閉ざされた過去と真実(1)

「……えっと、お母さん、何言って——うっ……」


 お母さんがたった今言ったことの意味が分からなくて——その意味を理解する前に、頭を殴られたような激しい痛みに襲われた。

 痛みに耐えきれなくて床に膝をついた私の頭の中に、ある光景が浮かんできた——。




 私は知らないはずの、でもどこか懐かしい気もする家にいた。リビングの床に座り、積み木で遊んでいる。そのとき、私より少しだけ大きな男の子がやって来た。


『ゆずちゃん、あそぼー!』


『いいよー』


 三、四歳くらいだろうか。さらさらした黒い髪とくりっとした丸い目が印象的だったその男の子と、私はよく一緒に遊んでいた。

 私とその子は公園のドーム型の遊具に隠れるのが好きで、その日も近所の公園に遊びに行った私たちは、二人きりで中に座っていた。


『二人とも、こんなところにいた。もう帰るよー』


 遊具の外から、今よりもだいぶ若いお母さんが顔を覗かせた。

 私たちは顔を見合わせて、見つかっちゃったと笑う。


『あのね』


 男の子は私の耳に顔を寄せた。


『なあに?』


『ぼく、ゆずちゃんのこと、だーいすき!』


 私も男の子の耳にそっと近づく。


『わたしもだーいすきだよ、“ゆーくん” ——!』




「――ず、柚子!」


「――っ!」


 はっと気づくとお母さんが私のすぐ側に膝をついていて、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 しかし、たった今蘇った光景が脳裏に焼き付いて離れなくて、私にはとてもお母さんに大丈夫と返す余裕はなかった。


「ゆー、くん……?」


 あれは、私の昔の思い出?

 たった今思い出した『ゆーくん』と、会社で出会って恋人になった優くん。

 この二人が同一人物だっていうの——?


「嘘でしょ……!?」


 俄かには受け入れられない話だった。頭が受け入れることを拒んでいた。


「……私たちは柚子が三歳になる前に離婚して、私は柚子を連れて実家があるこの街に帰ってきた。それから今のお父さんに出会って、再婚したの。あの人にはもう会うこともないと思っていたから、優のことも話さないでおこうと思ってたんだけど……」


 お母さんの声が掠れる。


「まさか、こんなことになるなんて……こんなことになるなら、話しておけばよかった……」


「お母さん……」


 お母さんは私を抱き締め、何度もごめんねと繰り返した。お母さんのその涙が滲んだ声を、私はただ呆然として聞いていた。


(私には兄弟がいたの? そんな大事なことを覚えていないってこと、ある?)


 何で今まで忘れていたんだろう。

 何で覚えていなかったんだろう。

 何で再会したときに、思い出せなかったんだろう——。


 そのとき、優くんの笑顔が——私の大好きな優くんの笑顔が頭に浮かんだ。

 そこにはあの『ゆーくん』の面影があるように感じられて——。

 今しがたお母さんに告げられたことは、決して嘘でも作り話でもないことを私はようやく悟った。


「っ、うう……」


 嗚咽を漏らさずにはいられなかった。

 これが真実だということはつまり——私と優くんは、結ばれてはいけないということ。

 どんなに愛し合っていたとしても、最初から結婚なんてできなかったということだ。

 ……そんなこと、到底受け入れられるはずがなかった。

 胸が痛くて痛くて、頭の中がぐちゃぐちゃで、涙だけがどうしようもなく溢れてきて止まらない。

 お母さんはしばらく私の背中をさすってくれた後、そっと私から身体を離した。


「……ちょっと、あの人と話してくるね」


 それだけ言うと、お母さんは自分のスマホを持ってダイニングを出ていった。

 お母さんが『あの人』と呼ぶのは多分、前の旦那さんだけだ。

 ということは、私の実のお父さん……?

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