十二 密室の真相(2)

 いつもと変わらぬ、静寂だけが支配する広い食卓……。


 だが、他の家族達の朝食はすでに終わっており、僕ら以外、この場には他に誰もいないので、それはいつものように重く陰鬱なものではなく、どこか軽く、むしろ心地よい静けさである。


 その場の空気というものは景観ロケーション以上に、そこに存在する人間によって左右されるものだということを改めて認識させられる。


「先生、御林さん。このようなものしかなくてすみません」


 ただ一人、家族の中でも桜子さんだけはまだ炊事場に残っており、せっせと僕らの給仕をしてくれた。


 彼女だけならば、この場の空気はけして陰鬱なものなどではなく、その真逆に明るくなったようにさえ感じられる。


「妹が亡くなり、母もあんなですから、奥向きのことをするのもわたくしと藤巻さんしかおりませんもので。それに、ここのところ霧のせいで買出しにも行けないので食材も少なくなってしまいました。せめて、お味噌汁でもご用意できればよかったのですけれど……」


 その桜子さんが、お茶を茶碗に注ぎながら、とても申し訳なさそうな顔で僕らに謝る。


 このテーブルの上にある、おにぎりと沢庵だけの質素な食事のことを彼女は言っているのだろう。


 ……そうか。そういえば現在、この大きなお屋敷には家政婦やコックのような使用人はおらず、食事の支度は花小路家の女性陣が自ら行っていたのだ。


 その女性陣も今では彩華夫人と桜子さんの二人だけである。さらにその彩華夫人も梨花子さんの死がかなりのショックだったらしく、いまだに部屋で臥せったきり、その姿を見せてはいない。藤巻執事に手伝ってもらったとしても、桜子さん一人ではなかなか大変であろう。


「いえ、そんなことはぜんぜん…」


 と、僕が手を振って答えようとしたその時である。


「味噌汁……ああ! なるほど。その手がありましたか!」


 突然、先生が頓狂な声を上げた。


 先生の生態を鑑みるに、どうやら今その瞬間、何か事件に関する重要なことに気づいたようなのだが、何が〝なるほど〟なのか、僕にはさっぱりわからない。


 それは、先生をまだよく知らない桜子さんならばなおさらであろう。その突然発せられた奇声に、ポカンとした顔で手の動きを止めている。


「いきなり、何が、なるほどなんですか?」


 わけのわからぬ先生に、僕は少々不満気味な言い方をして尋ねる。


「え? ……ああ、まあ、それはまた後ほどお話いたします。それよりも、私はやっと緑茶を飲むことができて、今、とても満足しています」


 だが、怪訝な顔をする桜子さんに先生は微笑みかけると、また事件とはまったく関係ないことを言ってお茶を濁すばかりであった――。




「――藤巻さん、いらっしゃいますか?」


 僕を不完全燃焼にしたまま遅い朝食を終えると、先生は僕を連れて、応接間のとなりにある藤巻執事の仕事部屋を訪れた。


「はい。なんでございましょうか?」


 留守ではなかったようで、ノックをするとすぐに藤巻執事が顔を出す。


「あの、また一つお訊きしたいことができまして……梨花子さんに水差しを届けた時のことなんですけどね」


「あ、あの前にも申しました通り、私は別に何も……」


 その唐突な質問に、自分がまた疑われたとでも思ったのか、執事はやや動揺の色を見せたが、そんなことは気にせずに先生は質問を続ける。


「ええ。それは私も前に申しました通りわかっていますので。そうではなくてですね、あの水差しは梨花子さん専用のものだったんでしょうか?」


「え? ……ああ、いえ違います。あれは幾つかあるものの中の一つでして、別に個人専用のものでは……」


 執事は一瞬、なんのことを訊かれているか戸惑っている感じだったが、すぐに理解して明快に答えた。


「そうですか。では少し難しくなりますね……私の考え、外れましたかね」


 その答えを聞いて、先生はなんだか当てが外れたような顔をする。しかし、それでも気を取り直すと再度、執事に尋ねてみる。


「では、なぜあの水差しを選ばれたんでしょう? 他にも水差しが幾つかある中でなぜあの水差しを。何か、あの時あれを選ばれた理由のようなものはあったんでしょうか?」


「はあ、そう言われましても特にどうという理由は……無意識で選んだことでしょうから……あ! いや、違います。そうだ! 思い出しました!」


 先生のおかしな質問に、初めは困惑した様子の執事ではあったが、急に何かを思い出したらしく、突然、大きな声を上げる。


「いえ、特にどうということはないのですが、あの時、あの水差しが厨房に出してあったのです。どなたかがお使いになって、洗った後にそのまま仕舞い忘れになったのでしょうか? よくは憶えておりませんが、おそらくはそれでちょうどよいと思い、あれを使おうと思ったのではないかと…」


「それだ!」


 と、今度は先生の方が声を上げた。


「そうですかあ。そういうことだったんですねぇ……」


 そして、なんだかいたく納得したらしく、また、しきりにうんうんと頷いている。


 だが、僕には何がそれなんだか今度もまるで理解ができない。同じく前方を覗えば、藤巻執事も何がなんだかわからぬといった顔で呆けている。


 そこで。


「先生、いったいどうしたんですか? 何かわかったことでも?」


 と堪らず尋ねてみると……。


「御林君、梨花子さんの水差しに青酸カリを入れたトリックがやっとわかりましたよ」


と、さらっと簡単にそう答えた。


「えええっ!? ほ、ほんとですか!?」


 当然、僕も驚きの声を上げる。


「い、いったい、それはどういう!?」


「まあ、それはおいおい。それよりも、残るはあの密室の謎だけです。行きましょう、不開あかずの間へ。やはり、すべての鍵はあの不開あかずの間にあります」


 だが、先生は僕以上に状況が把握できていない執事もそのままにして、くるりと踵を返すとすたすたと歩いて行ってしまう。


「あ、ああ、あの、ちょっと先生! ああ、もう……」


 またしても重要なところを聞きそびれた僕は、仕方なく、そんな先生の後を慌てて追いかけた――。

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