の沈黙を生む。

 文字通り身命を賭し、一代で国一番の豪商と呼ばれるまでに上り詰めた男である。その胆力は伊達ではなかった。

 ビヨルドの瞳から揺らぎが消え、あらたに十全たる黒い炎が灯る。

 

「出し惜しみするな、片付けろ」


 落ち着き払っていながら、かえって凄みを感じさせるビヨルドの口調にアグエロは無言で頷くと、雑嚢ざつのうからこぶし大の水晶を取り出してみせた。水晶の中では、黒いもやが渦巻いている。


 数秒目を閉じたアグエロが、意を決した顔つきで目を開いた。

 指先を浅く噛み切ると、滲み出た血で水晶に文字をつづり、それが染み込むようにして消えたのを確認して無造作に空へと放る。

 ピシリッとひびいった水晶が、甲高い音を響かせて砕け散った。日の光に反射して、破片がキラキラと地上に舞い落ちる。


「何だ? 何も起こらないではないかっ」


「もういますよ、そこに」


 ビヨルドの責めるような剣幕を表情を変える事なく受け流し、アグエロは空を見上げている。

 その視線をたどった先で、黒揚羽を思わせる羽を優雅にはためかせた、小さな妖精が空中に静止していた。

 ビヨルドの顔色が、にわかに曇る。


「あんなものが、切札なのか?」


「はい。さあ、ナダルの森の守護者よ。お前の敵は、あの男です」


 露骨に不信がるビヨルドにも、さらなる様変わりを見せたギンタにも、アグエロは全く気後れした様子もなく促した。

 妖精は空に円を描いたかと思うと瞬く間に、身の丈八メートルはある土気色の巨人へと姿を変えた。


 その容姿は、いびつの一言。

 異様に盛り上がった筋肉を誇る上半身に対して明らかに矮小な下半身には、どうしてそれで支えられるのかと疑問を呈さずにいられない。

 ギョロリと見開かれた右目に対し、苦痛にあえぐかのようにひくつく左目。鼻は途中からひん曲がり、口に至っては端に寄り過ぎて正面からハミ出してしまっている。まるで小さな子供が描いた似顔絵のような面構えだ。


 実際、可愛い我が子の描いた絵であれば、鼻が曲がっていようが、目や口が多少おかしな位置に付いていようが、それはそれで微笑ましく思えるだろう。

 だが妖精の変貌した姿は、とてもではないが、そんな可愛げのあるものではない。生々しい不気味さに加え、その大きさも相まって強烈な忌避感しか生まれない。


「妖精……いや、あの感じは妖魔か。ふざけたものを出しやがって――」


 巨人を目にして歩みを止めたギンタが、苦々しげに呟いたのを合図に戦闘の幕が切って落とされる。

 地につけた両手を支点に、体を降り飛ばすようにして移動してきた巨人がギンタを見下ろすと、耳下まで裂けた口でニタリと笑った。

 

 それを腕を組んだまま、微動だにせず睨み付けるギンタ――といっても目つきの悪いギンタは普通に見上げているだけなのだが、その視界が暗転する。

 それは瞬きほどの時間であったが、今ギンタの目には、つい今しがたまで自分がいたはずの場所に立つ、リーバスの姿が映っていた。

 当のリーバスは、突如切り替わった景色に理解が追いつかず、振り上げられた巨人の拳を呆けた顔で見上げている。


「ちっ!!」


 ギンタの舌打ちが早いか、巨人の拳が振り下ろされ、直後に落雷めいた轟音が鳴り響いた。




 目を見開き、口は半開きののまま、棒立ち状態で立ち尽くしているリーバス。

 その鼻先に迫る、リーバスの身の丈ほどはあろうかという巨人の拳。

 鈍く光る黒鉄くろがねが、衝撃はおろか風圧すら通すことなく、その絶命の一撃をすんでの所で止めていた。

 人ひとりがようやく収まる大きさの【監獄プリズン】の中で、リーバスが思い出したかのようにドサリと地面に膝をついた。


「ナズナ!」


 ギンタの意図を汲み取ったナズナが、すぐさま魔法陣を展開する。白銀色の光の柱が立ち昇り、呆然としたリーバスが転送されてきた。


「さっきのは取り替え子チェンジリングか? 本来は妖精の子供と人間の子供を取り換える悪戯のはずだが、小癪こしゃくなマネを。堕ちても妖精としての本質は忘れていないらしい」


 リーバスと入れ替わる形でメグの横へと飛ばされていたギンタが、忌々いまいましげに吐き捨てると右腕を水平に一振り。ギンタたちを覆うようにドーム状の魔法障壁が形成された。

 一方その頃、巨人は、潰れて血塗れになった拳を眺めていた。歪な口をさらに歪めると、時間を巻き戻すように拳が修復されていく。


「おい、ガキども。この障壁の内側にいれば、さっきの赤毛のように位置を入れ替えられる事はない。ここで大人しくしていろ。今度オレ様の手をわずらわせやがったら、その時は、オレ様直々にお前らを消し炭に変えてやる。わかったな?」


 メグ、シシリア、ライアルを顧みたギンタの有無を言わさぬ目力に、三人は啄木鳥キツツキのように首を振っている。

 その姿を横目に障壁を出たギンタが、フンッと鼻を鳴らした。

 

「なんだ? 今度は睨めっこでもしようというのか?」


 ギンタを凝視していた巨人は、顔の前で合掌するように手を合わせると、その手をゆっくり大きく左右に開く。その中央に位置した歪な顔に、粘着質な――ニタァといった表現が相応しい笑みが貼り付けられた。

 直後、勢いよく手の平が打ち合わされ、パァンという乾いた音が耳の奥を刺激した。


 気が付けば、あれ程の存在感を放っていた巨人の姿が見当たらない。視界に捉えていたにも関わらず、意識から抜け落ちるようにして消えていた。

 代わりに――ギンタの左右の腕を抱き抱えるように一人ずつ、両足にもすがりつくように一人ずつ、最後の一人は背後からおぶさるように腕をまわして、都合五人の人間がギンタの体を拘束していた。


 普通なら窮地に陥っているはずのギンタの顔が、呆れという感情をこの上なく見事に表現している。


「おい……人にダメ出ししといて、これは一体どういう理屈だ?」


 ギンタに群がった五人は、全員が同じ顔をしており、一様に一糸まとわず全裸であった。五人のナズナが己の肢体をギンタに絡みつかせて、恍惚とした表情を浮かべている。

 

 何やら騒々しい気配に目を向けると、【監獄プリズン】の中でナズナが格子を掴み、言葉にならない叫び声を上げている。こっちのナズナは、もちろん服を着ている。

 ただ奇妙な事には、ダメージを負う事なく救出されたはずのリーバスが、何者かによって気絶させられていた……。

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