第31話 後日譚と新たなる誘い

「お早うございます、シスター」


「お帰りナズナ、今日もよろしくお願いしますね」


 いつ来ても家族として迎えてくれる孤児院。

 教会でいつも通り神様にお祈りを捧げる。

 いつも通り――それが当たり前だと思い込んでいた――平穏な日常へと戻ってこれた事に感謝する。

 

 孤児院に足を向けると、弟や妹たちの賑やかな声に混じって奮闘するサーシャ姉さんの声が聞こえてきた。

 あれから既に一月以上の月日が流れている。


「お帰り、ナズナ。早速だけれど手伝ってくれる?」


 ボクの姿に気付くと、以前と変わらぬ優しい笑顔で招き入れてくれた。


 一緒に勉強を教えながらサーシャ姉さんの様子を横目で窺う。

 姉さんは、王都に行ってからの記憶をギンタに魔法で封印してもらった。最初は記憶の欠落に戸惑っている様子も見られたけれど、徐々に折り合いを付けたようだ。

 今もチビたちに悪戦苦闘しているが、その瞳はきらきらと活力に満ちた輝きを取り戻している。

 みんなと一緒にお昼を食べてからの帰り際、来週から街の食堂で働かせてもらう事になったと教えてくれた。


 今日はこれからシシリアとデートの約束をしている。デートと言っても、寮のボクの部屋なんだけど。

 最初「辺境伯のお嬢様をお招きするなんて恐れ多い」と断ったら、シシリアが寂しげな笑みを浮かべて俯いてしまった。

 傷付けたかと思って焦りに焦っていたら、肩を震わせだしたシシリアから含み笑いが漏れ聞こえてきた。すぐに鈴の音のような笑い声が響き、呆気に取られていたボクも一緒になって、二人で顔を見合わせて笑いあった。


 ――本当に、戻って来られて良かった。

 

 人に聞かれたくない話があると言うので、結局ボクの部屋で会う事になった。

 ちなみに、それならシシリアの部屋でも良いんじゃない? と聞いたところ全力で拒否されてしまった。何か見られたくない物でもあるのだろうか。


 寮に戻りシシリアが来る前にギンタをお風呂に入れる。

 今日も孤児院のみんなの相手を頑張ってくれていたから奇麗にしてあげないと。

 必死に逃げ回っていたギンタを思い出す。

 あんなにも強い魔獣や何倍も大きな巨人を相手に圧倒していた――あのふてぶてしい姿との差が激しくて、自然と顔が綻んでしまう。

 今もボクの胸を枕代わりに湯舟に浸かり、気持ち良さそうに目を閉じている。


 ――本当にありがとう、ボクの許に戻ってきてくれて。


 約束の時間通りにシシリアがやって来た。

 有名店のお菓子をお土産に持って来てくれたので紅茶をいれてご馳走になる。

 美味しいっ! これは人気なのも頷ける。安物の紅茶までが、いつもより数段美味しく感じられるほどだった。


 一息ついてシシリアが事の顛末てんまつを教えてくれた。

 お父さん――ルーデンベルグ辺境伯が手紙で詳細を伝えてきたそうだ。


「ビヨルドは違法な奴隷売買の罪で死罪と決まりました。過去十年以上に渡る取引の形跡が、屋敷から出てきた書類で明らかになったそうです。本人が自白した通り、各地の孤児院から集められた孤児が奴隷として国外へと売られていました」


 ギンタを抱く腕に知らず知らず力が入る。

 一体、どれだけの子供たちが犠牲になったのだろう。ボクが物心つく前に、教会の孤児院からも連れて行かれた子もいたのではないだろうか。

 

「……残念ながら、犯罪組織を仲介していた為に取引先までは辿り着けなかったとの事です。ただ、仲介したのはドラゴンテイルだと判明しています。我が国の地下組織では最大勢力ですね。そうそう、取り調べに当った者の話によりますと、ビヨルドはひどく怯えた様子で余りにも協力的だった為に、かえって気味が悪いくらいだったそうですよ」


 どこか得意気に最後の一文を告げたシシリアは、悪戯っぽい笑みを浮かべてギンタに視線を向けた。


「それから、ビヨルド商店は取り潰しの上で財産を全て没収、各地の孤児院への寄付や整備等に使われるそうです」


「そうなんだ……良かった、と言って良いのかな」


 歯切れの悪いボクの反応に、シシリアが曇りのない瞳でじっと見つめてくる。


「ナズナ、過去に遡る事は出来ません。それでも今回の件で、新たな犠牲者を生み出す芽を摘む事は出来ました」


「そうだよね……サーシャ姉さんも元気になってきたし、みんなで前を向いて頑張らないとね」


「それでこそナズナです」


 どちらからともなく顔を綻ばせ、飾り気の無い殺風景な部屋に二輪の花が彩りを添える。

 気持ち良さげにいびきをかいているギンタは、どんな夢を見ているのだろうか。

 紅茶で喉を潤したシシリアが、少し躊躇ためらいがちに口を開いた。


「先日の件については以上なのですが、あの……実はお父様からの手紙には続きがありまして」


 シシリアにしては珍しく言い淀み、視線も落ち着きがない――というか、視線はボクとギンタを行ったり来たりしている。


「どうかしたの? ギンタに関係した話?」


「いえ、いや、まぁ……そうなんですけど」


 シシリアは小さな溜息を漏らすと、遠慮がちに言った。


「ギンタさんにも聞いて頂きたいのですが」


「うん、わかった。ギンタ、起きて。シシリアが話があるって」


 寝ているギンタを揺するけど起きる気配がない。チビたちの相手で疲れて、その後でお風呂に入ってほっこりしたからか、完全に夢の世界の住人になっている。

 仕方がない。机の上の裁縫道具から針を出して自分の指に軽く刺す。

 血がぷくりと膨れ出た指をギンタの鼻先にもっていくと鼾が止まり、ぱくりと咥えられた。

 数秒ほどして薄っすらと眼を開けたギンタが、十才くらいの見た目の少年へと姿を変えた。

 

「なんら? どふぉかふぉろぼしてふぉしいふにでもあるのか?」


「こらこら、その物騒な発想はもういいから。眠っていたのにごめんね。シシリアがギンタにも話があるんだって」


「ふん、きいてやふ、はなふぇ」


「その前にきみがボクの指をはなふぇ。あとお尻丸見えだから服も着ようね」


「……」


「全裸の小さな男の子に指を咥えさせているナズナ、これはこれでなかなか興味深い絵面ですね」


「ちょっと、シシリア!? 変な事言うのやめてよっ」


 ボクの糾弾にシシリアは真顔を崩し、上品にころころと笑う。

 未練がましく放さないギンタの口から指を引っこ抜くと、いつも通り指先の傷はふさがっていた。


「では改めまして。この度、ビヨルドの悪行を白日の下に晒すにあたり、私の父であるルーデンベルグ辺境伯が以前より調査していた事案の証拠を掴んだ――という事にさせて頂きました。本来はギンタさんの功績である筈のものを、当家の名で公表せざるを得なかった事をお許し下さい」


 表情を引き締めたシシリアが少年姿のギンタに深々と頭を下げた。


「別に構わん」


 台詞だけ聞くと格好良いんだけど、発したのがボクに抱っこされてる踏ん反り返った少年なのがちょっと残念。

 

「ありがとうございます。そう言って頂けると助かります。それと父に動いて頂く為に、内内ないないの話としてある程度の情報は伝えてあります。ギンタさんは偶然・・通りかかった冒険者として、それから――」


 シシリアが語った手紙に記された内容は、ボクたちを新たな局面に踏み入れさせる事になる。

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