第34話 大切なのは中身だ
「入れ」
シシリアが頑丈そうな木の扉をノックすると、部屋の中から威勢の良い声が返ってきた。
シシリアとナズナが中に入っても、部屋の主は書類を睨み付けたままであった。
「ゴリアス叔父様、お久し振りです」
シシリアの朗らかな声に、部屋の主、ゴリアスがじろりと視線を動かす。
その姿を確認するが早いか、ゴリアスは書類を机に放り出し、席を立ってシシリアを出迎えた。
「おうおうシシリア、よく来たな」
「お元気そうで何よりです」
「うむ、お前さんこそな。しかも今度はこんな所にまで来るとは、実に刺激的な学院生活を送っておるのう」
歩み寄って抱擁したシシリアに、ゴリアスがニタニタといった――どこか面白がっているような眼差しを向けてそう言った。
「もしかして、長期休暇の件をお聞きになっていらっしゃるのですか?」
「もちろんだとも。そのお前さんをナダルの森に行かせると言うではないか。
兄貴はフリードを護衛に付けると言うたが、あの若造だけでは安心出来ぬからな。儂も行くと言うて承諾させた。
シシリアの護衛よりも重要な任務なんぞ、他にありゃせんだろ」
「もぅ叔父様、ダメですよ。そんな事を仰っては、部下の方に示しがつきません」
「示し? そんなもの、儂の部下にとっては今更だろうて」
「確かに、それもそうかもですね。ありがとうございます、叔父様」
花が咲いたようなシシリアの笑顔に、ゴリアスの
その様子をナズナは部屋に入った所で眺めていた。
ゴリアスの第一印象は、はっきり言って恐怖でしかなかった。
シシリアに続いて入室した途端、ナズナは視線を強制的に固定させられた。
実際、悲鳴を上げなかった事を、心の中で何度も自画自賛していたくらいである。
ゴリアスは座ったままでもそれとわかる筋骨隆々とした大男で、日に焼けた浅黒い肌をしている。眉間には深い皺が刻まれ、太い眉は吊り上がり、魔獣に削がれたのか右耳は抉れていた。
そして、その鋭い目つきから放たれる眼光。初見の者であれば、最初の
ナズナが自画自賛したのも頷ける、それほどゴリアスの放つ威圧感は半端でなかった。
だがそんなゴリアスも、シシリアにかかっては前述の通りである。
シシリアの言っていた「見てのお楽しみ」とはこの事か、とナズナが考えていた所にゴリアスから声を掛けられた。
「嬢ちゃんも、よく来てくれたな」
「は、はい! 初めまして、ゴリアス……様。ナズナと申します。その、なんとお呼びすれば良いのか、無作法をお許しください」
上級貴族に謁見するというのに、どうして肝心な事を聞いておかなかったのか――ナズナは血の気が引く思いで頭を下げた。
「そんなもん気にせんでいい。なんなら嬢ちゃんも、叔父様って呼んでくれてかまわんぞ?」
ナズナの危惧を余所に、そう言って豪快に笑って見せるゴリアス。
顔を上げたナズナは、なんとも言えない心地良さに包まれ、緊張で強張っていた頬も自然と緩んでいた。
その様子を見てとったシシリアが、茶目っ気たっぷりに言った。
「ナズナ、叔父様はこんなですから、貴族の間では【全く貴族らしからぬ貴族】などと陰口を叩かれているのですよ。こういうお人なんです。本当に気にしないくて良いですよ」
「う、うん」
「なんだ? シシリアも儂の事をそんな風に思っておったのか?」
「いえいえ。私は叔父様のそのお人柄、とっても好きですよ」
「おお、そうかそうか。近頃は平和ボケした貴族どもが増えてな、困ったものだ。お上品に着飾って、舞踏会だの茶会だのにうつつを抜かしとる。いざという時の為に備え、守るべきものの為に体を張る――それが真に貴き者、貴族というものであろう」
ゴリアスが不服そうに眉を
「そうですね、叔父様。そう言った意味では、このナズナは真に貴き者ですよ。初めての魔獣討伐訓練でハイ・オークと出くわした時には、自らの身を投げ出して――」
「ちょっ、ちょっと、シシリアやめて、恥ずかしいからやめてっ」
「そう言わずにナズナ、私が叔父様に聞かせたいのですよ。それでね、叔父様、この間の長期休暇の事件の時も――」
我が事のように誇らしげに語って聞かせるシシリアを、ナズナは真っ赤になって制止しようとしたが、しっかり最後まで語られてしまった。
「いやいや、誰にでも出来ることではないぞ。謙遜なんぞせずに嬢ちゃんは誇っていい。ご両親の教育も良かったのであろうな」
「えっと、生まれてすぐに孤児院の前に捨てられていたそうなので両親は……それにボク、じゃなくて私のは、そんな立派なものではありませんから……本当に……」
いたく感心した様子のゴリアスに対し、話の途中で俯いたナズナの声は尻すぼみになってしまった。
傍から見れば、恥ずかしさのあまりナズナが謙遜して言った言葉に聞こえるが、その言葉は掛け値なしにナズナの本音であった。
ギンタにだけ告白した、ナズナの行動原理に基づくものでしかなく、決して人様からたたえられるようなものではない。ナズナ自身はそう思っているのだ。
だから、俯いたナズナは申し訳なさと自嘲の念で、なんとも言えない悲し気な微笑を浮かべていた。
「ナズナ、もう手遅れですよ」
「手遅れ?」
シシリアの言葉の意味がわからず、おもむろに顔を上げたナズナの前で、ゴリアスの両目から瀑布となって涙が流れ落ちていた。
「嬢ちゃん、いや、ナズナだったな。苦労しただろうに立派に育って。シシリアが認めるくらいだ、もう儂の事はお父様と呼んでいいぞ」
「へっ!? シ、シシリア?」
「叔父様は感激屋ですからね。本人がそう仰っている事ですし、呼んでさしあげれば良いのでは?」
困惑したナズナがシシリアに助けを求めるも、諦めろとばかりに首を横に振られてしまった。
「いやいやいや、それは流石に……すみません、せめて叔父様で、お願いします」
思いもよらぬ展開を見せたその後、三人は和気あいあいと食事を囲んだ。
その終わりしなに本格的な調査は三日後からと告げられたのだが、次の日、新たな喧騒が舞い込んできた。
ちなみに部屋に戻ると、食事に呼ばれなかったギンタがむくれていた。
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