十二 密室の真相(4)

「これで、事件の謎はほぼすべて解けました。でもあともう一つ。あの不審人物の件がまだ残っているんですよねえ……」


 ……!


 先生が最後に付け加えたその言葉に、打ちひしがれていた僕は一つの光明を見出す。


 ……そうだ。そうだった……怪しい人物はもう一人いるじゃないか! そうだ。そうに決まってる。きっとあの男が犯人に違いない!


 僕は自分の心に無理矢理そう言い聞かせると、黒い緞帳に覆われ、何も見えなくなっていた視界をようやくにして取り戻した……のだったが。


「……あっ!」


その時、焦点のあった僕の瞳に偶然にも驚くべきものが映り込んだのである。


「せ、先生、あれって……」


 焦点のあった視線の先、窓の下に広がる庭園を指差して僕は先生に訴えかける。


「え? ……ああ!」


 その指の示す方向に目をやった先生も、それを見て思わず声を上げる。


 僕の目に映る、白い霧に包まれた広大な花小路邸の庭の隅……そこにいたのは、今話していたもう一人の容疑者である不審人物――一昨日・昨日と僕らが見かけた、あの髭面の男だったのである!


 暗い夜だった前回・前々回と違って、今度は明るい昼日中である。これはもう、幻でも幽霊でも見間違いでもなんでもない! 今度こそ捕まえてやる!


「御林君!」


「はい!」


 僕と先生はお互いの顔を見て頷き合うと、脱兎の如く部屋を走り出した。


「…ハァ……ハァ……あ! いた!」


 先行する先生を必死で追い駆け、僕も一分と経たずにその男がいる庭の片隅へと到着する。


「ひゃ、ひゃああっ!」


 いまだその場所でうろうろとしていた男は、僕らがものすごい勢いで駆けて来るのを見ると、急に奇妙な叫び声を上げて逃げ出そうとしたが、そうは問屋が卸さない。僕はさらに速度を上げると確保にとりかかった。


「御林君、やっておしまいなさい!」


 前方ではすでに足を止めている先生が、自分では動かずにそんな指示を飛ばしている。ま、肉体労働ではてんで役に立たない先生なので、こういうのは僕の役目と決まっている。

 

 僕はこう見えて……いや、実際どう見えてるかは知らないけど、幼い頃から近所の道場に通って〝柔術〟という柔道の前身である古武術を習っていたりするのだ。それが僕の唯一の特技といえば特技である。


「今度は逃がさないぞ! おとなしくしろ!」


 すぐに追いついた僕は男の腕を取り、関節を極めて地面に押しつける。


「い、痛ててててて……ひ、ひいっ! ナンマイダ、ナンマイダ…ど、どうか、命だけは……」


 地に伏せた男は、まるで幽霊にでもあったかのように念仏を唱え、僕に命乞いをする。


「おまえ、いったい何者だ? ここは花小路家のお屋敷だぞ? 正直に答えないと住居不法侵入の罪で警察に差し出してやるからな!」


 先生もゆっくりと傍らへ歩いてくる中、組み伏せたその男を僕は問い質す……まあ、不法侵入云々については、勝手に部屋とか入ってる僕らも言えた義理ではないのだが……。


「ん? 不法侵入? ……ああ、なんだ、花小路家の人か。ハァ……俺はてっきり幽霊かと…」


 ところが、訴えると言われているにも関わらず、男はそれを聞くと、むしろ逆に安心したような顔色を見せるのだった。


「い、いや、俺はけして怪しいもんじゃない。フリーのライターをやってる韮澤っていうもんだ。今、名詞を見せるからその手を離してくれよ」


 なんだか予想と違う男の態度に、僕は先生と顔を見合わすと、彼の腕を締め上げている手の力を緩めた。


「ふぅ……兄ちゃん、童顔のわりに強えな。ほら、名詞だ」


 童顔というのは余計だが、男は解放された腕を痛そうに撫でながら、ベストのポケットに入れられていた名詞を僕に差し出す。


 脇から覗き込む先生と一緒に見ると、確かに「ライター 韮澤務にらさわつとむ」と書かれている。


「円川書店の月刊誌で『妖』っていう怪奇現象を専門に取り扱ってるのがあってな、その取材でここへ来たんだよ。俺はそっち・・・系が専門なんだ。ほら、ここはその筋じゃ有名な怪奇スポットだろ? 無断で入ったのは謝るが、ずっと廃墟だったんだから勘弁してくれよ」


