もう一度……(1)
『優くんったら、休みだからっていつまで寝てるの?』
『優くん、観覧車乗ろ!』
『優くん、大好きだよ——』
「――っ!」
気がつくと俺は自分の部屋にいて、机に突っ伏していた。
顔を上げるとビールの空き缶が三本目に入った。そのうち一本は倒れて転がっていた。自分の格好を見ると、スーツのズボンにワイシャツのまま。
どうやら昨日は帰宅してから三本も飲んで、そのまま眠ってしまったらしい。
(何やってんだ、俺)
そこで自分の頬が温かいもので濡れていることに気づく。
柚子と付き合っていた頃の夢を見た。やけにリアルで、残像となった今でも容赦なく胸を締め付けてきて、俺は嗚咽を漏らした。
柚子の俺への気持ちが消えてしまった今、幸せだった頃の思い出はただただつらいものになってしまっていた。
「……シャワー、浴びなきゃ」
止まろうとしない涙をシャワーで無理やり流し、出社の準備をした。
その日、柚子は会社に来なかった。
「今日、佐藤休みなんですか」
課長に書類を提出したついでにそう尋ねてみた。
「ああ、昨日から頭痛がひどいらしくてね。今日は休みたいと連絡が来た」
「そうですか……」
やっぱり昨日のあれが原因なのだろうか、と自分の席に戻って考えた。
好きな人に好きな人がいると分かった一昨年ですらあんなに泣いていたんだ。ましてや好きな人が結婚していたなんて、いったいどれ程悲しいことなのか。きっと、俺が想像する以上に柚子はつらい思いをしている。
(でも、俺が柚子を傷つけてしまった)
俺がぐずぐずして事実をちゃんと伝えなかったから。
昨日の彼女の苦しそうな顔が脳裏に浮かんで、心臓をぎゅっと掴まれたような感覚に襲われた。
「ちゃんと、謝らないとな……」
「鷹尾さん?」
はっと隣を見ると、立川が俺の方をじっと見ていた。考えていたことが勝手に声に出てしまっていたようだ。慌てて否定する。
「いや、なんでもない」
「それならいいんですけど。そういえば昨日の佐藤さん、様子が変でしたよね。今日も休みみたいですし。何か知ってます?」
急に尋ねられ、図星を突かれたような気がした。
「あー、いや、特に聞いてないな……ほら、手が止まってるぞ。仕事に戻れ」
さすがに立川に事情を話すわけにはいかなくて、無理やり会話を終わらせた。
デスク上のパソコンに向かい合って、そして決心した。
今日、仕事が終わったら柚子の家に行って、ちゃんと謝る。柚子がもし俺を拒んでも、話を聞いてもらえるまでは粘る。
柚子のことを支えて、また笑顔にするのは俺だ。俺であってほしい。
そう願いながら、俺はいつもより仕事のスピードを上げた。
なんとか七時には仕事を片付け、電車に乗って柚子の家の最寄り駅に向かった。
この駅の改札を出たところには、柚子のお気に入りのケーキ屋がある。俺はそこで苺のタルトを買った。
柚子がショートケーキよりもフルーツがたくさん乗ったタルトを好んで食べることを、俺は彼女と付き合い始めてから知った。それ以来、誕生日や記念日のケーキにはよくフルーツタルトを買うことにしていた。
駅から十分弱歩くと柚子のマンションに辿り着く。近くには草木の生えた公園があるが、この時間なので誰もいなかった。
エントランスで柚子の部屋番号を押すと、少し間が空いてから声が聞こえた。
『……はい』
「あの、鷹尾です——」
『ごめん、今は誰とも会いたくない』
悲しそうな声がスピーカーから零れてきて、一瞬言葉に詰まる。
しかし、ここで引き下がってしまえば何も変わらない。
「ちょっとだけ、話をさせてくれない? ……謝りたいんだ、昨日のこと」
柚子はしばらくの間逡巡して——分かった、と小さく呟いた。
『私の部屋、四〇三だから』
知ってる、と心の中で呟いて、鍵が開けられたエントランスの内側の扉を押した。
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