十四 最後の真実
桜の花びらを散らす穏やかな春の風に混じって、線香の香りが微かに鼻を突く。
「いやあ、そうだったんですかあ。あなたがあの藤巻さんの五つになるという息子さんだったんですねえ。いやあ、驚きました。どおりで似ているはずです」
周囲に立ち並ぶものよりも一回り大きく立派な御影石の墓標の前で、もう初老の域に差しかかった執事に向かって先生が言った。
「まあ、今ではもう
あの、廃墟と化した花小路家の屋敷から無事に帰還した僕らは、先生に調査を依頼してきた
あの屋敷を初めに訪れたのが、もう6日前になるのか……そう考えると、ずいぶんと長い間、あの屋敷に滞在していたものだ。
その間、何回も御馳走になったあの食事は、いったい何を食べていたのだろうか? とか、あんな泥と埃だらけのベッドで何日も寝ていたのだろうか? とか、いろいろと疑問が湧いてはくるが、怖いのでこれ以上考えるのはやめにしておこう……。
というか、その前にあれが本当に現実のことだったのか、それとも、先生と二人で夢か幻でも見せられていたのかは自分でもよくわからないところなのだが。
ま、ともかくも、僕らは無事にあの凄惨な連続殺人事件の起きた屋敷から生還したのだ。
〝生還した〟とか、とても大袈裟に言ってしまうのは、無事は無事でも、あの後がまた大変だったからだ。
なにせ、霧が晴れたはいいが山奥の廃墟にぽつんと取り残された挙句、車も何も交通手段がまるでない上に、電波の谷間なのかケイタイもやっぱり通じず、仕方なく山の麓の町まで長く険しい山道を歩く羽目になったのである。
しかも、来る時は霧が出ていたし、車で連れてこられたために気づかなかったのだが、木々に囲まれた山道脇の斜面はけっこう急だったり、所々、土が崩れて断崖絶壁になっている場所もあったりなんかして、唯一、屋敷と下界とを結ぶ一本道から一歩でも外れると大変
藤巻執事も言っていたが、確かにあの濃い霧の中を出歩いたりなんかした日には、道に迷って崖から真っ逆さまに
ああ! そういえば、あの韮澤とかいうライターの人はどうなったんだろう? あの霧の中、どっかへ走って逃げて行ったけれど大丈夫だったんだろうか? ……ま、いいか。別に崖から落ちてても、そこまでは僕らも知ったこっちゃない。
「あの館は昔、あの事件が起きる前に花小路家の屋敷として使っていたものです。しかし、あのような忌まわしい事件が起きたものですから、それを期にこちらの方へ新たにお屋敷を建てて移り住むようになって。まあ、それが幸いしてか、新しく始めた事業も成功し、今の花小路グループ発展の元となったのですがね。世の中、なんとも皮肉なものです」
僕があの不審者のことを一応心配してやっていると、執事は鈍く光を反射する黒い墓石を見上げながら、そう説明をしてくれた。
「そうですか……やはり、桜子様だったのですね。なんとなく、そのような気はしておりました」
「と、いいますと、何かそう思われるような節でも?」
どこか昨日まで話していた
「はい。私はその頃まだ子供だったのでよくは存じぬのですが、じつはあの事件から3年ほど後に、先代…いえ、もう先々代になられますね。その幹雄様がお亡くなりになられ、続いて、後を追うように彩華奥様もお体を壊して亡くなられると、幹雄様のご遺言通り旦那様――柾樹様が花小路家の跡をお継ぎになられました。ところが、柾樹様が当主となって、ようやく落ち着いた頃になりますと、今度は桜子様が自殺なされてしまわれたのです。青酸カリを飲まれてのことだったと聞いております」
衝撃的なその後日談に、僕は密かに拳を固く握り締める。
「当時、はっきりとした自殺の理由はわからなかったようですが、旦那様から聞いた話によりますと、残されていた遺書にはただ一言〝すべてはわたくしのせいなのです。ごめんなさい〟と書かれていたとのことです。誰もその意味を理解できる者はおりませんでしたが、今になって思えば、そえは
僕は、どうしようもない怒りと焦燥に捉われる……なんとも、やりきれない話だ。
「ですが、どうやら旦那様だけは、桜子様の自殺の本当の理由に薄々は気づかれておられたようなのです。しかし証拠もなく、実際のところはどうなのかわからない。いや、もうわかっていたのかもしれませんが、それをお認めになるのが怖かった。だから、旦那様もあの事件が起きて以来ずっと、事件に心を囚われたままお苦しみになられていたのです。そして、誰も使わなくなったあの古い屋敷の方にも無念を残して殺された方々や、旦那様と同じく事件に囚われたままのご家族の霊が成仏できずに住みつくようになり、60年の長きに渡って事件の起きたその日の生活を繰り返していたのです」