 どうやら嘘はついていないようだし、名刺や言動などからするにもほんとにライターではあるらしい……だが、この韮澤という男はなんだか妙なことを言っている。


「何言ってんだ。ここには花小路家の人達が今もちゃんと住んでる。廃墟でもなければ怪奇スポットでもない。あ! ひょっとして、この霧に巻かれて場所を間違えたな?」


 おかしなことを言う彼に、僕はそう推理して間違いを指摘したのだったが。


「はあ? あんたこそ何言ってんだよ。ここのどこに人が住んでるってんだ? ここは60年前に凄惨な連続殺人事件があって、花小路家が都心に移り住んでからはずっと廃墟のままだぜ? それに聞くところによると、先日、花小路グループ会長の花小路柾樹翁が亡くなって、財産相続した息子達はいよいよここを取り壊すって話じゃねえか。だから急いで取材に来たんだが……あんた、花小路家の人間じゃねえのか?」


 韮澤は、ますます奇妙なことを口にする。


「60年前からって……ぼくらはその死んだ会長に雇われた探偵だけど、4日前にここへ来てから、ずっとこの家の人達と一緒に寝泊りしてる。それのどこが廃墟なんだよ?」


「え? ……あんた、本気でそう言ってんのか? ……いや。そういや、あんたの顔には見憶えがあるぞ……そうだ。昨日の夕方、屋敷ん中で見た怪しい人影だ! ってことは、あんた、もしかしてほんとに幽霊と一緒に……」


 何やら勘違いをしている男に、僕はまぎれもないその事実を告げて説明してやるのだが、彼は僕の顔をまじまじと見つめ、再び顔面蒼白になってしまう。


 …………なんだ? この違和感は?


 それは、ここへ来た初めの日にも花小路家の人々との間に感じたことなのだが、僕らとこの男の話には、なんだか大きな齟齬がある……。


「だから、さっきからなにわけのわからないこと言ってんだよ。怪しい人影といえば、むしろそっちの方じゃないか! それに、確かにここで殺人事件は起きてるけど、それは今現在起きてるんであって、そんな60年前なんかじゃ…」


 居心地の悪い違和感を覚える中、ともかくももう一度、彼の間違いを正そうと反論を試みる僕だったが。


「いや、ちょっと待ってください! あなた、さっきなんて言いました? 先日亡くなった花小路グループの会長の名前は……」


 僕の言葉を遮るように、不意に先生が大きな声を上げた。


「うわっ! なんだ、もう一人いたのか! あんた、いつからそこに……」


 すると、今さらながら先生の存在に気づいた韮澤は、驚いて尻餅を搗きそうになる。すっかり忘れていたが、久々に影の薄い・・・・先生の本領発揮である。


「そんなお約束・・・はいいですから、早く答えてください。花小路グループの会長の名前は?」


 だが、いつもと違い、そうした反応を煩わしく思っている様子で先生は韮澤を急かす。


「は? 会長? ……ああ、花小路柾樹・・翁のことか?」


 ……!?


 その名前を聞いた瞬間、僕は金槌で頭を殴られたような衝撃を覚える。


 どういうことだ? あの、僕らが会ったその日に亡くなった老人が花小路柾樹? じゃあ今、僕らと一緒にこの屋敷にいる、あの若い花小路柾樹はいったい誰なんだ!?

