閉ざされた過去と真実(2)

 八月十三日の夜、俺は自分の部屋のベッドに寝転んでいた。

 お盆だからとりあえず実家に帰ってきたものの、やることがなさすぎる。

 俺の部屋は、大学進学を機にこの家を出たときと全然変わっていない。父さんも時々掃除してくれているらしいけれど、それ以外は何もしていないみたいだ。

 中学、高校時代に集めた本や漫画も残っているが、それらを読む気にも何となくなれずぼーっとしていると、スマホから着信音が鳴った。

 主に知人とのやり取りで使っているメッセージアプリを開くと、柚子からメッセージが来ていた。


『優くんのお父さんって、何ていう名前?』


 唐突な質問に戸惑いつつ、メッセージが来たことがうれしくてすぐ返信した。


『康太だけど、どうかした?』


 俺が送信したメッセージにすぐ既読が付き——しかし返信はなかなか来なかった。


(何かあったのか?)


 少し気になったけれど、待っていたらそのうち返ってくるだろう。

 そう思ってスマホを横に置いた。

 再び何をするでもなくただごろごろしていると、少しずつ眠気がやって来た。今日は長時間移動したので、その疲れが出てきたのだろう。

 もう風呂には入っているし、このまま眠っちゃってもいいかな……。

 そう思いながらうとうとしていたときだった。

 コンコン、と控えめに部屋のドアがノックされる音がして、俺の意識は引き戻された。


「優、ちょっといいか?」


「父さん?」


 俺は起き上がってドアを開けに行った。眠気はどこかに飛んで行ってしまった。

 部屋の外に立っていた父さんは、なぜか不安そうな顔をしていて、顔色も少し悪そうだった。


「どうしたの?」


 父さんは重そうに口火を切った。


「優、正直に答えてくれ」


「何?」


 父さんの口調からただ事ではない何かを感じた気がした。でもその正体は分からない。


「お前が今付き合っている女性ひとは、佐藤柚子さんというのか……?」


 父さんの口から柚子の名前が出てきた。

 そのことに俺は戸惑いを隠せなかった。

 父さんは柚子の存在なんて知らないはずだ。会社の同僚の話なんてほとんどすることがないから。まして彼女と付き合っていることなんて、一言も喋っていないのに。


「え、そうだけど、何で知ってんの——」


「ありがとう、ちょっと待っててくれ」


 それだけ言うと父さんは足早に部屋を出ていった。その手にはスマホが握られていて、ちらりと見えた画面から察するに誰かと通話中のようだった。

 焦ったようにバタンと閉じられたドアの向こうから父さんのくぐもった声が聞こえてきたが、何を話しているかはよく分からない。

 俺は訳が分からなくて、とりあえずベッドに腰かけた。

 何で父さんは急にあんな話を?

 考えても答えが分かるわけもなく、それでも一人で考え込んでいると、再びガチャっという音がしてドアが開けられた。


「優……」


 さっきよりも明らかに動揺した父さんの様子に不安を覚える。


「何だったの?」


「……落ち着いて、聞いてくれ」


「? ああ……」


 父さんは一瞬躊躇した後、意を決したように口を開いて——


「佐藤柚子さんは、お前の実の妹だ……」


 ——は?

 何言ってんだよ、と言おうとした声は掠れてしまって、うまく発音できなかった。

 急速に喉がカラカラに渇いていく。

 そんなわけない。人違いだろ。

 様々な言葉が頭を駆け巡っていく。


「……冗談、だよな? さすがに趣味悪いだろ——」


「冗談なんかじゃない」


 俺の必死な抵抗は父さんの声に遮られた。その声には父さんの動揺が滲み出ていて——分かってしまった。

 父さんは、こんな冗談を言うような人ではない。

 そんなことは、俺が一番よく知っていたはずなのに。

 真夏だというのに、手足がすっと冷たくなるのを感じた。


「俺の妻……だった人は、お前が三歳だったときに俺と離婚して、柚子を連れてこの家を出て行った。実家に戻ってから再婚したと聞いている。成長したお前は妹がいたことを覚えていないみたいだったから、話さなかった。あの子のことを知ってしまえば、きっと寂しがるだろうと思って……」


 だけど——と父さんはゆっくりと息を吐き出す。


「まさか、こうして出会ってしまうなんて……」


 こうなると分かっていれば、最初から話していたのに。

 溜息と共に吐き出されたその言葉は、今の俺には残酷すぎた。


「何でだよっ! 何で、柚子が……!」


 そんなこと、認めたくない。認めてたまるか。

 だって、そんな偶然、普通あり得ない。

 胸の中で行き場のない感情が暴れ出して、自分でも手が付けられない。

 こんなこと、父さんに言っても仕方ないのに。今さら父さんを責めてもどうにもならないのに。

 それでもぶつけずにはいられなかった。


「何で、言ってくれなかったんだよ……」


 どうしようもなくて、声がしぼんでいって、目の奥が熱くなった。


「ごめん……」


 俯いた俺の頭上に、悲痛な声が落とされた。


「……一人に、してくれ」


「……」


 遠ざかる足音。ドアが開いて、再び閉まる音。

 一人になった部屋で静けさに包まれたが、ぐるぐると渦巻く心の中が収まるわけもなく。


「ふざけんなよ……」


 部屋の壁を力なく叩いた。

 さっきまで堪えていたものが、勝手に目から零れ落ちていった。


 俺たちが一体、何をしたっていうんだ。

 どうして運命はこう、残酷なんだ——。


 もう何も考えたくなくて、俺はベッドに倒れ込んだ。

 柚子からの返信が来ることはなかった。

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