それが、僕らの見たあの花小路家の人々だったということか……60年も前から、あの人達はずっとあんなことを繰り返して……。
「だから旦那様はご自分を、そして、ご家族の皆様の魂を解き放つために、60年前の事件の解決を先生にお願いしたのです。いえ、旦那様が一番救いたかったのはきっと桜子様だったのではないかと思います。旦那様のことを一番愛してくださっていた、あの方の魂を成仏させてさしあげたかったのではないかと……」
柾樹氏は、桜子さんを一番に救いたかった……もし本当にそうであるならば、多少なりと彼女の想いは報われるかもしれない。
「それが、柾樹翁が死ぬ間際に依頼した、そして、私達があの屋敷で出会った若い柾樹君の本当の望みだったのですね」
「しかし、先生方のおかげで事件の真実も明らかとなりました。これで、旦那様や桜子様達の霊もようやく成仏できることでしょう。先生、御林様。本当にお二人のおかげです。亡き主人になり代わり、不肖、私めが御礼を申し上げます。まことにどうもありがとうございました」
改めて藤巻執事が深々と僕らに頭を下げる。やっぱり親子なのだろう。その几帳面な仕草がものすごく
……桜子さんは、ほんとにちゃんと成仏できたんだろうか?
そんなことを思いながら、ずいぶんと前に桜子さんも一緒に
何がいけなかったのだろう? どうすれば、あのような悲劇を生まずにすんだのだろうか?
その用いた方法はとてもよいものとはいえないのだろうけれど、桜子さんはただ愛した人を守りたかっただけなのだ。だが、その愛した人は自分と血の繋がった実の弟で、その弟を殺そうとする人間が同じ家族の中に何人もいて……。
桜子さんは、それで幸せだったのだろうか?
確かに彼女の望み通り、多くの犠牲の果てに柾樹氏を無事、花小路家当主の座につかせ、その悲惨な少年時代を取り戻して余りあるような地位と財産を彼に与えることができた。
でも、柾樹氏が幸福を摑み、これからという時に彼女は罪を償うために自らの命を絶ってしまって……。
……いや、それでも彼女は、短い間だけでも愛する柾樹氏の傍にいることができて幸せだったに違いない。桜子さんという人は、そういう女性なのだ。
それに、過ぎ去った過去のことを今さらどうのこうの言っても仕方がない。大事なのは今だ。
あの最後の日の朝、彼女が見せた楽しげな笑顔は、嘘偽りのない本当のものであったとそう思いたい。少なくとも僕はそう信じている。きっと今頃成仏して、向こうの世界で柾樹氏や他の家族達とようやく楽しい時を過ごすことができているのだろう。
……うん。きっとそうだ。
再び見上げた墓石の、そのさらに上に広がるどこまでも清んだ青空に、ほんの一瞬、二人で楽しそうに微笑む柾樹氏と桜子さんの顔が見えたような、そんな気がした。
そうして僕が独り感慨に浸っていると、となりに立つ先生が……。
「失恋というものは人間を成長させるものです……御林君、また一つ大きくなりましたね」
と、なんだかわかったようなことを言ってくる。
「なんですか、それ? ……あ、そうそう。そういえばもう一つ、ずっと疑問だった謎もようやく解けましたよ」
僕はひどく嫌そうに眉根を寄せて答えると、不意に思い出したそのことについて今さらながらに触れた。
「疑問? ……といいますと?」
「いつになく花小路家の人達が妙にすんなりと先生の存在を認識したことですよ。類は友を呼ぶというか同類相憐れむというか…いや、なんか例えが違うな……ま、とにかく同じような者同士、何か通じ合うものがあったんですね」
小首を傾げる先生に、僕はいたく納得したというようにその疑問の答えを告げる。
「ああ、そのことですか。確かに私も同じように、もう
ぼんやりと淡い陽炎のような影を湿った地面の上に映し、柔らかな春の日差しに薄っすらと体の透けて見える秋津先生が、どこか愉しげに笑顔を浮かべてそう答えた。
(例により、影の薄い先生の代わりに僕が調査します 了)
例により、影の薄い先生の代わりに僕が調査します 平中なごん @HiranakaNagon
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