十三 終焉の朝(3)
「参りましたわ、秋津先生。わたくしの負けですわね。はい。おっしゃられる通り、わたくしがあの4人を殺害いたしました」
「なぜ……なぜなんです? 姉さん!?」
柾樹青年が、悲壮な表情で桜子さんを問い質す。
「それは先程、秋津先生がおっしゃられた通りよ。わたくしはあなたを守るためにあの人達を殺めたの。そうするしかなかったのよ。わたくしが小さい頃、あなたのお母様の菊枝さんは、わたくしにとってもよくしてくださいましたわ。それなのにお母様は…それにお父様まで。柾樹さんという自分の子供を宿させておいて、あの人を捨てるようにこの家から追い出して……そして、今度もお父様のご都合で柾樹さんをこの家に呼んだかと思ったら、お母様や梨花子、叔父様、叔母様達は、自分の欲や意地のために柾樹さんに辛く当たり、挙句の果てには命まで奪おうとして……わたくしはただ、あなたを守りたかったのよ。あなたやあなたのお母様は、これまでそれは不幸な人生を歩んでこられたわ。だから今度こそ、あなたには本当に幸せになってほしかったのよ!」
4人を殺害した動機が自分にあるとする桜子さんの話に、柾樹青年は唖然と目を見開いて嘆くように呟く。
「……でも、だからって、薫君まで……」
「そうね。薫さんには本当に悪いことをしたと思っているわ。あの子もかわいそうな人だったから……でも、わたくしはまだ警察に捕まるわけにはいかなかったの。あなたを幸せにするためにわたくしにできることといったら、あなたをこの花小路家の跡取りとして、すべての財産を継がせてさしあげることしかない……でも、これからもまた叔父様達のように、それを邪魔しようとする者が出てくるかもしれない。だから、あなたが立派に花小路家の当主となるまで、もう少し、わたくしはあなたを見守っていなければならなかったの」
「どうして……どうして、そこまでしてくれるんです? どうしてあなたは、そんなにも僕に優しくしてくださるんですか!? 他の人達はみんな……みんな、僕に冷たく接していたというのに。それは僕が父親だけとはいえ、血の繋がったあなたの弟だからですか? でも、そうだとしたって……」
柾樹青年が、必死の表情で桜子さんに詰め寄る。
……ダメだ。 ダメだっ! そんなことを訊いては!
その答えを求める彼の言葉に、僕は心の中で密かに叫ぶ。
いつからなのだろうか? 僕は、なんとなくその理由に気づいていたのだ……それは、誰も知らない方がいいことなんだ……。
……いや、本当はそうではなかったんだな。だからこそ柾樹青年……いや、花小路柾樹はそれを知らなければならなかったんだ……それはただ、僕が桜子さん本人の口から聞きたくないだけのことなのかも知れない。
「ふぅ……」
桜子さんは何かを決心するように軽く溜息を吐くと、なんともいえない穏やかな微笑みを浮かべて柾樹青年に告げた。
「それは、わたくしがあなたを愛してしまったからよ。実の姉弟でありながら、弟としてではなく、一人の男性としてあなたのことを」
「……桜子……姉さん……」
柾樹青年が、驚愕と混乱と動揺を一緒くたにしたような顔で、桜子さんの名を呼ぶ。
他の家族達も一様に驚きの表情を浮かべ、呆然としている。
僕はなんとも複雑な心境で、再び顔を伏せたまま、彼女の告白を聞いていた。
「だから……だから、あなたはいつも、あんなにも僕に優しくしてくれて……それなのに、それなのに僕は……そのことにまるで……」
「いいのよ。それはいけないことだわ。すべてはあなたを愛してしまったわたくしが悪いのよ。ごめんなさい。柾樹さん」
「そんなこと……姉さん……いや、桜子さん、今までどうもありがとう……」
柾樹青年はその目に涙を浮かべ、優しげな笑顔を投げかける桜子さんに深々と頭を下げた。
「……さてと。これで一連の事件の謎はすべて――つまり、あなた方の心をずっとこの場所に縛りつけていた問題は解決したかと思います。さあ、そろそろその執着を離れ、本当の自分達のことについて思い出してもいい頃なのではないですかね? そう……あなた方はもうすでに、
事件の真相について説明を終えた先生は、これまでこの屋敷内で感じていたものとはまるで違う、なんとも穏やかな印象を受ける沈黙が応接間内に広がる中、いよいよ最後の仕上げに取りかかる。
「みなさん、60年という歳月はあまりにも長すぎますよ。それに、最初に教えてくれないなんてひどいじゃないですか、柾樹さん……いや、花小路柾樹翁」
「ハハ……もうお気づきになられていたんですね。さすがは名探偵の秋津先生です」
