二人の未来(2)
六月のある日曜日、柚子が友達の結婚式に参加してきた。
高校のとき同じクラスで、部活も同じ吹奏楽部だったので、社会人になった今でも時々連絡を取り合う程仲が良かったらしい。
さすがに披露宴や二次会の後で疲れているところに会いに行くのは申し訳ないので、夜に少しだけ電話をした。
「――おかえり。楽しかった?」
『うん、楽しかったよ! 明日美の花嫁姿が見られたし、久しぶりにみんなに会えたし』
明日美さんというのがその友達の名前だ。
「そっか。それはよかった」
『……やっぱり結婚っていいね。あの子、すっごく幸せそうだった』
柚子がどことなくしみじみと呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
「羨ましい?」
『まあね、私も女の子だし。……もう女の子って年じゃないだろ、とか言わないでよ?』
お前は俺を何だと思ってるんだ。
「分かってるよ。その……」
『ん? なあに?』
「俺にとってお前は……いつになってもかわいい女の子だよ」
ちょっと柚子を照れさせてからかうつもりだったのに、自分まで恥ずかしくなってしまった。無駄に体温が上がったような気がして、Tシャツの襟元をパタパタさせて籠った熱を逃がそうとしてみる。
『……もう、急にそういうこと言わないでよね! びっくりするから!』
「そういうことって?」
『もういい! お風呂入って寝る!』
「おう、ゆっくり休めよ。また明日な」
『うん、また明日。おやすみなさい』
電話を切って部屋に静寂が戻ってから、俺は考えた。
『……やっぱり結婚っていいね。あの子、すっごく幸せそうだった』
柚子は友達の結婚を機に、俺との結婚も少しは意識してくれたのかな。
俺は、期待していいのかな……?
気づけば俺ももう二十八歳だ。そして柚子も今年で二十七歳になる。そう考えるとあまり時間が残されていないような気がする。
「そろそろ真面目に考えなきゃだよなあ」
壁に向かって呟いてみたが、返事が返ってくるわけがなかった。
「鷹尾さんって、佐藤さんと付き合ってるんですか?」
柚子と電話をした数日後の昼休みのことだった。
社食で後輩の立川と昼食をとっている最中にそう尋ねられ、俺は危うく飲んでいた水を吹き出しそうになった。
「んっ、げほげほっ!」
普通に飲み込むのに失敗した水は肺に入り込んできて、俺を激しく咳き込ませた。
「ちょっと、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……何でそんなこと訊くんだ?」
立川の質問は完全に不意打ちだったが、後輩の前ということでどうにか平静を装った。
「だってお二人、すごく仲が良いじゃないですか。よく二人で飲みに行かれてるみたいですし」
「それは、『仲の良い友達』だからだ。それだけの話」
付き合っていることはまだ内緒にしておこうと、改めて交際を始めたときに二人で決めていた。結婚すると決まれば話は別だが、それまでは例え一番親しい後輩にだってうっかり喋るわけにはいかない。
「本当ですか?」
「本当だよ」
澄ました顔で答えると、立川は盛大に溜息をついた。
「なーんだ。何もないんですか。ちょっとつまらないですね」
「おい、人の恋愛事情を面白がるなよ」
「だって、楽しいじゃないですか。それなのに、うちの課どころか営業部全体ですら、最近浮いた話が全然ないんですよ」
こいつに知られたら絶対すぐ話が広まるだろうな、となぜか直感的に分かった。きっとこいつはそういう噂話が好きなタイプだ。
立川にだけはばれないように用心しよう。後で柚子にも言っておかないと。
「それはまあ……そのうちあるんじゃないか」
「そうなんですかね」
「そんなもんだろ」
ちょうど食べ終わったタイミングで会話を終わらせることに成功した。これ以上余計な詮索をされたらたまったもんじゃない。
ちなみに今日の俺の昼食はカツ丼、立川はアジフライ定食だ。
「何か聞いたら教えてくださいね?」
「はいはい、分かったから、仕事に戻るぞ」
食器を返しに行こうと席を立ったところ、少し離れた席に柚子が座っていた。営業部あたりにいそうな友達の女性と向かい合って、楽しそうに喋っている。
と思ったら、柚子が俺の存在に気づいたので目が合ってしまった。
立川の手前、ここで手を振られでもしたらまた疑われてしまいそうだ。
柚子には申し訳ないが、俺は彼女に気づかなかったふりをして足早に食堂を出た。
案の定、帰りの柚子の機嫌は少し悪かった。
「あの、柚子さん……ごめんって」
「別に怒ってない」
電車のつり革につかまり頬を膨らませる柚子。
「怒ってるじゃん」
「怒ってない!」
とうとうぷいっと顔を背けてしまった。
そんな仕草の一つ一つさえ愛おしいと思ってしまうのだから、俺はきっとどうしようもないやつだ。
「今日は俺がご飯作るから、許してくれない?」
柚子の好きな物作るから……と頼み込むと、
「……オムライス。卵ふわふわなやつで」
柚子は向こうを向いたままちゃっかりリクエストしてきた。とりあえずほっとする。
電車を降りて歩き出してから、足りないものをスーパーで買いたいと俺が言うと、柚子は黙って頷いた。まだ少しご機嫌斜めみたいだ。
「今日の昼休み、立川と食べてたんだけどさ。あいつ、俺たちが付き合ってるんじゃないかって疑ってたんだ。でも、あいつ口軽そうだから知られたくなくて。だからあのときも、ばれないようにするために気づいてないふりしちゃってさ」
電車の中ではどうしても言いづらかったことを、二人きりになってから正直に話した。
「だけど、それで柚子に寂しい思いさせちゃったら意味ないよな。ごめん」
「……どうせ優くんのことだから、そんなことだろうとは思ってたよ」
そう言われると同時に、左手に細い指が絡められる感触。
「えっ?」
「ちゃんと秘密を守ってくれてるのは分かってる。私のこと大事にしてくれてるのも。でも、あのときはなんか悲しくなっちゃって……私ってまだまだ子供だなって思った」
「柚子……」
俺より少し小さい手を握り返すと、俺の大好きな温もりが伝わってくる。
「悲しくなったのは、それだけ俺のことが……す、好き、ってことだろ? 俺がお前の立場だったとしても多分同じように感じてた。だから、今回は俺が悪いんだってことにして?」
空いた方の手で柚子の頭をそっと撫でた。
「ごめんな。次からは気をつけるから」
「ん、ありがと」
「結婚するってなったらさすがに言わないわけにもいかないから、覚悟しとけよ。そうなったらもう、周りに気なんか遣わないから」
「……程々にしてよね」
さりげなく『結婚』と言ってみたけれど、否定はされなかった。やっぱり期待してもいいのか……?
何はともあれ、柚子の表情がさっきより柔らかくなったので安心した。
「じゃあ、今日はラーメンでも食べに行きますかー」
「え、オムライスは? 作ってくれるんじゃないの?」
途端に柚子が詰め寄ってきて、俺は言葉に詰まった。
ちょっと真面目な話をしたから忘れてくれたと思ったのに。
「優くんのことだから、作るの面倒くさいなーとか思ってたんでしょ」
「うっ……」
図星を突かれてもはや返す言葉がない。
「やっぱり作ってくれるまで許さないんだから!」
「ええー!?」
二人きりの帰り道、思わず情けない声で叫んだ俺を見て、柚子はおかしそうに笑うのだった。
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