 

「あの後亡くなられたこともあり、話も途中でこちらへ来てしまったのですっかり失念していましたが、そう言われてみれば確かに会長さんのお名前は……韮澤さんとやら、あなた、ここが怪奇スポットだと言いましたね? 詳しく教えてください! それはどういう意味なんですか? それにここで60年前にあった凄惨な事件というのは!?」


 ぶつぶつ何か独り言を呟いた後、先生はいつになく強い口調で男に詰め寄る。


「え? あ、ああ……なんだかよく事情が飲み込めんが、まあいい、話してやる。そもそもの始まりはその60年前に起きた事件なんだがな――」


 先生の勢いに押され、訝りながらも韮澤が語ってくれた話は、よりいっそう僕らの頭を混乱させてなお余りあるものだった。


「――そんなこともあるもんなんですねえ……」


「先生! 何がいったいどうなってるっていうんですか? 僕にはもう何がなんだか……」


 半信半疑ながらも事実を受け入れいる様子の先生の傍らで、僕はこの世界が地面から崩れ去るような感覚を抱き、得体の知れない強烈な不安に襲われながら慌てふためく。


「とても信じられないような話ですが……そうとしか考えられません。いや、そう考えれば、すべてに納得がいきます。彼らとの話の齟齬があることばかりでなく、妙にカメラが古めかしいことや電話が繋がらなかったことも……どうやら私達は初めから大きな誤解をしていたようです。なるほど。それが死ぬ間際に会長さんが託した、私達への本当の依頼だったというわけですね……」


 それでも驚きを隠しきれずにいた先生の顔が一変、何かを悟ったような表情になり、えらく納得したというように大きく頷く。


「これで、一連の事件の謎はすべて解けました。依頼主の遺言通り、すべての真実をご家族の皆さんにお伝えしましょう。時間はそうですね……いろいろ段取りもありますし、こういう場合はやっぱり夜明け前くらいがいいのかな?」


 そして、呆然と佇む僕の方を振り返ると、朗らかな声でこう言うのだった。


「夜明け前……えっ!? この状況でまだ事件を解決するつもりなんですか!? だって、その話が本当なら、解決も何もあの人達はもう……」


「もちろんです。いや、だからこそ、ちゃんと真実を伝えてあげなければいけないんですよ。それこそが、私達を雇った花小路柾樹・・・・・氏の本当の望みだったんですからね。知らぬとはいえ、その依頼を引き受けちゃったわけですし、ここは乗りかかった舟。私は探偵として、ご依頼通りあのひとと、この事件に関わったすべての人々をお救いしてさしあげましょう!」


 その行為に今さらなんの意味もないと考える僕に、先生がもう一度、力強くそう宣言したその時。


「秋津せんせーい! 御林さーん! そこで何をされていらっしゃるんですの~ー?」


 背後から、女性のそんな声が聞こえてきた。


 振り向くと、いつもの淡いピンク色のワンピースを着た桜子さんが少し離れた場所に立っている。


「ひゃ、ひゃああ! で、で、で、出たぁぁぁぁ~っ!」


 だが、可憐な彼女のその姿を見た瞬間、韮澤は大きな悲鳴を上げ、まるで幽霊でも見たかのようにうの体でその場から逃げ去ってしまう。


「先生、御林さん、もうじきお昼になりましてよ……え? どうかなさいまして?」


 一方、こちらに歩いてきた桜子さんは、そんな韮澤の醜態もまったく気にする様子はなく、平然と僕らを昼食へと誘う。


「なるほど。招かれた私達以外はそういう扱い・・・・・・なわけですね。これはおもしろい。いつも私が受けている不当な扱い・・・・・を他の皆さんにも味わっていただけて、なんだかちょっと愉快な気分ですね」


 となりでは、深い霧の中に消えゆく韮澤と桜子さんを交互に見つめ、先生がそんな呑気なことを言って笑顔を浮かべている。


 だが僕は、不思議そうな顔で小首を傾げる桜子さんに、それまで感じていたものとはまた少し違う、なんとも衝撃的で、なんとも複雑な感情を抱かずにはいられなかった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る