三 花小路家の人々(2)
「フゥ……あ、では、ご紹介の続きをいたします。こちらは母の花小路彩華さんです」
なんとか当主の了解を得られ、安堵の溜息を吐いた柾樹青年はようやくにして家族の紹介を再び始める。
長机の長軸側正面奥に座る花小路幹雄氏を中心に、向かって左側の席には奥から中年の婦人、桜子さん、桜子さんより何歳か年下と思われる少女、柾樹青年の順に座り、反対の右側にはなぜか一つだけ席を空けて、左側の婦人と同じ年齢くらいの女性、柾樹青年より幾分か若い少年、そして、秋津先生と僕の順でテーブルについている。
その中で柾樹青年は幹雄氏の次に、左側の端に座る中年女性のことを「母」と言って紹介した。だが、自分の母親に〝さん〟付けをして呼んだのがまた、どこかちぐはぐな違和感を僕らに与えている。
「あら、正直に
赤いドレスと化粧で美しく取り繕ってはいるが、その全身からふてぶてしさの滲み出る少し太り気味の中年女性は、いかにも嫌味ったらしい口調で彼にそう言った。
「お母様!」
そんな母を桜子さんが嗜める。
「だって本当のことじゃない。こういうことはちゃんとお話しておいた方がよろしいんじゃなくて? 探偵の先生、じつはこの柾樹さん、あたくしが自分のお腹を痛めて生んだ子ではありませんのよ。うちの亭主が以前、ここで働いていた女中の一人に生ませた子なんですの。前はどこか他所で暮らしていたんですが、一月前くらいからこちらに引き取って、まるで家族のように過ごしておりますの」
「こら! よさんかみっともない。柾樹は花小路の血を引く唯一の男子じゃ。わしが跡取りとしてここへ呼んだことに文句は言わさんぞ!」
露骨な悪意を込めて家庭の事情を説明する彩華婦人を、その事情を作った張本人である幹雄氏がバツの悪るそうな様子で一喝した。
そんな夫婦の醜態を、柾樹青年は悲しいような、困ったような顔で黙って見つめている。
なるほど……それで得心がいった。初めに話した時から当主の息子にしてはなんだかおかしな言動をしているなあとは思っていたのだが、それはそういうことだったのだ。この柾樹という青年が花小路家の一員としてここにいるのには、どうやらいろいろと複雑な事情があるらしい。
となりを覗うと、先生もほうほう…と首を縦に振りながら、合点がいったというような顔で柾樹青年の方を眺めている。
………しかし、となると、桜子さんと柾樹さんは腹違いの姉弟ということか……なんでだろう? そんな二人の間柄に、なぜか羨ましいような、嫉妬するような感情が僕の中に芽生えている。
ふと気がつけば、自分でもよくわからない、なんとも複雑な心境で、僕は怒りに頬を染める彼女の横顔をぼんやりと見つめていた。
「……ま、兄の死をよく探偵の先生に調べてもらうとよろしいわ。ご自分にご都合の悪いことが出てくるかもしれませんけれどね」
一方、主人に叱られた彩華婦人は、やはり嫌味ったらしく、ちょっと意味深な発言をすると、それでも一応は口を閉じる。
「えっと……桜子姉さんはもう紹介がすんでましたね。そのとなりが、僕の妹にあたる花小路梨花子です」
柾樹はそんな継母の言葉に何か言うこともなく、気を取り直すと家族の紹介をまた再開する。
次に紹介したのは桜子のとなりに座る、彼女のピンクと対をなすように鮮やかな山吹色のワンピースを着た高校生ぐらいの少女である。
「フン! わたくしはあなたのことを兄だなんて思っておりませんけどね」
だが、少女はツンとした態度で厳しい言葉を投げ返す。どうやら彼女も柾樹青年に対して好印象は持っていないようだ。
「梨花子!」
そんな見苦しい身内の不和を隠そうともしない家族を、またしても桜子さんが嗜めた。
対して柾樹青年は今度も悲しいような困ったような、そして、どこか淋しいような顔で腹違いの妹のことをじっと見つめ、それでも健気に家族の紹介をなおも続ける。
「……次に、そちらにいるのが死んだ叔父の妻、つまり僕の叔母にあたる本木咲子さんです」
今度は僕らの座っている側の、一番奥を一つ空けて次の席に座る女性である。
継母の彩華とは対照的に、やや痩せすぎの、その分、若干実年齢よりは老けて見えていそうな風貌の女性だ。彼女は紹介の声に蒼白な顔を下に向け、なぜか、わなわなとその身を震わせている。
この人が亡くなったという叔父・茂さんの奥さんか……ああ、そうか。となりの席が空いているのは、その旦那さんが生前使っていた席だからなのか。
一つだけ奇妙にぽっかりと空いた食卓の席……だが、それは奇妙でもなんでもなく、むしろ至極当然の理由であったことを悟り、僕は独り密かに納得した。
「……何が主人の死の真相を調べてもらうよ……あなたが、あなたが主人を殺したに決まってるわ!」
突然、蒼い顔で震えていた叔母・咲子夫人が、柾樹青年の方を睨んで大声を上げた。その唐突な問題発言に、先生と僕は反射的に彼女の横顔を見上げる。
「叔母様…」
柾樹青年が何か言おうとするが、その余裕も咲子夫人は与えない。
「主人はあなたが花小路家を継ぐことに反対していたわ。だから、あなたは逆恨みして主人を殺したんでしょ!? この花小路の財産を独り占めにするために!」
咲子夫人はさらに激昂し、早口に柾樹青年をまくし立てる。その狂気の表情に圧倒され、彼は目を見開いたまま何も言い返すことができないでいる。
「母さん! 滅多なこと言うもんじゃないよ。柾樹さんがそんなことするはずないじゃないか」
その激情にかられる咲子夫人を嗜めたのは、その右どなりに座る少年さった。少年といっても、僕と同い年くらいである。
「薫、お前は黙ってなさい! 所詮は卑しい女の血を引く子供。その正直
しかし、少年の諫言にも興奮した咲子夫人の口は止まらない。それどころか、むしろその物言いはますます激しさを増してゆく。
「叔母様!」
見かねた桜子さんが、再び口を挟もうとした時。
「ま、〝何を考えてるかわからない〟ということでは、他人のこと言えないでしょうけどね。花小路の財産を狙ってるのはあなた達だって同じじゃなくって?」
一瞬早く、咲子夫人の口を封じたのは彩華夫人だった。
「お
夫の姉だから、彼女にとって彩華は義理の姉にあたる。その人物に何か含みを持った口調でそう言われ、咲子夫人は一気に声のトーンを下げると、それでも動揺を隠しながら反論する。
「あら、それほど的外れなことは言ってないと思いますけど? 柾樹さんが兄さんを恨んでいたと思うのは、自分達にも何か後ろめたいことがおありだからじゃなくって?」
図星であったという顔の咲子夫人を彩華夫人はフンと鼻で笑い、蔑むような眼差しを投げかけてさらに続ける。
「そ、そんな……い、いくらお
彩華夫人の歯に衣着せぬ言に、咲子夫人の興奮に再び火が灯る。
この家庭内の争いは、当主が女中に生ませた子で花小路家の跡取りである柾樹青年と、それを快く思わない家族という単純な構図かと思っていたが、彩華夫人とその義理の妹である咲子夫人の間でも、こっちはこっちでいろいろとあるらしい。
そして、その腹を突き合うような言動からは、茂氏の死が誰か家族の者の仕業ではないかとお互いに疑い合い、加えて、各々が密かに抱いていた負の感情までをも噴出させるそれぞれの心の内が容易に見て取れる。先程、桜子さんが〝お互い疑心暗鬼になってる〟云々と言っていたのは、つまりこういうことだったのだ。
「なんですって! あなた、言っていいことと悪いことがありましてよ!」
咲子夫人の発言に対し、彩華夫人の怒りにも火が付く。
「もう、いい加減にしてください! お客様の前ではしたないとは思いませんの!?」
これ以上、家族の言い争いが激化するのを止めるためか? それとも、このあまりにも見苦しい状況にとうとう耐えかねたのか? 桜子さんがこれまで以上に大きな声で怒りに我を忘れているよい大人二人を一喝した。今までの可憐な彼女の印象とはまるで違った、非常に激しい口調である。
「くっ……」
「…………」
桜子さんに叱られた二人は、不意に我に返って押し黙る。
「あ、ああ…えっと……最後に、こちらが叔父の息子で、僕の従兄弟にあたる本木薫君です」
気まずい静寂を取り戻した食卓で、柾樹青年がその場を取り繕うかのように最後の一人を僕らに紹介する。
「はじめまして、本木薫です。よろしくおねがいします」
僕らの横に座るその少年は、ばつが悪そうに苦笑いを浮かべながら頭を下げた。
先程、咲子夫人――つまり自分の母親を嗜めた少年である。その母と比べると、ずいぶんおとなしく。理性的な人物だ。
「いやあどうも、こちらこそよろしくおねがいします」
薫少年の挨拶に、先生はこの場の空気をまるで読んでいないかのようなのんびりとした声でそう答える。対して僕は黙ったまま、なんとか頭を下げるのが精一杯である。
「さ、皆さんのご紹介も終わったことだし、お食事にいたしましょう。せっかくのお料理が冷めてしまいますわ」
柾樹青年の家族紹介が終わると、桜子さんがとって付けたように声をかける。その声によって、気まずい静寂に包まれた食卓にカチャカチャとナイフやフォークが皿に当たる微かな喧騒が生まれ、人々はようやくに昼食を摂り始めた。
この桜子さんという人間が、バラバラになりかけた家族達をなんとか繋ぎ止めている……そんな印象を、僕は健気な彼女の姿から感じ取っていた。
にしても、とんでもないところへ来ちゃったもんだなあ……。
こうした上流階級の家になるとどこもそんなものなのかもしれないが、その家族関係というのはどこか歪であり、どこぞの韓流ドラマか昼ドラ顔負けのどろどろ加減である。あっちもこっちもいがみ合いばかりで、こうして静かに食事をしている間ですら、お互いの持っている嫉妬や嫌悪といったマイナス感情がひしひしと伝わってくる。
「いやあ、さすがは花小路家のお昼ご飯、とっても豪華絢爛ですねえ」
だが、そんな居心地の悪い雰囲気の中にあっても、まるで高級レストランのランチメニューが如き昼食を前に先生だけは存分に満喫している様子である。
一方、となりに座る僕の方はというと、このなんとも重苦しいその場の空気に、とてもじゃないが料理を味わうような余裕を持つことはできなかった……。
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