それまでの様子とは打って変わり、柾樹青年は不意に笑顔を浮かべると、僕らの方を振り返って明るい声でそう答えた。
「まあ、気づいたのはつい昨日のことで、それも、あの不審者が登場してくれたおかげなんですけどね。でなければ、今でもきっとまだ騙されたままでいたことでしょう」
苦笑する柾樹青年に、先生も自嘲するかのようにはにかみながら言葉を返す。
「すみません。ずっと騙していて。とても信じられないような話ですし、こうでもしないと事件の謎を解いてはくださらないと思いまして……でも、おかげで僕を…いえ、僕達を60年間、ずっとこの屋敷に閉じ込めていた深い霧をようやく晴らすことができました。すべては先生方のおかげです。今では死ぬ間際に先生にご依頼できたことを本当によかったと思っています。秋津先生、それに御林さんも、まことにどうもありがとうございました」
柾樹青年は苦笑いをやめ、不意に改まった顔になると、今度は深々と僕らに対して頭を下げた。
「おお! そうじゃった。わしらはもう、こっちの人間じゃなかったんじゃ!」
「ああ、そういえば、わたくしもずいぶんと前に……」
「あああ! そ、そうでした! わ、私としたことが執事の身でありながら……」
他方、家族達の方を覗えば、不意に思い出したかのように幹雄氏、彩華夫人、藤巻執事達が口々に驚きを顕わにしている。
「そう……そうでしたのね。わたくしも、柾樹さんが花小路家を継いだ後に……先生、わたくしからもお礼を申し上げますわ。わたくし、それだけが心残りでしたの。これで、最後まで柾樹さんに伝えることのできなかった思いをようやく伝えることができました」
先生に罪を暴かれたはずの桜子さんも、なぜか先生の方に笑顔を向けると、どこかすっきりした声でそんな礼を述べている。
「それから御林さん、あなたもありがとう」
その声に、僕はハッとして思わず彼女の顔を見つめる。
「ずっと騙していてごめんなさい。きっと、わたくしのことお嫌いになったでしょうね……でも、あなたに事件を解決してほしいってお願いしたのは、わたくしの本心からのことよ。
「いえ、そんなこと……」
そんなことない……そんな、僕は頭を下げられるようなことなんか何もしていない……。
僕は、彼女にいろいろと言いたいことが山ほどあったのだが、どうしてもそれ以上は何も言葉を発することができなかった。
「それにしても先生。この事実を知っても驚かないなんて、ほんと、すごい方ですね」
僕が悶々としたものを密かに抱えている中、柾樹青年は再び笑顔を浮かべると、感心したように先生に言う。
「いやあ、私も
「ハハハハ。それはまあ確かに……でも、そこがむしろ先生のすごい所ですよ」
困ったような顔をして返す先生に、今度は笑い声を上げて柾樹青年が答える。
そのとなりでは、桜子さんも楽しそうに笑っている。
周りでは、幹雄氏、彩華夫人、藤巻執事達も、穏やかな笑みを浮かべている。
また、その後方には殺された咲子夫人、梨花子さん、薫君、それから僕らは見たことないが、おそらくは本木茂氏と思われる、高そうなスーツを着た
そして、俄かに外が明るくなってきたかと思うと、窓から差し込む淡い朝日の光を浴びて、彼と彼女らの姿はすうっと、まるで朝の爽やかな空気の中へ溶け込むかのように静かに消えていった。
「終わりましたね……」
先生が、いつもの穏やかな声で感慨深げに呟く。
「はい……」
僕は、短くそう答える。
ふと気がつくと、それまでとても豪華に見えていた応接間のシャンデリアやらソファやらテーブルやらの調度類は、皆、いつの間にやら蜘蛛の巣だらけの古びたガラクタと化している。
足元に目をやると、さっきまで鮮やかな赤い色をしていた絨毯も、泥と埃で薄汚れた、とても室内に敷かれているものとは思えないような代物になり果てている。
ずっと豪奢な大邸宅だと思っていた花小路家の屋敷は、ただの大きな廃墟へとその姿を変えていた。
「先生、僕らが見ていたのは……あれは現実のことだったんでしょうか?」
僕は変わり果てた応接間の中をぐるっと眺め、先生にそう尋ねてみる。
「さあ、どうだったんですかねえ?」
すると、先生はいつもの惚けた調子でそう答え、ガラスの割れた窓の方へと歩み寄ってゆく。
そして、割れたガラスの隙間からオレンジ色に染まり始めた外の景色を見つめると、一つ、大きく息を吐いてから僕にこう言った。
「さ、こっちの霧もようやく晴れたみたいです。そろそろ私達も帰りますかね……私達の時間の流れる、私達の世界へと――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます